長かった放浪の旅が終わりを告げたのは、なんやかんやで15歳になった頃だった。
最初にさんに1〜2年くらいと言われた時には、「そんなに長く!」と思っていたけど、
色んなとこで商売するのは想像以上に楽しくて。気がつけば3年近く放浪していた。

勿論きちんと商いはしていたので、元手のお金は減るどころかかなり大幅に増えていた。
安くでいい商品を仕入れて、ほどほどの値段で売る。良心的な商売が功を奏したようだ。
話術もそれなりに鍛えられ、今だったら関西に行ってもやって行けそうな気がする。
もうかりまっか、ぼちぼちでんなぁって言ってみたい。商売人としての夢ですよ。
けど白い目で見られそうな気もする。望むところだ。





04.神よ、回避策などないのだよ





そもそも、そのまま放っておいたらずっと放浪してそうだった私が
何故店に戻ったかというと、元服のためである。こっちの成人式のようなものらしい。
14歳になった頃から、さんからの手紙でそろそろ元服すっぞーとは言われていたのだけど
元服とは?はて?元気に服でも着るの?いやいやそりゃないよと、疑問に思いつつ無視しているうちに
あのさんが書いたとは思えない丁寧な字で書かれた、長ったらしい手紙が届いた。
元服について逐一丁寧にねちっこく書かれたその手紙を読んでいると、
やば、無視してたこと怒ってんな…と、かなりキレてそうな雰囲気を察した私は、
その時お世話になっていたところを挨拶もそこそこに飛び出した。
あの人、怒るとマジ怖いんです。拳骨で米神グリグリするのはやめて。本気でやめて。





様々なコネを使い、必死の思いで店に戻った私は、さんに速攻ラリアットを食らわされた。
強烈なそれに、自分に使われるために教えたんじゃない…と悲しくなった。ちょっぴり涙が出た。
早速、想像してたより地味だった元服を済ませた私を待っていたのは、目が回るような日々であった。
そう、あの武者修行の旅は、店の皆を十分納得させられるような利益をあげられたらしい。
とうとう私は店主になってしまったのだ。
さんの狙いは最初っからこれだったに違いない。間違いない。

晴れて私も店主となって、自由にレッツ放浪!…ということには勿論ならなかった。
あちらこちらのお得意さんへの挨拶回りでせわしなく日々が過ぎる。
自分も大概顔は広くなったつもりだけど、さんの顔の広さは半端なかった。なんだあの人。


そういえば、元服したら名前が変わるらしい。
せっかくで定着してきたのに、どうするのかなあと思っていたのだけれど、
どうやら「」という名を襲名するようだ。代々店主の名はこれにしているらしい。
なんでもお得意さんに名前を覚えてもらう手間を省くためとか。はぁ、そりゃなんとも無茶苦茶で。
私がさんの名前を名乗るなんて、非常に変な感じである。
とはいっても、正式な商売の場でのみ使えばいいらしいので、普段はだ。今まで通りである。
さんの本名は知らない。未だにさんと呼んでいる。
さんも私のことは変わらずと呼ぶ。
ただ、店の人がさんと呼んだときに返事をするのは、私だ。変な感じ。















「お初にお目にかかります。三代目、と申します」



どうぞよしなに。
そう言って、深く頭を下げた。


今日やってきた城の城主さんは、若い。けれどものすごく怖いと噂で聞いていたので、
失礼があってはならないと物凄く緊張している。ヒィ、前からの気配が怖いよ、オーラが怖いよ。
しかも今日に限ってさんはついてきてくれなかった。薄情者め。
いやぁ、行商中は色々あったけど、さすがにこんなプレッシャーを感じるのは初めてだ。
頭が半分真っ白になりながらも、慣れた口上で挨拶の言葉を紡ぐ。
さすがにね、このひと月ずっとそればっか言ってたら覚えてしまう。んでもって飽きる。我ながら退屈。
なんて思ってることは勿論顔には出さず、今後ともご贔屓に。という締めの言葉で無事挨拶を終えた。


