ピチュピチュピチュ。
軽やかに小鳥が囀る音で、私は目を覚ました。
…ここ、どこだ。ぼけっとした頭で、あたりを見渡す。
ん、なんだ。どこかで見たことがあるような。どこだっけ?



ー、起きてるのー?遅刻するわよー?!」



あれ、どこかで聞いたことのある声。誰だ、誰だっけかな。
うんうん頭を悩ませていると、トントントンと足音が聞こえて、ガチャリと部屋のドアが開いた。



「なんだ、起きてるじゃない。早く用意しないと遅刻しちゃうわよ」



何年かぶりに見たお母さんは、記憶の中とまったく変わっていなかった。
お母さん、お母さんがいる、ということは。
そうか、帰ってきたのか。





13.ではまた、来世で





早く用意しなさいよ、と言い残してお母さんが部屋を出て行く。
そうだ、ここは私の部屋だ。何年も見てなかったから忘れてしまった。
そっか、帰ってきたんだ。あまりに普通すぎて、なんか逆に違和感を覚える。
ぼけーとした頭で、とりあえず着替えようと服を脱いでいく。

ボタンってめんどくさい。着物よカムバック。
そんなことを思いながら、ひとつひとつボタンを外していく。ふと、違和感。



「ぎゃー!!」



しまった。思わず悲鳴をあげてしまった。
お母さんの「どうしたの?」という声に、ない、ないない、なんでもない!と慌てて返す。
そうか、帰ってきたということは、女に戻ったということだ。
ちらりと胸を見る。そこには懐かしい膨らみがあった。男になってからは見ることのなかったそれ。
やけに股があっさりしてるなあ、と思ったんだ。おっといけない。こんなこと言うとはしたないって怒られる。

その後も、何度も何度も今までとは違う違和感に叫び声を上げた。
一番吃驚したのは鏡だ。顔が違う。いや、自分の顔なんだけど。忘れてたよ、こんな顔だった。
あまりに様子がおかしいと心配したお母さんに、あんたしばらく仕事休みなさいと言われた。
そうだね、私もその方がいいと思うよ。この違和感を消さないと仕事どころではない。

おっかなびっくり携帯を手にし、仕事先の料亭に電話をかける。
ああ、コール音が懐かしい。何故か電子音に恐怖を感じる。文明の利器コワイヨ。




その後、電話に出た店長らしき人と話をして、10日間のお休みを貰った。
クビにしないでくださいね。体調不良で療養しに行くんです。
本当にクビだけは勘弁してください、と念を押した。最後は泣き落とした。
いや、だってさ。今のままだと間違って男子トイレに入ってしまいそうで恐ろしい。自分が恐ろしい。
男女の違和感を元に戻すのは勿論だし、この現代の生活に慣れなければいけない。
びびりながら電子レンジを使う私を見て、お母さんは首を傾げていた。変な娘ですみませんね。










それから10日後。
なんとかパソコンも電話も普通に使えるようになったし、
女の体に悲鳴を上げることもなくなった。元は女なんだから当たり前だ。
戦国時代で過ごした日常は、不思議で貴重な、大切な体験として心の中にしまっておくことにした。
誰かに話すことではない。大切な思い出は、私の中にだけあればいい。


「おはようございます」と出社した私を、店の皆は何かと心配してくれた。
すみません。病気とか療養とか嘘なんです…とは言えずに、罪悪感がチクリチクリと痛む。ひぃ、ごめんなさい。
人の顔とか名前とか、全部忘れていたのでイチから覚えなおしだ。うぎゃあ大変。





しかし、仕事の方は驚くほど順調だった。
そりゃあ10年ほど商売してたからね。店主だってしてたんだからね。
この10日でいきなり仕事ができるようになった私を、皆は驚きの目で見つめていた。
ふはは、私はやればできる子なのですよ。帳簿入力だってお手の物です、はい。

そんなこんなであっという間に慌しく一日は過ぎ。
もうすぐ閉店時間を迎えるという時に、バタバタと部屋が慌しくなった。
どうやら、出張に行っていた上司が戻ってきたらしい。皆に混ざってお疲れ様ですと声をかける。
そういや、休む前にミスして上司に怒られたんだっけ。あちゃあ、妙なこと思い出した。気まずいな。

ミスした次の日から長期の休みなんか取ってしまって、怒ってるだろうなあ。
できることなら目を合わせたくない…とパソコンに向かってカチャカチャ入力をしていると、背中に声がかけられた。
お怒りの言葉か、しょうがない。作業をやめて振り向こうとすると、そのままでいいと止められる。



「体調を崩していたと聞いたが」
「はい、申し訳ございませんでした。ご迷惑をおかけして」
「どこかに行っていたそうだな」
「そうですね。…ちょっと、遠くへ」



戦国時代へ、10年ほど。と心の中で呟く。
そうか、と声がした。




「はい?」



くるりと振り向く。そこには、10年ぶりに見る上司の顔が。うーん、やっぱり覚えてないな。
でも、どっかで見たことのあるような。なんだこれ、デジャブか。

奇妙な違和感に顔をしかめる。と、口の端をきゅっと上げて、上司が笑った。






「…客の顔の覚えはいいのではなかったか?」






どこかで聞いたことのある台詞。

どこかで見たことのある表情。

どこかで聞いたことのある、声。





「…元就、さん?」
「…気付くのが遅い。愚か者が」




そう言って、上司が、いや、元就さんが、笑う。
え、え、え。頭が混乱しているんだけど。え、情報処理能力が追いつかない。うそだ、そんな馬鹿な。
よく見れば、元就さんの胸元には『毛利』の名札が。…ああ、確か上司の名前もそんなだったような。
って違う!問題はそこではなくて!



「お前が言ったのだぞ、『来世で、縁があれば』と」
「いやいやいや、言いましたけど。まさかそんな!」
「我は会った瞬間に気付いたが」
「ええ、うそっ!」
「しかしお前は全然気付かぬ、仕事はできぬで」
「ひぃ、できない子ですみません」
「いっそのこと消してしまおうかと思った」
「ぎゃあ、物騒なこと言わないでください!」



そう言って、悲鳴を上げる。
…はは。なんだか、笑えて来た。



「10日前に、行ったんですよ」
「そうか」
「違和感、直すのに大変で。男と女って、こんなに違うんだ、って」
「そうか」
「技術も情報も全然違うし。ほんと、なんで、こんな」
「…、



そう、元就さんが呼ぶ。あの最後のお別れの時と変わらない声で。
…もう二度と会えないと、思っていたんだけどなあ。



「はい、なんですか?」



あの時は、返事ができなかったけど。今ならできる。
へらりと笑ってそう返事した私を見て、元就さんも笑った。
いつもの皮肉っぽい笑みだけど、私はなんだかそれが嬉しそうに見えた。





09/03/08


 →あとがき