カチ、カチ、カチ。仕事場においてある時計が律儀に時を刻む。
その音がどうにも自分を追い詰めるような気がしてなんだかやるせない。
ああもう。どうしてこんなにウジウジと悩んでいるのだろう。
悩むのは苦手なタチなんだってばと心の中で叫んで、思い切り背もたれにもたれかかった。
ギギィと椅子から抗議が上がる。知るか。お前も私の椅子ならしっかりしろ。
しかし完全なる八つ当たりであることに気付き、椅子にそっと謝った。ごめんよ。

根っこにあるのは、「」の言っていたことに間違いはない。恐らく。
私は「」のことを信用している。なんてったって10年付き添った相棒だ。
果たして、男女間の友情は成り立つのか。
世間でお決まりのように語られるテーマの一つ、王道的クエスチョン。
まさか自分がそこで躓くとは思いもよらなかった。人生というものは不思議に満ちている。

斜め後ろにいるであろう元就さんとは、朝から挨拶以外口をきいていない。
背中にチクチクというかグサグサというか、ギシギシというか。
とにかく素晴らしい怒りのオーラを感じる。怖い。オーラが怖い。





03:きっとあなたに会いに行く






問題。女であり部下である私が、男であり上司である元就さんを軽々しく名前で呼んでいいものか。
私が道中小さな脳みそをフル回転させて出した答えは、ノーだった。



「おはようございます毛利さん」



元就さんの顔が、奇妙に歪んだ。…どうやら回答を間違えたらしい。よくあることだ。
そういえば昨日の別れ際も最悪だった。以前だったら顔を合わせ次第、武器の錆にされていてもおかしくはない。
しかしここは現代だ。采配はアリかもしれないけど輪刀など持ち出したら完全なる銃刀法違反である。
法律よありがとう。私はとりあえず一命をとりとめたことに感謝した。
武器の代わりに怒声が鼓膜を揺らす前に、私はくるりと元就さんから顔を背ける。

とてもぎこちなく、不自然で、気まずい。

でもなあ。今の混乱しまくってどうしようもない私にはこれが精一杯だ。
男と女、男と女、と頭の中が大パレード、カーニバル状態。誰か止めてけろ。
男って何さ、女ってなにさ。考えすぎて宇宙レベルまで飛んでいってしまっている。元素って、何。







カチ、カチ、カチ。時計の秒針がマイペースに時を刻む音だけが仕事場に木霊する。
いい加減、この気まずい空気をなんとかしなくてはならない。
しかし、元就さんが怖くて目を合わせられない。
気が付けば窓の外はオレンジ色に染まっている。
アホー、アホー、とどこかでカラスが鳴いた。知ってるよ自分が阿呆なことくらい。

このまま一日が終わるのか。はぁ、と息を吐こうとした、その時。
」と、背中に元就さんから声がかかった。今日初めて聞いた声。
朝の挨拶以来、元就さんは沈黙を守ったままだった。
その静けさが、余計に恐ろしくてさらに私を気まずくさせていたのだけど。



「なんですか。毛利さん」



気まずくとも上司に呼ばれて返事をしない訳にもいかない。
くるりと椅子を回して振り返り、首を傾げて返事をする。
般若のような形相を想像していたんだけど、元就さんは無表情だった。
いつもは無表情なりに感情豊かなのだけど、このときは本当に無表情だった。



「…お前は、であろう?」



元就さんが、表情と同じく感情の読めない声で尋ねる。
オレンジ色に染まった髪の毛がとても綺麗で、場違いに見とれてしまった。
黙った私をどう思ったのか、元就さんの眉間にきゅっと皺が寄る。
それを見た私は慌てて返事をした。怒られるのは怖い。本当に怖い。



