05:下克上なんて知ったことではない


ぱん、ぱん、ぱん、と軽快な銃声が鼓膜をぽっぽこと揺らす。
別に銃撃戦が行われている訳じゃない。その証拠に私は生きている、システムオールグリーン。
銃撃戦が行われていたら真っ先に死んでいる自信があるよね、無駄にね。
少し前に流行った音楽が流れ出して、周囲が歓声に包まれた。ワーオ盛り上がってます。

ちゃん、こないだ言ってたカッコイイ先輩走ってるよ!」
「え、うそ、どこ」
「あそこだよ、ホラホラ」
「ワーイ見事に後姿しか見えないね!」
「見るのが遅いちゃんが悪いんだよー」

くすくすと笑う友達の頭を軽く小突く。ああ、見たかったな。
騒がしいクラスメイトの集団に囲まれて、私はうーんと大きく伸びをした。
ポケットに入れていたプログラムを取り出して、ぺらりと開く。
皺だらけのプログラムの表紙には、【泣いて笑って体育祭】と書かれていた。
そうなのだ、今日は高校生活の中で結構大きいイベントの一つである体育祭なのだ。
面倒くさがりの私にとっちゃ少しばかりご遠慮したいイベントでもある。
でも、この盛り上がってる空気はとても好きなのでサボったりしないのです、よいこだからね!

さて、少しかっこいいなと思っていた先輩を見るのに失敗してしまったので、
今度は失敗する訳にはいかない。今度って?決まってるじゃないか、真田君だ。
運動神経バツグンの彼は花形の競技に出るんだよ、と1組の友達が言っていた。
確かに、1年の時も真田君は大活躍していた。とても眩しくて格好良かったのを覚えている。

確かあれだ、ラストのクラス対抗リレーに出るはずだ。

「あ、さんいいの持ってる」

じっとプログラムを見つめていると、背後から声が掛かった。

「猿飛君」
「ちょっと見せてよ」

後ろから伸びてきた長い指が、自然な動きで私の手からプログラムを奪う。なんと鮮やかな。
奪った割にはあまり興味がなさそうにプログラムを眺めている猿飛君は、
小さくあちーなんてぼやいているけど首筋には汗一滴見当たらない。

「真田君はクラス対抗リレーに出るよ」
「知ってるよ」
「じゃあなんでプログラムを見るんだい」
「どの競技の時に集合したらいいのかなと思ってさ」
「あれ、猿飛君何に出るの」
「同じクラスでそれってひどくない?」

猿飛君は何が面白いのか分からないけど、とても面白そうにからからと笑った。

「そういうさんこそ何に出るの」
「同じクラスでそれってひどくない?」
「まあお互い様だよね」
「ですよね」

にやっと互いに笑って、プログラムの一点を指差す。

「これ」
「パン食い競争?こりゃまたイロモノだね」
「私のパン食い技術を舐めてもらっちゃあ困る!」
ちゃん、去年も一番だったもんね」

友達が隣でくすくすと笑う。
猿飛君は興味があるのかないのか良く分からない顔で「ふーん」と呟いた。

「で、猿飛君は?」
「俺様気が重いんだよね」
「回答になってないよね」
「旦那と戦うなんてさあー」
「ケンカは身体の健康上よくないよ?」
「ここまで言えば察して欲しいよね」

心底呆れたように猿飛君が息を吐くので、ちくしょう馬鹿にするなとプログラムを奪い返した。
そこでハタと気付く。なるほど、真田君と戦うのは。

「クラス対抗リレー?」
「そ」
「一番血湧き肉踊る競技じゃんか!なんで気が重いの?」
「ん、まあ色々あってね」

そう言ってため息を吐いた猿飛君。ああ、そういや彼は真田君の保護者だった。
色々立場的に複雑なところがあるんだろう。まあがんばりたまえよ、という意を込めて、
小さく項垂れていたその頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜてみた。意外とやわらかい。






