神社の人に、少し探検してきますねと断って海岸の方に来た。
今は、夏だ。とても暑い。なので、久しぶりに泳ぎたいと思いまして。
浜辺に着いたら、思い切りよく着物を脱ぎ捨てる。気分はハリウッド!うそですごめんなさい。
脱いだ着物と荷物をまとめて、さんの店から仕入れた防犯用品でガードする。
ネズミ捕りのような仕組みをしたそれは、単純だけど意外と効果がある。
実際、何度か盗まれそうになった荷物を守ってくれた素敵に頼れるヤツだ。
手を挟まれて苦しんでいる泥棒には、問答無用で必殺急所蹴りをお見舞いした。
男になって思う。あの攻撃は、死ぬ。

ああそうだ、男になってよかったと思うことは、着替えに気を使わなくていいということだ。
どこでも脱げるよ!露出狂ではないので通報はしないでね。
若い頃から筋肉をつけすぎると背が伸びないと聞いたので、適度に筋トレをしている体は
そこそこに筋肉がついているけれどマッチョというほどでもなかった。
成長期が過ぎたら腹筋を6つに割ろうと思う。男のロマンだ。





03.夏の空色、君の声





ざばざばと泳ぎ、ひとしきり潜って遊んで、疲れた頃に浜に上がる。
少年の体力って素敵だ。ここでも男の良さを実感する。
ごろんと浜に転がって体を乾かす。全身に砂が付いたけど、乾けば関係ない。

そんな私は現在水中眼鏡を装備中。現代っ子の私はこれ抜きで海には入れない。目が染みる。
この世界は戦国時代の割に技術が進歩しているから、もしかしたら作れるかも…と
さんにこんな便利道具ってどうよ?という話をしたら店の皆もノってくれて、作ったものだ。
ちなみにまだ試作品なので、商品としては出していない。隙間があって、じわじわと水が中に入ってくる。
まだまだ改良の余地はあるけど、無いよりはましだ。

浜には、私の他にも近隣の村の子ども達がいた。まあ海水浴日和だし。気持ちいいもんねえ。
うつらうつらしているうちに、体も乾いてきたようだ。さあもう一泳ぎ、と思ったところで、
せっかくの海だというのに、着物姿のままで浜に立っている少年を見つけた。
見たところ自分と同じ年くらいだろうか。なんだかものすごく欝そうなオーラが出ている。
気になったので話しかけることにした。というのは口実で、一人遊びに飽きたからなんだけど。
行商に出てから人見知りという言葉は私の中に存在しなくなった。何それ美味しいの?



「こんにちは」



軽く挨拶をしてみた。
少年はへらりと笑った私を見て胡散臭そうな顔をし、無視をした。まあこれは想定内だ。



「おれ、っていうんだ。君は?」



また無視された。いいのよお姉さんこんなことじゃめげないから。うわあ、自分で言って鳥肌立った。
それにしてもまあ、綺麗な顔をした少年である。浜辺にいるくせに、つるんとした白い肌。
一重のすっとした目は、なんていうか涼しげなくせに力がある。鼻筋も綺麗にすうっと通っている。
こういうのを美少年というのだな…いいなあ…自分がこんな顔だったらハーレム築けただろうなあ…と
心底羨ましく思って眺めていたら鬱陶しくなったのか、美少年が口を開いた。



「…何の用だ」
「いや、暇で」
「失せろ」



しまった、正直に言い過ぎた。商売が絡んでないと、つい本音が出てしまう。
気分を害してしまったようなので、お詫びのひとつでもしなければ。
まあ元から機嫌悪かったっぽいけども。そこは気にしない。
ここはひとつ営業トークでも開始しましょうかね、商売人らしくね!
私の商売道具にはいろいろあるんだ。きっと気に入るやつがあるはず。



「ごめん、冗談。気分を害したのなら謝ります。ごめん」
「いいから失せろ」
「おれ、行商の旅の最中でね。お詫びに何か好きなものあげるよ」



そう言って、浜辺に着替えと一緒に置いてあった風呂敷をべらりと広げる。
中から現れたのは、そんなに高価じゃないけど見る人が見たら中々価値のあるものばかりだ。
さあどれがいい?と笑いながら美少年を見ると、自分の頭を見られていることに気付く。
変な寝癖でもついてるかな、と思って手をやると、こつんと指先に水中眼鏡が触れた。
ああ、これが気になるのか。



「これ?これは水中眼鏡ってやつ。これがあると海水で目が染みないんだよ。
 おまけに水中がはっきり見えてとても便利!今なら大特価!…と言いたいところなんだけど、
 これは試作品で駄目駄目だからあげられないんだ。それでもいいなら使ってみる?」