「そうですです、です。間違いありません」
「…ならば、良い」



元就さんの表情が、少し緩む。
まだまだ無表情だけど。表情筋硬いよね元就さん。
ほう、と。どこか安心したように、元就さんが息を吐いた。


と思ったら、突如目の前に何かが飛んできた。



「ぎゃふッ」
「気味の悪い呼び方をするな。虫唾が走るわ」



顔にぶつかった何かが床にバフンと落ちる。時間差攻撃なんて完全に油断してた。くそ。
涙がじわりと浮かんだ目をこすりながら見ると、座布団だった。どこに隠していた元就さん。
座布団じゃ銃刀法違反にはならないけどさ…どうにも釈然としない。
口を尖らせながら座布団を拾い、ぱんぱんと埃を払う。
元就さんが呆れたような声色で口を開いた。



「で、その気味の悪い呼び方をする理由を言え」
「命令形ですか」
「拒否権がお前にあるとでも思うか」
「ありませんね」



そうだ、私に拒否権はないのだ。
相変わらずな元就さんの言い方に、思わず笑いが零れる。



「果たして男と女の間に友情は成り立つのか、という話ですよ」
「なんだそれは」
「昨日元就さんが言ったじゃないですか。元就さんは男で私は女なんだって」
「言ったな」
「私、自分が女に戻ったんだってこと、深く考えてなくて」



女ってことはですよ、元就さん。
例えば、ふらりとどこかへ行ったとしますよね。
ひとりじゃないですよ、そこまで寂しい奴じゃないですよ。元就さんとですよ。



「そうしたらね、周りの人は私と元就さんのことを【友人】って見ないと思うんですよね」



そういうことに今更気付いて。変わってしまった自分がとても怖くなりました。
五月蝿いですよ。私にだって怖いって感情くらいありますってば。
おまけに元就さんは大きくなってるし。手の大きさだって負けちゃうし。
唯一勝ったと自信を持って言えるとこだったのに。悔しい。
…そうですよ。私が勝手に縮んでるんですよ。勝ち誇ったような顔するのやめてください。



「変わってしまった自分のせいで、周りの目が急に怖くなりました。
 周りの目を意識することで元就さんとの関係も変わってしまったらどうしよう、とも思いました」
「くだらんな」



バサリと一蹴。そうされるだろうと分かっていたとしても、若干悲しい。
こっちは無い頭で一晩中悩んだというのに。ストライキするぞ。
なんてことを言えるはずもなく。そうですかね、と力なく笑った。
そんな私を真っ直ぐ見据えて、元就さんは口を開く。



「男だとか女だとか、そういったものが下らぬものだと我に教えたのは、お前だぞ。
「…そうでしたっけ」



そんな大層なことをした覚えは無い。
首を傾げると、呆れたように元就さんはひとつ息を吐いた。



「地位や立場、そのようなものに縛られることは仕方ないことだ。
 だが、心の奥にある感情までも縛られるのは愚かなことだと、お前は言った」
「言いましたっけ」
「まあ、酔っていたから覚えてはいないだろうな」
「ああ。そりゃあ酔っていたら覚えてませんね」



私はなんという大それたことを元就さんに。
ひぃ、と両手で頬を覆う。あな怖ろしやお酒の魔力。元就さんに説法かますなんて。



「大体、忍びの目も気にせずに城主にあんな口を利いていた奴が、
 何故今更周りの目を気にする必要がある。ここには我しかおらぬというのに」



今まで通り、やりたいようにやればよかろう。
そう呟いた元就さんの言葉に、ぽろりと目から鱗が落ちた。ような気がした。



「う、わぁ。ほんとですね元就さん。忍びにも屈しなかったおれが」

「おっと失礼。私が、何故今更周りの目を気にする必要があるって話ですよね」



気付かなかった。そんな簡単なことにも気付かなかった。
うわぁ、うわぁと呟く私をさくっと無視して、元就さんが続けて口を開く。



「仮に、万が一、我とお前が恋仲と呼ばれる関係になったとしても」
「ありえるかもしれませんね。私女ですもんね」
「黙れ、図に乗るな」
「痛っ」
「関係の呼び名が『友人』から『恋仲』に変わるだけだ。
 変わることは悪いことではない。どのような形でもそこにあるものが全てであろう」



