ひゅう、とゆるやかに吹いた風が、俺の髪の上っ面を撫でた。

眼前には、土煙を上げてこちらへと突っ込んでくる敵軍が見え始めた。
事前に掴んだ情報通り、偃月の陣でこちらへと突っ込んでくる。
思い通りに事が運んでいることで、快感がじわりと湧く。唇をぺろりと舐め、にい、と笑う。

手のひらの中で、銃をくるりと回す。本日もよく手に馴染むな、相棒よ。
愛馬がぶるり、と首を振った。そうか、お前は敵に突っ込んでいくのが好きだったな。
お前がいると本当に楽だよ。俺はがつがつ撃っていくだけで、後はお前が踏み散らしてくれるからな。
しかし、今日は作戦があるので思い切り駆けさせてやれないんだ、すまない。
我慢したまえ、俺の快感のために!追撃は思い切りさせてやろう。

俺の意思が伝わったのか、ぶひんと鼻を鳴らす我が愛馬。
「しょうがないわね」とでも言いたげなそれに、思わず笑う。彼女は、雌だ。

自軍から飛び出して、前へと出る。一人で飛び出してきた俺は、さぞ目立つだろう。
迫り来る敵へ向けて、挨拶代わりにがぅんと一発発砲。

鬼さんこちら、手の鳴るほうへ!






さあさお嬢さん、お泣きなさい:05






俺の姿を確認して、敵軍が一旦止まる。さすがに闇雲には突っ込まないか。
やや距離を開けて対峙する俺と敵隊長。野郎と見詰め合っても嬉しくもなんとも無いがね。
美人のお姉さまだったらよかったのにな。俺、頑張っちゃうのに。
髭面の男を視界に入れて、はあと心の中でため息を吐く。この戦場で俺の潤いは稲姫だけである。



「やあやあやあ!我こそは真田ぞ!誰ぞ、この俺を討ち取ろうという奴はおらぬか!」



腹から声を出す。だが、敢えて気迫は込めない。
名ばかりの隊長。戦で気分が高揚し、無謀な策に出ている…と、思わせる。
その強さで有名なのは幸村で、兄の俺はさほど強くないというのは、よく聞く噂だ。
まあ、俺が弱いのは事実だが。しかし指揮をやらせりゃ中々のもんなんだぜ、俺。

相手の目につくように、銃をくるりと回した。さあ、俺はこんな小さな銃しか持ってないぞ。
たやすく討ち取れると判断したのか、敵隊長は口の端を下品に上げる。
そして顔と同じように下品な声で名乗りをあげたが、男の名になぞ興味はない。
軽く聞き流して、じりじりと対峙する。太陽が雲に隠れた、その時。

がっ、と敵軍が突っ込んできた。狙いは勿論、孤立している俺。
うおおおおお!と野郎共の喚声が耳障りだ。思わず顔を顰める。槍を掲げ、突っ込んでくる敵隊長。
がうんがうん、とわざと狙いを外して撃つ。手は震えている演技付き。
下品な面の隅々まで拝んでしまう距離まで誘き寄せて、俺は天に向かって銃を放つ。



「俺は野郎に苛められて喜ぶ趣味はねぇ!」



声高に叫ぶ。戦場に響く俺の主張。きっと銃声で聞こえちゃいねぇだろうけど。
ひゅん、と俺の横を過ぎていく、何か。何かって、勿論俺の嫁が放った矢に決まっているだろう。
ざく、といい音が鳴って地面に矢が突き刺さった、刹那!
鼓膜が破れるような大音響と共に、敵隊長が視界から消えた。
天まで届くような朦々とした土煙と、爆風が俺を襲う。爆忍よ、お前爆弾ちょっと細工しすぎじゃねぇの?

