手のひらの中の紙を、ぐしゃりと握りつぶした。
嗚呼、悪い知らせというものは、なぜこうも急なのか。
ぐ、と瞼を閉じて天を仰ぐ。ぽろりと手の中から紙が零れ落ちたが、構うものか。

しとしと、ぴしゃん。窓の外では、景色が薄霧色に染まっていた。
天も泣いているが、俺も泣きたい。嗚呼、泣きたいさ。泣きたいとも。

畳の上に転がった紙が、かさりと音を立てた。
現実を見ろよと嘲笑われているような気がした。お前如きに嘲笑われてなるものか。
俺を冷たく嘲笑ってもいいのは稲姫のみだ!嗚呼、なんと甘美な。想像しただけで胸が高鳴る。
即ちお前に俺を嘲笑う権利などは無い!すっくと立ち上がり、高く足を上げる。
さあ、跪け。もしくは足を舐めるがいい。高く掲げた足を、気合を込めて踏み降ろした。






さあさお嬢さん、お泣きなさい:04






「それで、このようなことになっているのですか」
「…すまん稲ちゃん俺が悪かった」



呆れたように眉を顰め、ぐしゃぐしゃになった紙を目の前で広げている稲姫。
だってさ、だってねえ。その紙が悪いんだよ。俺は君にしか苛められたくないのに。
稲姫が嫌そうに顔を顰めた。一瞬思考を読まれたかと思ったが、紙に書かれた内容を見ただけのようだ。



「戦、ですか」
「そうらしい。あー、もう、俺は戦嫌いだよ」
「…稲も、戦は嫌いです」



俯いてぽつりと呟く稲姫。顔にかかった黒髪で表情は見えない。
悲しそうな顔をしているんだろうか。だったらその顔を見せてくれればいいのに。
そっと稲姫の頬に手をやると、ひゅ、と音が鳴るほど素早く、稲姫が顔を上げた。
ちょっと、怒られるかと思って吃驚するじゃねぇの。吃驚以外にやや期待も含む。
けれど稲姫はその行為自体に腹を立てた様子はない。そのまま俺に真っ直ぐな視線を向ける。
その御顔のなんと凛々しいこと!至近距離で澄んだ眼差しに射抜かれ、脳の奥がじぃんと痺れる。



「ですが、天下平定のため!稲はこの弓を振るうのです」
「だよねえ、天下平定のためなら俺も頑張るよ」
「その意気です、殿!」



色々緻密に作戦を立てて、相手がうまく引っかかってくれたときの快感はたまんねぇし。
にやり、と笑った俺を見て、稲姫は途端にずざりと後ずさりした。
当たり前だが、触れていた頬も離れる。嗚呼、寂しいじゃないの。



「稲ちゃんも戦に参加するのかい?」
「勿論です!稲は、殿の嫁ですから」
「っ稲ちゃん!」



がばり、と抱きつこうとしたら、途端に頬を強かに打たれた。
平手ならまだしも拳だった。素敵な拳です!俺の脳髄まで響きます。くらくらする。
意識も遠くなっちまうよ本当に。精神的な意味でも肉体的な意味でもね。












「では、作戦を伝える」



軍議の席で中心に立つ俺の隣には、きりりと具足に身を包んだ稲姫。
身支度を終えた稲姫を目にした俺は、真っ先に「踏んで?」と頼んだ。殴られた。
まあ、俺と稲姫の甘美な愛の営みはさておき、とうとう戦が始まろうとしている。
今回は比較的小さな戦ということで、参加している将も少ない。俺と稲姫は同じ隊に配属された。
当初、隊長は俺と言われていたが、稲姫の方が強く、皆を引っ張れるという俺の意見から、隊長は稲姫となった。
そして俺は軍師のような立場に落ち着いている。裏の隊長みたいなものだ。
事前に用意してあった地図をべらりと広げる。