すさまじい歓声が私の鼓膜をビリビリと刺激する。
周囲の盛り上がりが半端ない。なんだこれ。ちょっとしたライブ会場みたいだ。
まあそりゃあ仕方ないかな、と内心納得する。だってこれからラストのクラス対抗リレーなんだから!
ここで熱くならずしていつ熱くなるのだ!!
気合を込めて右手をぎゅっと握ったら、プログラムがぐしゃっと瞑れた。ごめん。

ちゃん何拝んでるの?」
「いや、ちょっとプログラムに謝罪を…」
「そんなのいいからほらほら、真田君だよ!」
「えっうそどこどこ」
「あの集合場所のとこ!」

友達が指差した方を必死に探すと、すぐに真田君は見つかった。
身体をほぐすためだろうか、真剣な表情でアキレス腱を伸ばしている姿は私の胸にドキュンとヒットした。
1組の赤いハチマキがとても良く似合っている。あーたまらないよ私の心のオアシス!
心の中で叫んでいると、視界に綺麗なオレンジ色が混じった。


あ、猿飛君だ。


3組の緑のハチマキをした彼は、するすると自然に真田君に近づいていった。
ここから見える彼の背中はなんだか固く見えて。やっぱ緊張するのかな。
そんな彼に気付いた真田君がパッと顔を上げ、ここからでも聞こえるほど大きな声で叫んだ。


「佐助ェ!!手加減などしたら、某は許さぬからな!!!」


その台詞は、さらに周囲の歓声を煽る結果になった。怒号の如き歓声が鼓膜をゆさぶる。
私の鼓膜が死んでしまうわーと耳を塞いでいると、猿飛君の背中から固さが消えた、気がした。
ああ、きっと今猿飛君は、気の抜けたような顔で笑っているんだわ。

ちゃん?何笑ってるの?」
「ん?ああいや、なんでだろ、ちょっとなんか嬉しくて」

パーン、と開始を告げるピストルが鳴った。
一瞬で目の前を過ぎていく走者に、思わずぽかんと口を開ける。
はや、はや、速い!さすがクラスで選ばれた猛者共だ!
真田君と猿飛君は?と思わず視線を走らせる。彼らは列の一番後ろに並んでいた。

「二人揃ってアンカーですかい!」
ちゃん何つっこんでるの?!ほら3組1位だよ!応援して!」

友達に怒られたので素直に応援する。がんばれー3組まけるなー3組!
始まって見ればリレーなんてあっと言うまで、とうとう次が最終走者だ。
現在3組は2位。1位は1組。どうする、どうすんの、猿飛君!
どうして私がこんなにソワソワしなきゃいけないんだ!とアンカーの二人を探すと、
私の心配なんて知らない様子で二人はスタート位置に立っていた。そりゃ知らなくて当然だけどさ!

1組のバトンが真田君へと渡る。その3秒後に猿飛君へ3組のバトンが渡った。


う わぁ。


眩しい。


真田君が眩しいのは知ってたけど、猿飛君が、眩しい。
それほど二人は速かった。すごかった。こういうとき語彙がないのはひじょうに悔しい。
二人の差がどんどん詰まる。詰まる。詰まる。並んだ。
私の右手でまたプログラムがぐしゃりと瞑れる音がする。


「今こそ下克上の時だ!!!」


目の前を風のように過ぎ去った猿飛君に叫ぶ。不思議と、目が合ったような気がした。
次の瞬間、ものすごい歓声に包まれた。
ハッとゴールを見ると、猿飛君が1位の旗を持って皆にもみくちゃにされていた。
まるでバーゲン会場の目玉商品に群がる主婦のような光景に、あーあと呟く。かわいそうに。






大盛り上がりのクラスメイト同士でいえーいと言いながらハイタッチしていると、
なんだか疲れたご様子の猿飛君が戻ってきた。

「疲れてるね」
「そりゃね、一生懸命走ったからね」
「おつかれさまー」

いえーいと言いながら片手を上げると、ハイハイと言いながらハイタッチしてくれた。わーい。
じぃんと痺れる右手をにぎにぎしていると、猿飛君からの視線を感じる。
なんだろうか。じっとその顔を見つめると、彼は呆れたように眉根を寄せてハチマキを取った。
似合ってたのに勿体無い。

「…あのさあ」
「なんだい猿飛君」
「人が真面目に走ってるときに気の抜ける言葉叫ぶのやめてくんない?」
「聞こえたんだ」

ちょっとびっくりする。あの歓声の中に紛れたと思ったいたのに。
木を隠すなら森の中、声を隠すなら歓声の中。いや別に隠したかった訳じゃないけどさ!