こちらの部屋でごゆっくりなさってくださいと通された部屋は、なんというか豪華である。
現代で見慣れたシャンデリアどーん!とかそんなんじゃないけれど、
洗練された美しさというか…古き良き日本!という感じだ。語彙のない自分が悲しい。
恐らく今日の夕餉はご馳走になる形だろうから、ゆっくりするか。
窓の外を見渡し、おお、いい眺めーなどと楽しんでいたら、すらっと入り口の障子が開いた。

おいおい、ノックしろよ…と思ったけど、したら破けるね。失礼失礼。
ノックが駄目なら、ええとそうだ、声くらいかけてちょうだいよ。
着替え中だったら思わぬドッキリハプニング発生だ。困るなあと思いながら振り向くと、
そこには先ほどまで対面していたはずの城主がいた。思考が止まる。




「おい」
「はい、城主様がこのようなところへ何の用でございましょう」




内心ヒィィしゃべった!等と考えていることは顔に出さずそう言うと、
目の前の城主は…きれいな顔してるなこの人。それはまあ置いといて。
ええと…怒ってる?え、そんな、挨拶何もミスんなかったのに。何がお気に触ったのでしょうか。




「貴様、」
「はい、どうかしましたか?」
「名はなんという」
「…はい?」
「…もうよい」



予想外の質問に、気の抜けた返事が出た。
呆けてたらそのまま城主が踵を返そうとするので、慌ててがしっと袖をつかもうとしたら
相手のほうが一枚上手だった。腕を振ってひらりとかわされる。なんだその優雅な動作。何故か悔しい。
そのまま部屋を出て行く城主の後ろを、仕方がないのでてくてくと追いかける。
それでも彼は止まってくれないので、そのまま話しかけた。



「えっと、おれ、最初にって名乗ったと思うのですが」
「あれは、貴様の名ではないだろう」
「良くご存知ですね!ええ、そうですね。代々襲名するので」
「それではない、貴様の名だ」
「はぁ、と申します」



と言うと、彼は立ち止まって、くるっと振り返る。
いきなり止まるから吃驚した。突然のことにブレーキをかけそびれて、少しだけ距離が縮まる。
先ほど挨拶をしている時よりも良く見える彼の表情は、少し目を丸くしているように見えた。



「…変わった名、だな」



ええ、そうですね。だって名字だもん。
とは言えずに、はぁ、よく言われますと笑っておいた。
また彼が表情を変えたように見える。無表情みたいに見えるけど、割と顔に出やすいんだな。



「変わった話をするそうだな」
「本当に良くご存知ですね。代替わりしてからは一度もしてないんですが。
 人に聞かせられたものじゃない与太話だとは思うんですがね、
 昔、店にいた頃はありがたいことに皆様からご好評頂いておりました」

「昔とは?」
「この3年ほど、旅に出ていたもんで。
 武者修行ってやつですかね、店主になるための登竜門みたいなもんでした」



この城主は、意外とよく喋る人のようだ。口数は少ないけれど、会話自体は進む。
まあ私がよく喋りすぎってだけかもしれない。自分で言っててちょっと悲しい。
それにしても、城主を廊下で立ち話させるなんて、大概失礼なことをしているんじゃないだろうか。
しかし、目の前のその人は怒り出す様子もない。
しばらくその場を沈黙が満たした。どこかで海鳥の鳴く声がする。海が近いのか?

どこか心地良い沈黙のあと、城主が顔を上げた。
目がまっすぐにこちらを射抜く。なんていうか、涼しげなくせに力がある目だ。
…何年か前にもこんな表現したことがあるような気がする。
語彙に進歩がないことを自覚しろってことだろうか。



「…客の顔の覚えはいいのではなかったか?」



そう言い、口の端をくっと上げて、笑う城主。
え、え、えー…前に会ったことあったっけ。でもどっかで見たことある気も、する。
しかし挨拶したときに聞いた名前に聞き覚えはなかった。どういうことだ。

頭の上にハテナを山ほど飛ばしていることに気付かれたのか、
城主はどことなく人を見下したような笑みを浮かべた。



「今宵の夕餉では、日食の話とやらを聞かせてもらおうか、



そう言った声に、聞き覚えがあるような気がして。
ぴん、とひらめいた。



「しょ、松寿ま「城主様の名を呼び捨てにするつもりか?」



松寿丸。本当にいいとこのお坊ちゃんだったのか。
3年ほど前、私に神様は不公平であると思わせたあの美少年は、
捻りに捻りを加えてもうひと回転してむりやり真っ直ぐにさせました、というような育ち方をしたらしい。
やばい、最初に名前思い出さなかったことを相当恨んでいらっしゃる。
根に持つタイプか。顔はこんなに順調に綺麗に育ったのに。性格はあの頃からややひねてたけど。



