ぱちりと目を開ける。
どこかで見たことのあるような木目の天井が見えた。まあ天井なんてどこも似たようなもんだけど。
ぐ、と力をこめて起き上がろうとすると、腹に激痛が走った。うっぎゃー!痛い!
おまけに頭がくらくらする。視界もどこか薄暗い。そういえばひどい貧血のときってこんな感じだったな。
起き上がることを諦めて、見える範囲で周囲の状況を確認する。
どうやら元就さんの城の客室のようだ。道理で見覚えがあると思った。
はてさて、自分はどうなってしまったんだろう。
うーんと悩んでいると、障子が開く音がした。
誰だと思ったけど、そちらを見ようにも体が動かない。近づく足音。
私の寝ている布団の横に立ち止まったその人は、いつもの見慣れた顔を奇妙に歪ませている、元就さんだった。
12.そうやって笑ってくれていたらいい
「…」
「なんですか、元就さん」
「目を覚ましたか」
「みたいですね」
元就さんが布団の横に座る。横たわってる私を見て、どこか呆れたような顔。
はは。間抜けなとこ見せてすみません。そう言ってへらりと笑う。
「あー。あの賊、どうなりましたか」
「捕らえた。今頃見るも無残な姿になっているだろう。我の城下であのような騒ぎを起こすからだ」
「はは。やっぱ怖いや」
ざまあ見ろとけらけら笑う。あ、でも笑うとお腹が痛い。奇妙な引きつり笑いになってしまった。
相変わらず、どこか霞がかかったような重い頭で元就さんに問う。
「ねえ元就さん。おれの体って」
「肩から腹にかけて斬られている。出血がひどい。今こうして意識があるのが不思議だ」
「ですよね。おれもさっきから頭がぼーっとする」
瞬きをぱちぱち。やっぱり視界がよくない。薄い靄がかかっている。
見えにくいなあと思っていると、しばらく無言で何かを考えている様子だった元就さんが口を開いた。
「…もう、人工呼吸とやらをしても、無駄なのだろうな」
「ですね。あれは出血には関係ありませんからね」
おお、元就さん、人工呼吸覚えてたのか!そういえばそんなこともあったな。懐かしい。
あん時は私も必死だったな…なんて考えていると、ふとさんの顔が浮かんだ。
そうだ、さんに手紙を書かないと。
「元就さん、ちょっと紙と筆貸してください」
「ああ」
そう言うだろうと思っていた、と元就さんはどこかから取り出した書道セットを私に手渡した。
行儀悪いけど、寝転がったまま腕を上げて空中で文字を書く。
うわ、これは難しい。ただでさえ悪筆なのに。読めるかな、さん。
ぷるぷる、と震える腕でなんとか文章を書き終えて、元就さんに手渡す。
「…汚いな」と言われた。知ってますよ。そこはスルーしてくださいよ。
「さんに渡してくださいね」と頼むと、嫌そうな顔をしながらも承知してくれた。
まださん嫌いなのか。ほんとに何したんだあの人。
「あーあ。こうなるんだったらさっさと跡継ぎ作っとくんだったな」
「昨夜と言ってることが違うぞ」
「わは。その時々で都合よく言い分を変えるのが立派な商人ってもんですよ」
くだらない軽口を叩く。しかし、私は着実に近づいてきている、この体との別れを感じていた。
あーあ。本当にまだまだやりたいことがたくさんあったのに。
ここ、楽しかったなあ。もう、さよならなのかな。
幸せだったな。へらっと笑う。
「元就さん、最後に一つ、くだらないお話をしてあげましょう」
「…なんだ」
「おれの、話」
信じるも信じないも自由ですよ、と呟いて、息を吸う。
もう呼吸すんのもしんどいや。丈夫なのが長所だったのに。
「おれ、ここじゃないとこで生きてました。寝て、気付いたら、ここにいた」
「…捨てられたのではないのか」
「俗に言う、神隠しってやつじゃないかと」
びっくりしましたよ、ほんと。ふかふかのお布団で寝たら、気付いたら森の中だし。
現れたさんはなんか見た目危ないし。不審者要素満点だし。
ほんと神隠しって不親切ですよねと文句を零すと、呆れたように元就さんがため息を零した。
「…で、それがどうした」
「いやね。ほんと、ここに来る前は今の年齢より年上だったんですよ」
「だとしたら相当の年増だな」
「ひどい。傷つくんでやめてください」
手の届く範囲で元就さんを叩こうとする。が、やはり避けられた。
くっそ、最後くらい殴らせてくれたっていいと思いませんか。
「まあ、そういうことなんで」
「どういうことだ」
「ここでのおれは死んでしまうようですが、また元のとこに戻って生きていますよ」
「…元の所、とはどこだ」
「さあ、おれにも分かりません。
袖振り合うも他生の縁といいますし、ひょっとしたら、ここの来世かもしれませんね」
くだらん、と元就さんは呟いた。あ、ひどい。
「縁があれば、また構ってやってくださいね」
「…ああ」
にこりと微笑む。元就さんの表情はもう見えなかった。ああ、目ももう駄目か。
口が動くうちにこれだけは言いたいと、一気に言葉を紡ぐ。
「…元就さん、生きてくださいね」
「長生きしてください。ずっと、しぶとく」
「天下なんか、どうだっていいですから」
「幸せでいてください。笑っていてください」
「店主として、じゃなくて。友としての、願いです」
そこまで言って、ふー…と息を吐く。元就さんの反応はない。ああ、いい加減苦しい。
元就さんがどこにいるのかも分からなくなって、手をふらふらとさまよわせると、誰かにぎゅっと握られた。
誰かって、そんな。元就さんしかいないじゃないですか。
私とは違う、ごつごつと肉刺のある手の感触。はは、握ってくれるんですか。優しいですね。
嬉しくなって、ふふふ、と笑いを零す。
「なんだ、薄気味悪い」
「元就さんにとって、おれって何でしたか」
「…くだらぬことを聞くな」
「いいじゃないですか。最後ですよ」
そう言って、またへらりと笑う。渋々といった感じで、元就さんが息を吸うのが聞こえた。
「…友人だ」
その言葉だけで、私は幸せだ。
にこりと微笑んで、目を瞑る。もう見えちゃいないけど。
ぎゅ、と元就さんの手を握る。あ、もう握力もなくなってきた。やばいな。そろそろお別れだ。
「元就さん、そろそろおれ、駄目みたいです」
「そのようだな」
元就さんに看取ってもらえるなんて、私、かなり幸せ者なんじゃないの?
へへ、羨ましかろう。これが店主兼友人の特権というやつだ。
最後だし、多少図々しいのはね。忍びさん大目に見てくださいね。頼みますよ。
「ねえ、元就さん」
「なんだ、まだ何かあるのか」
「私の本当の、名。じゃなくて、って、いうんです」
「…女のような名だな」
元就さんの声に、苦笑い。だって私は女だ。
「ま、最後ですしね。墓場まで秘密を持っていく主義じゃないもんで」
「そうか」
そこまで言うと、急速に意識が遠くなる。
あ、きちゃったな、と思った。ほんと、死ぬというのに我ながら暢気な奴だ。
「…」
「」
「?」
私を呼ぶ元就さんの声が聞こえる。
さよならです。楽しかった。ありがとう。
そう言葉にできたかどうかは分からないけど、最後に元就さんの声が聞こえた。
「…、」
はい、なんですか?心の中でそう答えて笑い、静かに私は眠りについた。
09/03/08
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