「やったじゃん下克上」
「やっちゃったよ、もー…」
「佐助ェ!!」

ばたばたばた、と赤いハチマキを揺らしながら、真田君がこちらへと走ってきた。
わ、わ、カッコイイ、まじでカッコイイ。汗をかくあなたが素敵。眩しい!
猿飛君は気の抜けたような声で「旦那」と呟いた。
そんな猿飛君の肩を、逞しい腕で真田君がガシリと掴む。

「良い勝負であったな!!」
「へ?」
「某、まだまだ修行不足であったと思い知った!
 悔しいが、さすが佐助だ!某も鼻が高い」

そう言って笑う真田君は非常にいい笑顔だったので、猿飛君の隣で私はきゅんきゅんする。
こ、こんな至近距離は心臓に悪いね!熱血オーラが熱いね!火傷しちゃいそうですアチチ。
ふと猿飛君を見ると、彼はなんとも言えない表情を浮かべていた。無表情に見える、けど。
これは照れてるんだろうなーとも思う。なんでか分からないけど。
にやにやと笑っていると、真田君の目線がこちらへと向いた。うわ、真っ直ぐな瞳。

「おお、殿!先程は見事な声援でござったな」
「え、真田君にも聞こえてたの?」
「確りと」
「うわ、見苦しいものを…いやちがう耳障りなものを…ごめんねちゃんと消毒してね」

そう言って猿飛君の方を見ると、彼は微妙に笑っていた。
笑ってないで頼むよ、真田君の耳をちゃんと消毒してくれないと駄目だよ。

「猿飛君頼んだよー保護者なんでしょ」
「耳の消毒とかいくら俺様でも無理だよ」
「ちぇ」

私と猿飛君のやり取りを眺めていた真田君が、いきなりポンと手を叩いた。
その仕草が大きい身体に似合わず可愛らしかったので、また私の胸はキュンとする。癒しだオアシスだ。

殿も、佐助のことは佐助と呼べばよい!」
「え」
「え」

思わずハモった。何を。何を言っているのだ真田君。
失礼だが頭は正常か。走りすぎでオーバーヒートしているのではなかろうか!システムオールレッド!

「え、ちょ、真田君いったいどこをどうすればそういうことに」
「嫌なのか?」
「え、いやそういうんじゃなくてというかそのお顔は反則というか」
「某、佐助に友人が少ないのを以前から気にしておったのだ」
「旦那さりげなく酷い発言してるの分かってる?」
「その点、殿なら佐助といい友情が結べそうだと某は思うのだ!」
「はぁ」

つまり真田君は保護者である猿飛君に友達がいないのが以前から気になってて、
そこで私がいい友人候補にポコッと抜擢されたと。で、友情の第一歩に佐助と呼べ、と。
まあ納得できないこともない。確かに猿飛君にはクラスに特に仲のいい男子はいない。
はぐれることはないけど、群れることもないようなそんな感じだ。
きっと今までもそうだったんだろうなぁ。

「そういうことか」
さん一人で納得するのやめてくれる?俺ちゃんと友達いるからね?ね?」
「よし、よろしく猿飛君、いや佐助!真田君のために良い友情を築こうではないか」
「なんでそんなノリいいの」
殿さすがでござる!」
「あーもうめんどくさいなコイツら!」

そう言って叫んだ猿飛君、ちがった佐助は心底めんどくさそうな顔をしていたので、
私はパン食い競争で勝ち取った高級ホテルのカレーパンを手渡した。
いらないよと言いつつちゃんと貰ってくれるあたり、やっぱり優しいんだなぁと思う。





10/05/16