ちゃぷんちゃぷんと、手に持った瓶から心地良い音がする。
そのリズムに合わせて鼻歌を歌いつつ、通い慣れた城までの道をのんびりと歩く。

先日新しい年を迎えたばかりの私は、16歳になった。
ここでは誕生日ではなく、正月を迎えるときに年を一つとる。
今日は新年の挨拶と、無事に年をとったね今年もよろしく!と
お得意さんである元就さんに挨拶をしに行くところだ。





06.誰も知らない話





「新年、おめでとうございます。今年もよろしくお願いします」
「ああ、今年もよろしく」



寒い中、いつもの様に門番さんと挨拶を交わす。
新年早々お疲れ様ですね。またうちの店にでも来て下さい、と付け足した。
この門番さんも、たまにではあるがうちの店で買い物をしてくれるようになったのだ。
労いの気持ちをこめて、こっそりと好きだと言っていた駄菓子を握らせる。
慌てて返そうとするので、お年玉は貰えるうちが花なんですよ!と、無理矢理な理由で納得させた。
私だって、もうさんからお年玉貰えないのだから。世の中って世知辛い。







城に入ると、いつもと違って今日はきちんと謁見する広間に通された。
私と同じように、元就さんに新年の挨拶をする人がたくさん訪れるからだろう。
では次、と言われて通された先には、いかにも疲れました不機嫌ですというオーラを放つ元就さんがいた。
…私が相手と分かってるからって、そんな露骨にしなくてもいいんじゃないですか。



「…、お疲れのご様子で」
「分かっていることをいちいち口にするな、愚か者が」



これは相当に苛苛していらっしゃるご様子。
こりゃあ早めに切り上げるか、と手に持っていた瓶をドンと目の前に置いた。



「今日は新年のご挨拶に参りました。こちらは手土産です。
 忙しそうなんでもう帰りますね、今年もよろしくご贔屓に」



そう言ってさっさと退散しようとする私の背中に、「待て、」と声がかかる。誰が引き止めるかって、元就さんしかいない。
もう怖いから早く帰りたいんだって。さっきの元就さんの顔、夢に出そうだ。ああ怖い。



「それは何だ」
「酒ですよ。今年も無事に年とったし、酒盛りでもしようかと思ってたんですが。
 今日はお疲れのご様子ですし、またの機会にします。おれの分も取っといてくださいね。では失礼」
「待て」



今度は首根っこを掴まれた。ちょ、なんであの一瞬でこっちまで来れるんだ。
若干首が絞まって咽る。ひどいよこの人、手加減ってものを知らないのか。
恨みがましい目で睨む私をスルーして、元就さんは軽く言い放った。



「今日の来客は後2件で終わる。客間で暇でも潰していろ」



言い終わると同時に、ぺいっと広間から放り出される。受身など取れるはずもなく、廊下を無様に転がる私。
人間はもっとデリケートに扱いなさいって教わらなかったのか。帰っちゃうぞ。
しかし元就さんに逆らうのも怖いので、おとなしく客間に向かう。…はずもなく。
何かおつまみでも作ろうと、私は厨房の方へと足を向けた。










あの後厨房で七輪を借りた私は、客間に匂いがつくことも構わずにスルメを炙っている。
スルメは私が持参したものだ。さすがに厨房の人に「おつまみください」なんて、
図々しいことは言える筈がない。言った瞬間、何様のつもりだと天誅を食らう気がする。
ぱたぱたとスルメを焼く煙を仰ぎながら、元就さんの来客が終わるのを待った。
スルメの匂いが客間に染み付くのは天誅に値しないのかというツッコミは無視。聞こえない。



いい具合にスルメが焼けてきた頃、部屋の襖を元就さんが開ける。
部屋中にいい感じに充満したスルメの匂いに、その綺麗な顔を若干歪ませた。



…何をしている…」
「いやあ、酒にはおつまみがいるかなと。スルメですよ、スルメ。ご存知でしょう」



正月に店に帰ったときに、さんから貰った奴だからきっと美味しいはず。
そう言いながら、いい具合に炙られたスルメを細かく裂く。いいつまみができた。

酒も勿論良いものだ。うちで仕入れている、とびきりうまい酒の中どり。
中どりとは、其の名の通りに「いいとこどり」ってやつである。
こちらで初めて酒を飲んだのは15歳の元服した頃だから、一年ほど前か。
その時にこれと同じ酒を一口飲んだのだけど、あまりのうまさに感動して泣いた。
元就さんにしょうもない品を献上すると何十倍の嫌がらせで返ってくるという噂を聞いたので、
奮発してとびっきりのを用意したのだ。褒めてくれ。