「主に戦場になると思われる箇所は、ここ、ここ、ここ。
 ちなみにここが敵の大将がいる。ここには我が弟、幸村の騎馬隊が向かうことになっている。 
 そして、俺達が向かうのはここだ。主に本陣に対して奇襲をしてくると見られる隊だな。
 敵の隊長は非常に好戦的で、偃月の陣で突っ込んでくるとの情報だ。
 そこで、俺は隊長を一気に倒し、敵の戦意を削がせたい。隊長のいなくなった軍は脆いからな」



ふむ、と頷いている面々の中から、稲姫と飛忍、爆忍を見る。



「まず、爆忍の持っている爆弾を、飛忍にひとつ渡して貰おう。
 ごめんな爆忍、爆弾はお前の宝だということは俺も痛いほど分かる!だが俺に免じて一つ譲ってくれ」



渋々、といった様子で、爆弾がひとつ飛忍の手に渡る。



「じゃあ次、飛忍よ、お前はそれを地に埋めてくれ。お前の潜りの技は天下一品だ。造作も無かろう」



御意、と得意気に飛忍が頷いた。



「埋め終わったら、俺がその爆弾の地点に敵の隊長を誘おう。」
殿!その役目は、稲が」
「稲姫には最後の仕上げを頼む。俺が隊長を誘ったら、天に向かって発砲する。
 そしたら埋まっている爆弾を弓で打ってくれ。稲姫の弓なら地面を貫通するからな。俺の弾じゃ無理なんだ、頼む」
「…分かりました。そういうことならば、稲にお任せを!寸分違わずに射抜いてみせます」
「おお、頼もしいねえ。では爆発が起こり、隊長が倒れたのを確認後、皆は好きなように追撃してくれ。
 隊長をやられた偃月の陣は脆い。敵は散るはずだ。陣形決めて突っ込んでもしょうがねぇからな。深追いだけは禁ずる」



何か意見のあるものは?…いないな。では軍議を終わる。各自合図をするまで待機!
そう叫ぶと、隊の皆はそれぞれの持ち場に戻った。俺の横には稲姫が残ったまま。
上目遣いで見つめられる。いや、身長差からしょうがねぇんだが。ね。
戦は嫌いだが、開き直ってしまえば気分も昂ぶってくる。
余計に昂ぶっちゃったらどうしてくれるんだい、稲姫よ。



殿、大丈夫でしょうか」
「なぁに、敵の間諜には俺が隊長だと虚偽の情報を流している。
 その隊長がちっぽけな銃を持って無防備に前に飛び出してみろ、絶対おびき寄せるはずだ」



そう言ってにやりと笑ってやる。想像しただけでたまらない!
さぁ、来い!と立ちはだかる俺、突進してくる敵隊長。彼を嘲笑うかのように、地が突如爆発。
舞い上がる土煙、戸惑う敵兵。風がひゅるり土を運び、漸う前が見える頃には土に塗れ、嗚呼哀れに地に伏せた敵隊長。
それを勝ち誇った眼差しで見つめ、踏み躙り、「さぁ、者共ゆけぃ!」と命令を下す俺。
逃げる兵士を追い詰める稲姫の隊!そこにあるのは只々爽快な勝利だ。

硬い表情をしていた稲姫だが、恍惚の表情で笑う俺を見て、安心したように頬を緩める。
ピィー、と戦場でも良く通る幸村の指笛が、天高く美しく響いた。
俺の元へ伝令兵が到着する。

愛用の銃を取り出して、こちらを見つめる稲姫の弓とぶつける。
御武運を、と囁く稲姫の唇を思わず塞いでしまいたくなったけど、戦も始まるので我慢だ。
その代わりに、一つに結い上げられた稲姫の髪を一房手に取り、恭しく口付ける。
途端に「不埒な!」と殴られそうになったが、慌てて騎乗することで避けることに成功。


さあ、行こうか。





09/03/22