ごーん、ごーん。
近くの寺から、除夜の鐘の音が聞こえる。
目を瞑って、ひとつひとつゆっくりカウント。ひゃくなな、…ひゃく、はち。
ぱちっと目を開ける。年が明けた。明けましておめでとうございます。ハピーニューイヤー。
誰に言うでもなく呟く。この瞬間、私は18歳になった。
煩悩は消えたかって野暮なことは聞いてはいけない。ご想像にお任せ致しましょう。





08.ゆめをえがくひと





はあ、とひとつ息を吐く。白い吐息が闇に溶けた。今のなんか詩人みたい。
扉を開ける音がご近所迷惑にならないように慎重に開けて、そろそろと店の外に出る。
覚悟はしてたけどやっぱり寒い。でも風邪をひくほどではなさそうだ。天気もいいしこれならいける。
準備万端。ぬくぬくと厚着をした私は、そのまま人気のない城下町を歩き出した。

ここに来てから初めて、一人で過ごす年明けだ。
今までは毎年里帰りしていたんだけど、さんが今年はいらないって言うから。
年末は店が鬼のように忙しくなる。ほんとうに死ぬ。吐きそう。
それは店の下働きをしていた時から感じていたことだから、
年末まで店主がいないとさすがに店が回らないだろうと思って、年末年始は帰っていた。
だから今までの大晦日といえば、怒涛の年末商戦を乗り切り、
妙なテンションのまま除夜の鐘を聞きつつ皆で酒盛りしてわいわい騒いで、
正月は泥のように眠るついでに商売繁盛を祈願する、という非常に慌しいものだった。

だからこの静けさはとても新鮮。騒がしいのも好きだけど、たまにゃあこんなのもいい。
暗い夜道に私の足音が響く。冬は星が綺麗だ。オリオン座らしきものが見える。

私が目指すは、まだこちらの私が小さい頃に元就さんと出会った、あの神社だ。
何しに行くかって、そんなの決まってるだろう。初詣だ。











夜明け前には着くだろうと暢気に考えていたんだけど、一応それは当たりだった。
しかし疲れた。まじで疲れた。夜中から歩きっぱなしだからなあ。普段インドアってつらい。
初めて一人で過ごす正月に浮かれてしまい、ノリでやってみたんだけど。
さすが日本三景と謳われるだけあって綺麗だなと、初日の出を眺めながらしんみり思う。
しんどかったけど、やってよかったな。なんて贅沢な風景なんだろう。

浜辺に座り込んで、ぼうっと太陽を見る。
赤い。なんで赤いんだっけかな。光の屈折がどうのこうの?うーん、記憶力がいまいち。
夜が明けたこともあり、ぽつぽつと人影が増えてきた。どうやら皆初詣に行くようだ。
私も混む前に行っとくかと腰を上げる。ぱたぱたとお尻についた砂をはたいた。

立ち上がった時の視界は、ここに来る前には当たり前だが経験したことのない高さだ。
身長が違うと世界が違うって本当だよなあ。手も随分と骨っぽくなった。
ごつごつとした手を、太陽の光を遮るように目の前に上げる。そしてぎゅっと握る。
もう立派な成人男性だ。あちらではまだ未成年だけど。
腹筋も割れた。しかし武術をやっている訳でもないので、完全なる飾りの筋肉だ。
…いいんだ。いいんだよ飾りでも。もやしっこより筋肉ついてる方が健康的でいいんだ。









ぱん、ぱんっと手を叩いて合わせる。二拍二礼だっけか。日本は多神教だからよく分からない。
まだ早朝なのであまり人がいないこともあり、挙動不審に拝んでいても変な目で見てくる人はいなかった。
誠心誠意お祈りをする。何をってそりゃあ商売繁盛だ。商売人だからね。うん。
今年はボーナス制度を設けられるくらいに儲けますように、と祈りを捧げる。イマイチ不純である。


満足のいくまで念じた後は、ちょこっと神殿の方に挨拶しに行くことにした。
覚えてくれてるかな、あの神主のおじいちゃん。忘れられてたらどうしよう。
神殿の方に顔を出して、どうやって声をかけるかなあと悩んでいたら
掃除してた神社の人に「お久しぶりですね」と声をかけられて吃驚した。叫ばなかった私は偉い。



