03:人の振り見て我が振り直せ
「おはよう猿飛君」
「ん、はよ…えっと」
予鈴5分前に教室へと滑り込んだ私は、今日も眩しいオレンジ色の頭に向かって声をかけてみた。
着席して眠そうにしていた彼はゆっくりした仕草でこちらへ振り返り、曖昧な笑みを浮かべる。
「です」
「おはよ、さん。ごめんね、俺人の名前覚えるの苦手でさ」
「いや別に構いませんよ、私も似たり寄ったりだし」
「でも俺の名前覚えてたよね?」
「インパクトが強かったからね」
「さるひ?」
「イエス、えんひ」
とかなんとかくだらないことを言っていると予鈴が鳴った。
でもまだ教室はザワザワと騒がしく、皆立ったままお喋りをしていたりする。
まあね。予鈴なんて予備みたいなもんですからね本鈴だって別に気にしませんがね。
「猿飛君、今日のご予定は」
「テストだよね」
「でしたね」
「勉強したの?」
「全然!と言いたいとこだけどもチキンなんで少しはしたよ」
「俺も似たようなもんかな」
旦那の勉強見なきゃいけないからね、と小さく猿飛君は呟く。
昨日から気付いていたこと。真田君の保護者である彼は、その真田君のことを旦那と呼ぶ。
なんで旦那?と尋ねようとした時に本鈴が鳴って、担任が教室へと入ってくる。
お前ら席着けよー、という声に皆だるそうにしつつ素直に従ってるあたり可愛いもんだ。
朝の挨拶やらなんやらが終わり、担任がバサッと封筒を取り出す。ああ、テストだ!ガッデム!
前の席に座っている猿飛君から最後の答案用紙を渡される時に、
至極真面目な顔をして「健闘を祈る」と仰仰しく言ってみた。
猿飛君は少しきょとん、とした様子を見せた後に少し笑ってくれた。
その顔がすごく馬鹿な子を見守る親っぽかったので、やっぱこの人いいなと思う。
もう駄目だ。お手上げだ。分かりません空白は残すなだなんて知ったことじゃない。
でもやっぱり空白があると落ち着かないので適当に「多分彼はすごく眠いのでしょう」と書いた。
ちなみに英訳の問題だった。メイビー付いてたしまあ別に完全な間違いという訳じゃないだろう。
だってね、目の前のオレンジ頭がすごく眠そうなんだもの。さっきからすごくゆらゆらしてるんだもの。
しばらく観察していたけど、やがて諦めたかのように彼は机に突っ伏して本格的に寝始めた。
大きい背中が小さく丸まって、私の視界がぐんと広がる。教室ってこんなに広かったっけ?
だんだんと気温が上がり始めた教室内はぽかぽか暖かく、加えて机の上にはもう無理だと諦めた答案用紙。
こりゃ私も寝るしかない。いそいそと私は机に突っ伏した。おやすみ三秒、それいくぞ。ぐう。
聞き慣れたチャイムの音が聞こえ、私はがばりと上半身を起こした。
おっといけね、マジ寝してしまった。慌てて答案用紙を確認したけど特によだれも付いてなくてホッとする。
後ろから答案用紙集めて来いよーとの担任の声に慌てて立ち上がる。そうだよ最後尾にはこういう仕事があるんだよね。
だがしかし早速関門にぶつかった。オイオイ猿飛君よいつまで寝ているのだね君は。
相変わらず机に突っ伏している彼の答案用紙を無理矢理引っ張ろうとしたけど、無理だ。駄目だ。
こういうのは無理矢理やったら千切れると相場が決まっているのだよ!
早々に無理矢理引っこ抜くのを諦めて、私は彼の肩をべしべし叩く。って、固ッ!
「ん…」
「よく眠れましたかな、グッモーニン」
「…え、あ、ひょっとしてチャイム鳴った?」
「イエスオフコースさっさと答案用紙を寄越しなさい」
「なんでそんな偉そうなの」
「だってもう私の列しか残ってないよ!ほら見てよ先生が怒ってるよ!」
「おいー、人のせいにするな別に俺は怒ってないぞ」
「って言ってるけど」
「気にしない気にしない、はいどうも」
寝起きでぼうっとした様子の猿飛君から答案用紙を受け取って、さくさくと回収する。
担任へと集めたそれを渡したら私の仕事はおしまい。ハイよく働きました。
寝てたから妙に身体がだるい。首の筋を伸ばしながら席に戻ると、
目の前で寝ていた彼も同じだったようで大きく伸びをしていた。長い腕だ。
「…あー、よく寝た」
「私も。途中で諦めたよ」
「さんも?」
「目の前でどこかの誰かが気持ち良さそうに寝始めたからつられたのー」
「まーた人のせいにする」
「うすさい」
「噛んじゃいけないでしょ、そこは」
「うるさーい」
ポンポンと続く会話のキャッチボールが心地良い。
なんて言うんだろうね、この心地良さ。猿飛君はきっと会話上手なんだ間違いない。
と、あることに気付く。
「あ、猿飛君おでこ赤くなってる」
「え、うそ」
「うそ」
「えー」
「うそ、ほんと」
「どっちなの!」
「ほんとー、はい鏡」
けらけらと笑いながら鏡を差し出す。どーも、と言いながら大きな掌が鏡を受け取った。
うわ、鏡がなんだかとても小さく見えるよ。リカちゃんサイズみたい。ってのは大袈裟かな。
ヘアピンで器用に前髪を上げていた猿飛君の額は、薄く赤色に染まっている。
あちゃー、と困ったように呟いた猿飛君は、なんだか少しかわいかった。
「目立つ?」
「んー、まあでも帰る頃には治ってそうだよね」
「旦那に見られたらまた寝てたのバレるよ…」
「そういや真田君って授業中全然寝ない」
「あ、やっぱそうなんだ?」
「すごいよ、背筋がピンと伸びてて空気が凛としててね。あれは格好ヨイよ」
握りこぶしを作って力説すると、猿飛君はなんだか嬉しそうに緩く微笑んだ。
その顔は我が子を褒められた母親の顔にそっくりで、ああやっぱり保護者なのだなと思う。
でも旦那なのねやっぱりね。その辺は追々尋ねることにしよう。
猿飛君は額がまだ少し気になるようで、人差し指で擦りながら鏡を私へと返してくれた。
「ありがとね」
「いーえ。気になるなら前髪下げれば良いのにね」
「俺様の前髪は高いよ?」
「長いの間違いでは」
「昨日から思ってたけどさあ、さんって愉快だよね」
「それは褒め言葉かな」
「旦那も愉快だけどね」
「じゃあ褒め言葉だ」
嬉しそうに笑った私を見て、猿飛君はまた笑った。
「そういやさんもおでこ赤くなってるよね」
「マジですか」
09/10/23
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