けほ、と軽く咳き込む。風が土煙を運び、視界が良好になってきた。
俺にまで被害が出ないように、最小限の範囲で爆発したようだが、これは酷い。
爆弾の威力で土は抉れ、その抉れた穴の中心にいる男は土塗れ。どこに髭があるかも分かりはしない。
うぐぐ、と唸り声を上げる彼を、俺は愛馬の蹄でガコ、と踏みにじる。はん、他愛も無い。



「敵将、討ち取ったり」



血も涙もない表情で、只々愉快に笑う俺。
隊長がやられた動揺からか、勢いを失いその場に立ち竦んでいた敵兵が、怯えた表情でじわりと後ずさる。
ああ、ここまで俺の能書き通りに進むとは。爽快だ。堪らない。背筋がゾクゾクする。
湧き上がる恍惚感に笑みを浮かべて、はぁ、と熱い息を吐いた。更に敵軍が後ずさる。
さあさあ皆さん、苛めてあげますよ。



「良く聞くがいい!爆弾はお前達の足下にも埋められていようぞ!」



命が惜しくば、逃げたまえ。嘘だけど。
俺が叫ぶと同時に、散り散りになって逃げて行く敵兵。おお、絶景ぞ!
未だにぐりぐりと敵隊長を踏む俺を、軽やかに追い抜いていく自軍の兵士達。
稲姫はどこかと見渡すと、探すまでも無い。麗しきその姿は先頭を駆けていた。
俺も混ぜてくれよ、と駆け出す。ぐへぇ、と足下から悲鳴が聞こえた。
野郎の悲鳴なんて耳障りなだけだね。怯えた表情は中々そそるもんがあるけど。

馬の速度を上げて、稲姫に並ぶ。
その大きな弓で敵兵を射抜きまくっている稲姫に倣うように、俺も銃を連射した。
こちら、追撃終了。こちらも、殲滅完了。そういった報告が次々と入ってくる。
もう俺が対峙した敵軍の生き残りはいなさそうだと判断し、自軍の兵に戻ってくるように合図を出す。
隣に馬を並べた稲姫が、ふう、とひとつ息を吐いた。上気した頬がなんとも扇情的。言わないけど。



殿、お怪我は?」
「いや、大丈夫。多少土塗れだが、これは勲章だ」
「驚きました、あのようにうまくいくものなのですね」
「力任せに突っ込むと俺は簡単に死ぬからさ。悪知恵を働かせないと」



人差し指でぽんぽん、と米神を叩く。卑怯と呼ぶなら呼べ。俺は死にたくないのだ。
にぃ、と笑うと、稲姫も硬い表情を緩め、笑った。その刹那。

稲姫の背後の草叢がきらりと光る。見慣れた俺には分かる。十年以上も見てきたのだ。



あれは、銃口だ。



背後の不穏な気配を感じ取ったのか、稲姫が勢い良く振り向く。
俺は、咄嗟にそんな稲姫に向かって飛び掛かった。ガン!と鳴る銃声と同時に、稲姫を地に押し倒す。
全身に襲い掛かった衝撃に、苦しげに眉を寄せた。



殿、何をッ…?!」



稲姫の焦った声を聞きながら、先程光った草叢に向かって発砲。
ガサガサッと何かが動く音がした。畜生、外した。
舌打ちをする俺の意図が読めたのか、稲姫が目にも止まらぬ早業で矢を放つ。
「ぐあっ!」と断末魔があがり、草叢が静かになる。
おお、さすが俺の嫁、素晴らしい腕をお持ちだ。
突如落馬した俺と稲姫に向かって、大丈夫ですか!お怪我は?!と自軍の兵士達がわらわらと寄って来る。




「…すまん、油断した。最後の詰めが甘いんだよな、俺は。欠点だ」
「そのような暢気なことを言っている場合ですか!」
「今の奴が最後の生き残りだろう。俺達の隊の仕事は終わった。幸村に作戦成功と伝令を」



伝令兵にそう告げて、腹を触る。べとり、とした感触。
俺の腹から流れる血を見て、稲姫が悲鳴を上げる。



「何故、何故稲をかばったのです!稲なら避けられたのに!」
「何を言うか、嫁を守るのは夫の務めだ」



そう言って稲姫の頭をぐしゃりと撫でた。ぐ、と顔を歪める稲姫。
俺のこと心配してくれてるのかい?優しいね。
悦に浸っている俺に構うことなく、自軍の医療兵が勝手に腹の傷を見る。野郎に見られても嬉しくない。
稲姫の頭をぐしゃぐしゃと撫で回していると、腹に強烈な痛みが走った。思わず手を離す。