「あの頃はおれに素直に手を振ってくれたのに!」
「そのようなことは知らぬ」



もはや城主に対する態度じゃない。
気がつけば口調はぐだぐだである。所詮私の店主メッキなんてそんなもんだ。すぐ落ちるのがウリ。
その時、ピシッ!と天井から少々殺気を感じたような気がしたが、松寿丸が左手を上げると治まった。
ああ、あれか、忍びってやつか。すごいね本当に物騒だ。



「おれ、この話し方、まずい?」
「ただの商人であれば、もう貴様はここにはいないであろうな」



ここって、この世ってことですね。はい、分かります。
冷静にそう告げた松寿丸は、ひどいと思う。人情はどこに捨てたんですか。拾っておいで。



「ただの商人って、おれ、ただの商人なんですが。しがない三代目。ひよっこ店主」
「調べたところ、貴様の話には色々利用価値があるからな」



つまり、話さなくなったら用済みと。ひどい。
それにしても、私はそんなに利用価値のある話はしてないはずなんだけど。
天体とか、現実には作れない乗り物とか、意味ないでしょう。お坊ちゃんの考えることはよくわからない。



「買うもんは買っていただきますよ」
「…相変わらず意地汚い商売根性だな」
「商売人なもんで。褒め言葉として受け取っておきます」
「貴様、危機感というものはないのか?」
「いや、まぁ、」



そうなったらその流れでしょ。と呟いた。
ここに来て5年を過ぎた頃、思ったのだ。死んだら戻れるんじゃないかと。
試すにはリスクが高すぎる賭けなので、試せていないけど。
あと、まだまだここを堪能したいので、まだ当分は死ねない。
しかし、死ぬ時が来たら流れに任せようと思うのだ。もちろん怖い。怖いけど、



「まあ、簡単には死にませんよ。
 今は、あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたいーって気分なんです」



そう言ってへらりと笑った私を、どこか呆れたような顔で松寿丸は見ていた。



「さぁさぁ松寿丸もそろそろ執務に戻りましょう。おれは夕飯までこの城を探検します」
「貴様、忍びに殺されるぞ」
「やばいとことやばくないとこの判断くらいつきますよ。この廊下の先には行かない」



それに、私は知っているのだ。うちの店は、すごくでかい。
この国の戦国大名みーんなお世話になってるんじゃないかってくらい、でかい。
だから、この城の人たちが私をさくっとやれちゃうのと同じくらい簡単に、
この城への物資の供給を止めることができる。おちゃのこさいさい!店主を舐めるな。
だから、余程やばいことをしない限りは大丈夫だと思う。
松寿丸もそのことが分かっていて、私を大目に見てくれている部分もあるんだろう。
うちの店を敵に回すと後悔するよ。特にさんは敵に回さない方がいいと思うよおっかないから。



「ならば良いが。あと、我はもう松寿丸ではない」
「ええと、城主様」
「毛利元就だ」
「毛利様」
「女々しいな。貴様はもっと図々しいはずであろう」
「うるさいですよ、これでも一国の城主を呼び捨てにすんのはまずいかなって思うんです」



松寿丸と呼んでいた癖にか?という言葉は聞こえない。
幼名なんだしいいじゃないか、けちくさい。



「じゃあ元就さん、おれの名前も貴様じゃなくてです。あ、今はか」
というと、あの薄ら寒い忌々しい男を思い出すからいい」



何やったんだ、さん。
とりあえず元就さんとはその場で別れ、夕餉までに日食の話の予習をすることにした。

夕餉のときの元就さんの食いつきっぷりといったら恐ろしいものがあった。
いや、食事じゃなくてね。食事はそらもう優雅に食べてはりましたよ。
そうじゃなくて、日食に対する食いつきっぷりね。日輪が欠けるのか!とあの松寿丸…元就さんが叫んでいた。
キャラかわってんぞ、おいと心の中でつっこんだ。




09/02/11