美少年はしばらく無言だったけど、好奇心に負けたのか、こくりとひとつ頷いた。
ようし、それじゃあ行くぞ!とザブザブ波を掻き分けて海中へと進んだけど、美少年がついてこない。
あれ?と思い振り向くと、波打ち際で止まっていた。そこで私は、彼は着物姿のままだということを思い出した。



「あ、ごめん!そのかっこじゃ無理か。じゃあ浅いとこ見る?」
「…服を着たままで良いのか?」
「足を浸すのも嫌だったら無理だけど。着物の裾、帯に挟んだらいけると思うよ」
「それならできる」



そっか、よく見たら綺麗な着物だもんな。いいとこの坊ちゃんなのかな?
きっと汚したら親に怒られるんだろう。スパルタなママって嫌だね。
だから海も見てるだけだったのだろうか。海自体は嫌いじゃないといいな。



「浅瀬じゃそんな綺麗に見えないけど、小魚くらいは見れると思うよ。はい、眼鏡」
「…どのように着けたら良い?」
「えっと、頭からすぽっと…そうそう、目を覆うように。
 そんで、あんま顔つけると襟元が濡れると思うから、その眼鏡だけ水面につけて、顔は浮かす感じで…」
「こうか」
「そうそう。なんか見える?」
「…砂が見える」



そう言って美少年はそのままの体制でじーっと固まっている。
うん、最初はみんなそうするよね。夢中になっちゃうよね。
表面だけを水につけているためか、水中眼鏡の中に水は入ってこないみたいだ。よかった。



「魚、いる?」
「ああ…偶に」
「そっか」



しばらくそうしていて満足したのか、美少年は顔をあげた。
うーん、水中眼鏡も似合うって、美少年ってやつはお得だな。
どことなく名残惜しそうにそれを外して、私の方に差し出した。どうも気に入ったみたいだ。



「…返す」
「いいよいいよ、君このへんの子だろ?おれ、しばらくここらへんにいるつもりだから、
 帰るときになったら言うよ。そんとき返してくれれば。というか不良品でいいならあげる」



そう言ってへらりと笑うと、美少年は少し呆気にとられたような顔をした。
その時だ、きゃー!という、子ども特有の甲高い悲鳴が聞こえたのは。
どうしたのか?と思って声のした方を見ると、海で小さな子どもが溺れている。
周りの子も助けに行こうとしているのだが、怖くて足が動かないようだ。



「っちょ、ごめん君ちょっとこれ借りるよ!」



そう言って美少年の手から水中眼鏡をひったくる。少々乱暴な手つきになってしまったのはこの際勘弁して!
浜辺をダッシュして、子ども達がわぁわぁ騒いでるところまで行く。
あそこか!と海に入ろうとすると、混乱状態になった子ども達に手をつかまれた。



「だいちゃんが!だいちゃんが!」
「兄ちゃん助けて!」
「あああ分かった、だいちゃんとやらは助けるから、分かったからお前ら手を離して!」



子ども達の手を振り切って、ばしゃばしゃと海に入る。
だいちゃんと呼ばれていた少年は、今にも力尽きそうだ。歩いてたら間に合わない。

すちゃりと水中眼鏡を装着して泳ぐ。泳ぎ方は勿論クロールだ。平泳ぎなんて悠長なこと言ってられない。
少年のところにたどり着き、後ろからがばっと羽交い絞めにする。昔テレビでやってたのを覚えててよかった。
クロールはできるけど立ち泳ぎはできないんだよな、どうしようと思っていると、
力を抜いたときに普通に海底に足がついたのでほっとする。さすがに人を抱えながら泳いだ経験はない。
私がギリギリ足が届くくらいだから、この少年の身長だと届かないだろう。
あとちょっと、気合を入れて浜辺まで歩きながら思う。体力ついてて本当に良かった…!

なんとか無事に浜辺までたどり着くと、涙目の子ども達に迎えられた。あ、美少年もいる。
何はともあれ助けられてよかった、と抱きかかえた少年を見ると、ぐったりしている。
…いつから?!しまった、そこまで気がつかなかった。



慌てて砂浜に横たえて、胸に耳をあてる。…よし、心臓は動いてる。
だいちゃんは?だいちゃんは?死んじゃうの?と騒ぐ子ども達はとりあえず無視だ。
しーっ、先生の邪魔しちゃだめ!なんて注意してくれる人がいればなあ。
気がつくと、すぐ傍にあの美少年もいた。こちらをじっと見て口を開く。



「…水を飲んでいる、もう駄目であろう」
「決め付けるのはよくない。まだ心臓は動いてる、大丈夫」



そう言って、必死に記憶を辿る。心肺蘇生法…人工呼吸、人工呼吸。
保健体育でやったやつだよ。思い出せ。…まずは、気道確保。
少年の顎をくいっと持ち上げ、気道を確保する。訓練の時のように余裕は無い。
そこからは必死だ。あんまり何をやったかも覚えていない。だって人命が懸かってる。必死だよ。