「っぎゃー!ちょ、痛い!痛い!何をするかこの野郎!」
「薬を塗りこんでいるのです。腹を撃たれていますが、弾は貫通している模様。
 内臓の損傷も無し。傷自体はさほど酷いものではありません。いつもながら悪運の強いお方だ」
「どうせ痛いなら稲姫にやって欲しいぞ俺は!」
「我侭は聞きませぬぞ」



ぐりぐりぐりぐり。苦悶の表情を浮かべる俺をどこか楽しそうに眺めつつ、傷口に薬を塗りこむ医療兵は、自分と同属だ。
ああ、ああ、これが稲姫にされていたらなあ。すごく嬉しかったと思うんだ、俺は。
ぐったりしている俺に追い討ちをかけるが如く「後ほど本格的に縫いますので」と医療兵が告げる。
女性の医療兵はいるかと真剣に問うたら無視された。最後に腹に晒を巻かれて、治療が終わる。

心配そうに周りに佇んでいた自軍の兵士達に、とりあえず本陣に戻るように告げる。
殿は、と兵士達が聞くので、お前らの殿を努めてやるよ、と笑った。
その言葉を聞き、陣形を素早く整えて本陣へと戻っていく兵士達。統制がとれていて素晴らしい。
稲姫も行くぞ、と声をかけようと振り向く。拳をぎゅっと握って、俯いている稲姫。
震えている肩を、そっと叩く。



「稲姫、行くぞ」
「…心配、しました」
「すまん。銃口を見た瞬間頭が真っ白になった」
「一瞬、死んでしまうのかと、思いました」
「残念ながら俺は悪運が強い。そうそう簡単には死なないさ」
「…稲より早く死ぬなど、認めません!」



がばりと顔を上げ、涙を浮かべた瞳で抱きついてきた彼女に驚く。
初めて抱いた彼女の肩は、その強さに似合わず、薄く、頼りないもので。
思わず力を入れたくなったけど、途端に腹に痛みが走ったので、背に軽く手を回すだけに留める。



「…ごめん、ごめんって。稲姫、泣いてんの?」
「泣いてなどいません!」
「無駄な強がりするなって、苛めたくなる。泣いちゃえよ」
「またそのような事を…!」
「だって、ただでさえお預けくらってて我慢の限界なのに」
「…殿は、稲が死ぬまで守って差し上げます」
「うわ、頼もしいなそれ」



けらけら笑う。無駄口を叩く俺に安心したのか、体をそっと離した稲姫もぎこちない微笑を見せた。



「じゃ、子どもでも作っとく?」
「不埒です!」



殴られた。
二人の間に満ちていた、甘美な空気が一瞬にして霧散する。



「いっ、痛い!普段なら快感に変わるけど駄目だ本気で痛い!」
「このような怪我をしているのに、ふざけないで下さい!」
「その怪我を殴ってるのは稲姫だよ!」
「…です」
「ん、なに?」
殿の怪我が治るまで、お預けです!」



いきなり突き飛ばされ、哀れにも地面に転がった俺を置いてさっさと駆け去っていく稲姫。
…と、いうことは、だな。怪我が治ったらいいのか?子作りしても?
しばらく呆けていたが、蹄が遠ざかる音でようやく我に返る。
駆け去っていく稲姫の後姿を思い出すと、頬が勝手にゆるゆると緩んだ。
稲姫よ、残念だが可愛い顔は隠せても真っ赤な耳は隠せてないよ。

いてて、と痛む腹を押さえて立ち上がる。
「なによ、うまくいったじゃない」と言いたげに鼻を鳴らした愛馬に跨る。
さあ、逃げてしまった俺の可愛い嫁のご機嫌取りでもしに行くとしようか。

いざゆかん、俺と稲姫の薔薇色の未来へ!
祝砲だ、と天に向かって発砲した音が、澄んだ空に晴れやかに響き渡った。





09/03/24


 →あとがき