「明けましておめでとうございます。えーと、覚えてますか」
「覚えてますとも。あの小さな行商人、でしょう?大きくなられましたね」
「はい、その小さなです。今は大きいですがね。大きいってもこんなもんですがね。
 あれから…5年?6年?そのくらい経ってますからねえ」
「本当に、立派になられて。ああ、神主を呼んで参りますよ。お待ちください」



孫の成長を見るように、優しい目で微笑むおじさん。
確かこの人には夕餉とか色々お世話になった。懐かしいなあ。
お待ちくださいと言われて待つこと数分。正月用に特別な正装をしているのか、
以前の記憶よりきちりとした身なりの神主さんがやってきた。おお、貫禄がある。いや、この場合は神々しいか。



「おお、か!久しいな、元気にしておったか」
「ええ、ご覧の通りすくすくとのびのびと育ちました」



そう言ってへらりと笑うと、神主さんに頭を撫でられた。
おお、この年になって撫でられるとは思わなんだ。ちょっと気恥ずかしい。へへ、でも嬉しい。

今も行商をしているのか?と聞かれたので首を振る。
今は毛利様の城下町に店を構えていますと言うと、神主さんはとても驚いていた。
そんなに近くにいるのだったら、もっと頻繁に来てくれたらいいではないかと怒られた。もっともだ。

以前買ったお札の評判が良かったから、是非これから定期的に仕入れたいと言う神主さんに
是非と笑い返す。おお、早速初詣の成果が出たか。幸先がいい。
そのまま談笑していると、ふと後ろから声がかかる。




「…神主、ここにおられたか」




その声は、とても聞き覚えのある声で。
「おお、毛利様!明けましておめでとうございます」と言う神主さんの言葉に、私は勢いよく振り返った。




「元就さん!なんで」
「…その前に言うべきことがあるであろう」
「え。…ああ。明けましておめでとうございます」



今年もどうぞよしなに。
そう言う私に、神主さんは「毛利様と知り合いか」と驚く。
毛利様にはうちの店をご贔屓にして頂いてるんですと言うと、納得したように頷いていた。



「…毛利様なぞ、気持ち悪いな」
「いや。だってその、ねえ」
「先ほど開口一番『元就さん』と呼んでいたがな」
「しまった!」



そう言い合う私と元就さんの様子を、珍しいものでも見るように眺めていた神主さんは、
ふと気付いたように声を上げた。



「毛利様、本日もいつもの参拝でしょうか?」
「そうだな」
「準備が整っておいでです。拝殿へどうぞ」
「ああ」
「何するんですか」



首を傾げて尋ねる。そんな私に、神主さんは笑って教えてくれた。



「毛利様は、幼い頃より正月は正式拝殿をなさるんだよ」
「へー」



正直よく分からないけど、とりあえず驚いておいた。
そんな私を見て神主さんは笑う。元就さんは呆れている。
じゃあ私はそろそろお暇しようかな、なんて思っていたら、
元就さんに「お前も後学のために経験しておけ」と無理やり連行された。あの、私帰って寝たいんですが。
寝正月万歳、餅食って寝るぞ。おせちなんてものは無い。私にそこまで料理の才能は無い。
ああ、私の寝正月が…と心の中で涙しつつ、ずるずると元就さんに引っ張られていった。
本当、この細腕にどれだけ力があるんだ。…もういいや。最終的にこの人に逆らえはしない。



拝殿とやらに着いた後、私はずっと隅っこで座っていた。ああ。意識が遠のく。
夜通し歩いていたせいで、疲れが出たようだ。
こっくりこっくりしていると、いつの間にやら元就さんは正式な参拝を終えたようで。
目の前でぱちんと手を叩かれた。びくっとする。



、帰るぞ」
「…え?あ。ああ、終わったんですか」
「貴様が呆けている間にな。では神主、これで失礼する」
「ええ、お二人にとってよい一年でありますよう」



そう言って見送ってくれる神主さんに礼をして、神社を後にする。
満足に挨拶できなかったけど、近いうちにまた商談しに来るし、いいか。
前をすたすた行く元就さんを追いかける。歩くの早いな。足の長さが違うのか。コンパスの差か。
畜生そんなものは認めない。たたっと小走りで追いかけて横に並ぶ。