しばらく人工呼吸らしいものを繰り返しているうちに、少年の口から小さな音が漏れた。
と思ったら、ごほごほっと咳き込んで、口から水を吐き出す。
ああ、よかった。助かった。
周囲の子ども達から歓声があがる。



「だいちゃん!だいちゃん!」
「あれ、ぼく…」
「そこの兄ちゃんが助けてくれたんだよ!」
「大丈夫?」
「鼻、痛い…けど、大丈夫」



あっという間にわらわらと子ども達に囲まれてしまった少年を確認し、
もう大丈夫だろうと立ち上がる。未だに心臓はバクバクだ。慣れないことはするもんじゃない。
兄ちゃん、ありがとー!という声に、もうあんま深いとこ行くんじゃないぞーと諭す。
はーい!といい返事が返ってきた。この子達は素直な良い子になるだろうな。
ぱたぱたと駆け去っていく少年たちを見送る。回復力早いな、だいちゃん。達者でな。
ふと横を見ると、美少年がじっとこちらを見ていた。
あ、水中眼鏡。



「あ、ごめん、これ勝手に取っちゃって。返すよ」
「…それは元々お前のものだろう。いい。それよりさっきのは何だ」
「えっと、今のは人工呼吸って言うんだけど。これ以上はお客さんにしか話せないなあ」
「じゃあ何か買う。さっきの商品をもう一度見せてくれ」



そう言われたら従うしかないではないか。大事な商売のチャンスだ。逃す手はない。
荷物を置いてあるところまで戻り、とりあえず風邪をひく前に服を着る。
その後は広げた風呂敷の前で商談だ。商品に関する質問に、丁寧なようで大雑把な答えを返す。
そのうち、美少年が黒い小さなガラスを手に取った。



「これは何だ」
「えっと、それは太陽を見ることができるんだ」
「太陽を?」
「うん、直接見ると眩しいでしょ?あんま見ると失明するらしいし。そこで、お手軽に太陽の形を見れるのがこれ」



やってみる?と手渡すと、少年は素直に受け取って空を見る。
今日はいい天気だからよく見えているはずだ。



「丸い」
「でしょう?日食の時とか、よく見えるんだよ」
「日食?」
「人工呼吸の話と日食の話、どっちがいい?」



そう言ってへらりと笑う。美少年は無表情ながらものすごく悩んだ。見てる分にはものすごく面白い。
しばらく放っておくと、決意を固めたように口を開いた。



「人工呼吸とやらの話だ」
「ん、分かった」



それからは人工呼吸について、自分が知っていることを話した。
一回じゃ覚えきらないだろうと思って、もう一回話そうと思ったんだけど止められた。
どうやら一回で覚えたらしい。なんと頭がいいのだこの美少年は!顔も頭もいいなんて神様は不公平である。
商品のお代はまけといた。ガラスに煤付けただけだし。
あ、でもガラスは結構高級品か。まあいいや。

気がついたらだいぶ太陽が傾いている。そろそろ帰るかな。
神社では夕餉が準備されているはずだ。あんまり待たせるのも悪い。



「じゃあおれ、そろそろ帰るね。君もお元気で。また会うことがあればどうぞご贔屓に」
「…待て」



ささっと荷物をまとめて立ち上がると、意外なことに止められた。何でしょう。



「…もう一度名前を聞いても、いいか」
「ああそっか、あんな色々あったら忘れちゃうよなあ。おれは、です」
か」



そう言って美少年はこくりと頷いた。
そういや、この美少年の名前聞いてない。いつまでも美少年と呼ぶのもめんどくさい。
でも、この時代の名前は長ったらしいのが多いからなあ。美少年と比べてどっちが短いかな。
最初に聞いても答えてくれなかったので、ちょっとワンクッション置いて聞いてみる。



「お客さんの顔は結構覚えがいいつもりだけど、よかったら君の名前を聞いてもいいかな」
「…松寿丸」
「見たとこ同年代っぽいし、呼び捨てにしても?」
「…別に構わない」
「ありがとう松寿丸。おれ、あと数日はこのへんで商売やるつもりだから。また縁があれば話でもしよう」
「ああ」
「それじゃあ、松寿丸も帰り道には気をつけて。んじゃあ」



手を振って別れる。松寿丸という少年は絶対振り返してくれないだろうな、と思ってたけど
しつこく振っていたら諦めたように手をあげて、ひらひらと指先を軽く振ってくれた。うん、満足。
今日は色々あって疲れたので、きっと夕餉が美味しいだろう。





09/02/09