女だからといって、私が元就さんに対する感情は変わらない。
けれど変わるかもしれない。変わるものは勿論あるのだ、生きているんだから。
でも、どの様な形であれ、そこに絆がある限り変わらないものもある。

野となり山となっても、結局結果は一緒だったりするんだよね。

」が呟いた言葉が、ふっと頭の中をよぎった。
そうか、「」は、そう言いたかったのか。
相変わらず随分と回りくどく、分かりにくい言い方をするな、私。
夢の中の自分は、とうに答えを出していたのに。戦国時代から、答えはちゃんとあったのに。
なんだか悩んでいた自分が素晴らしく馬鹿に思えてきて、思わずへらりと笑う。
そんな私を見て、仏頂面をしていた元就さんも口の端を上げて笑った。



「ああ。しょうもないことで一日頭を無駄に使った気分です」
「お前は偶には頭を動かした方が良いのではないか」
「失礼な。いつもフル回転してますよ。大抵はくだらないことですがね」
「威張るな」
「すみません」



頭を下げると、元就さんが「もうこんな時間か」と呟いた。
窓の外を見るとオレンジ色の光はどこへやら、気が付けば日が暮れていた。
慌てて残りの仕事を片付けて、いつものように美味しくてたまらない賄いを食べて、
元就さんと店を出る。藍色に染まった空に、一番星がきらりと光った。



「でも、元就さんも、なんか悩んでるみたいでしたよ」
「何がだ」
「夕方、私が『毛利さん』って呼んだときですよ。私のこと『か?』って聞いたじゃないですか」



あのときの元就さんの様子はおかしかった。どうかしたんですかと問うと、元就さんが言葉に詰まる。
私も悩みを打ち明けたんだし、どんなしょうもない悩み事でも構いませんよ。
さあさあ、言ってごらんなさいと腕を広げると、ぼかりと殴られた。ひどい。



「…また、我の前から姿を消すのかと思った」
「どういうことですか」
「あの時代へ行ったように、またフラフラと何処かへ性懲りも無く行ったのかと」
「…行きませんよ。あんな体験は一度で十分です」
「しかし、いきなりだったと言ったではないか」
「そうですね。原因が未だに分かりませんから。寝たらいきなりでした」
「お前は、いつかそうやってまた我の前から消えるのだろう」



そう言った元就さんの顔は、辺りが暗いせいか良く見えない。
でも、どこか拗ねたような声色に、なんだか面食らってしまった。
こっちに戻ってから、新しい元就さんを一杯見ているな。
場違いだとは分かっているんだけど、なんとなく嬉しくなってしまう。



「会いに行きますよ」



へらりと緩む頬をそのままに、笑って元就さんの手を取る。



「たとえもう一度別れることがあったとしましょう。でも、2度あることは3度ある。
 会いに行きますよ。きっと会えます。会えなくても、絶対会いに行きますから」



自分より一回りも大きくなってしまった元就さんの手を、ぎゅっと握る。
たとえこの手が離れようとも、また繋ぎに行く。
悩むのは一度で十分だ。思う存分悩んで、吹っ切ったら前だけを見る。
後ろ向きになった分だけ前を見ればいい。そうさ、私は本来前向きなのだ。



「…が言うと本当になりそうなところが恐ろしいな」



自信満々に言い放った私を見て、元就さんが笑った。
いつもの皮肉な笑みじゃなくて、本当に綺麗に微笑んだ。
思わずほけっと見惚れていると、元就さんに「行くぞ、」と繋がったままの手を引かれる。
初めて見た元就さんの微笑み。嬉しくなって、私もつられるようにへらりと笑う。
きらり。視界の端っこで、流れ星が綺麗に流れたような気がした。





09/04/16


 →あとがき