「こんなところで年始早々元就さんに会うなんて。奇遇ですね」
は、今年は実家に帰らなかったんだな」
「ええ。なんか今年はいらないって言われました」
「そうか、とうとうお払い箱か」



ちがう!と、思わず元就さんの後頭部を叩きかけたけど、さらりと首を振って避けられた。
くそ、相変わらず優雅に避けるなあ。まあ元就さんを叩こうとした私も私だ。無理なのに。

並んで思う。元就さんも大きくなった。
松寿丸の時から綺麗な顔だとは思っていたけど、
よくもまあ崩れずにそのまま育ったなあ。羨ましい。
…手は、武将の手だ。鍛錬を積んでいる手だ。苦労してるなあ、と思う。

じろじろ見ていると、居心地が悪くなったのか元就さんに軽く後頭部を殴られた。
私の攻撃は避けたくせに。不公平である。



「…痛い」
「じろじろ見るな、鬱陶しい」
「すみません」



減るもんじゃないしいいじゃないかと思いつつ素直に謝る。元就さんに逆らうと後が怖い。おぞましい。
ぶるっと震えていると、元就さんが寒いのか?と聞いてきた。いや、そんなことはありませんけど。
はあ、と息を吐く。もうだいぶ日も昇ってきた。夜明け前に比べたらぽかぽかと暖かい。
元就さんは、見たところ一人で来たようだ。でも一国の主が護衛もつけずに一人なんてありえない。
きっとあの茂みとか、あの建物の裏辺りに忍びさんがいると見た。いつもお疲れ様です。



「元就さんは何をお願いしたんですか」
「貴様こそ、珍しく何を祈っていた」
「おれ?おれは勿論商売繁盛ですよ。もっと店の皆が楽できるくらい儲けたいなあ」
「相変わらず卑しいな」
「職業柄、ね」



そう言ってへらりと笑う。卑しくなくて商売人がつとまるか。



「で、元就さんは」
「人に言うと叶わないと言うではないか」
「おれには言わせたくせに!それにね元就さん、人に言うことで叶う願いもあるんですよ。
 さあ怖がらずに言ってごらんなさい」



慈愛に満ちた眼差しで微笑むと、また殴られた。
ひどい。ひどい元就さん。商品の仕入れ値を一割増しにしてやりたい。
どうやって仕返ししようと考えていると、隣からぼそっと声が聞こえた。



「天下」



戦国の世の人の夢、天下。元就さんも、そんな夢を抱く立場になったのか。
それとも、松寿丸であったあの頃から抱いていた夢なんだろうか。そうか、世界は広い。
私のような商人には関係ないお話ですがね。うーん、天下か。



「元就さんが天下を取ったら、おれの店を城下町に作ってくださいね。大きいの」



私がそう言って笑うと、元就さんも口の端を上げて笑った。






その後、はどうやってここまで来たのかと聞かれたので、徒歩でと言ったらまた殴られた。何故。
何故馬で来ないのかと聞かれたので、馬に乗れませんと言うと、哀れむような目で見られた。
だって、だって。なんか動物に嫌われる体質のようで。最近発覚したんだけど。
馬にも乗ろうとしたことはある。でもね、蹴るんだよあいつ。蹴るんだよ?
目が可愛いのは認める。けど、でかいよ。怖いよ。ひぃたまらん。熊も怖いが馬も怖い。

今から歩いて帰ると日が暮れると元就さんに言われたので、
仕方が無くその日は元就さんの馬の後ろに乗せてもらった。ひぃ、揺れる。揺れる!怖い!落ちる!
あまり鬱陶しく騒ぐと落とすぞと言われたので必死で口を塞ぐ。…気持ち悪くなってきた。


息も絶え絶えに帰宅後、ご近所への年始のご挨拶もそこそこに
「そうだ、自転車作ろう」と動き出した私を、誰も責めたりはしないはずだ。





09/02/21