「あ、今日のお花はそっちに置いてます。勝手に一輪挿し借りました」



そう言って指差した先には、綺麗な水仙。店の常連のおじさんが、
「食ったらいかんけど、見る分には綺麗だよなあ!」と笑いながら、新年のご挨拶にくれたものだ。
そう、水仙って毒らしい。食中毒起こすんだって。こんなに綺麗なのに。綺麗な花にゃあ毒があるってか。



「毒があるらしいんで食べちゃ駄目ですよ」
「…馬鹿にしているのか」



そう呆れたように言って、私の前に座る元就さん。
置いてあった杯を勝手に取り、こちらに差し出してくる。注げってか。このお坊ちゃんめ!
仕方がないので大人しく酒を注ぐ。勿論私は手酌だ。元就さんが人に酌をしているところなんて想像できない。
軽く乾杯して、二人でくいっと煽る。っかー、おいしい!やっぱ泣きそう。



「無事に今年も年とりましたね」
「ああ」
「元就さんとこうやって酒飲むのは、初めてですね」
「そうだな」
「今日もお勤めお疲れ様ですー」



そう言いながら、また小さく杯を掲げる。少し間を空けて、元就さんも同じようにしてくれた。
それと同時に、「もであろう」と小さな声が聞こえて、ちょっと嬉しくなる。
元就さんは城主としての仕事を、私は店主としての仕事を。
お互いやっていることは全然違うが、互いに労う気持ちはある。



「この酒は…美味だな」
「でしょう。おれさっきから泣きそうだ」



そう言いながら、二杯目、三杯目と二人でぐいぐい飲む。
勿論スルメをつまみながら。このスルメがまたおいしい。
噛めば噛むほど味が染み出てくる。これぞスルメ。まさにスルメ。
今度さんにお礼の手紙書かなくっちゃな、なんて考えながら、またひとつ。
元就さんも黙々と食べているから、きっと気に入ってるんだろう。










そのまま二人で延々食っちゃ飲み、食っちゃ飲みしていると、
なんというか調子に乗りすぎた私は、何が何だか分からなくなっていた。つまるところ、酔った。



「ははは、元就さん何人いるんですか、いつの間に忍びに?分身の術!」
「…、貴様酔っているな…」



また随分鬱陶しい酔い方を…なんていう元就さんの呟きは聞こえない。聞こえないったら聞こえない。
この分だと今日は一人で帰れそうにあるまい…と、元就さんが私を家まで送る手筈を整えようとした時、
私は口を開いた。



「元就さん、面白い話をしてあげましょうか。誰にも話したことのない話」



そう言いながら、にやりと笑う。
また変な話か…と元就さんは呆れながらも、もうしばらく酔っ払いに付き合うことにしたようだ。



「何だ、聞いてやるから、さっさと話せ」
「ふふふ、元就さん。神隠しって知ってますか。人間が元いた場所から、いなくなるんですよ」
「話には、聞いたことがある。が、それがどうした」
「神隠しに会った人間は、どこに行くと思いますか」



そう言って、びしりと一本人差し指を立てる。



「そのままどこか違うところに行く、っていうのが一般説ですがね」
「そのようだな」
「しかし、そうじゃない場合もあるんですよ。
 自分が自分じゃなくなる。自分のまま渡らない。自分なのに自分じゃない。
 体をどこかに落っとこしちゃうんですかね。妙な話だ」



けらけら笑いながら、話す。
元就さんは、酔っ払いの相手は疲れるとばかりに酒を飲んでいる。



「おれの考えだとそういう人は、死ぬことで体から解放されるんです。
 ようやく自分が自分のものになる。自分だけのものだ。
 そこでやっと、元いた自分の場所へ帰れるんですよ」



私も、いつかきっと帰る。

どこまで話したのか、何を話しているのかどうかもよく分からないまま、
気付けば私の意識はそこでブラックアウトしていた。






翌日。自分の店ではなく、スルメくさい客間で目を覚ました私は、
酒は飲んでも飲まれるなという有難いお言葉を元就さんから頂戴することになる。
それからしばらく元就さんは、「は酔うと絡んでくるので鬱陶しいことこの上ない」と
私と酒を飲んでくれなかった。その上私が持参した酒はしっかりと没収するのであった。ひどい。





09/02/15