視界に、黒。

ギィン!と耳に甲高い音が響く。五月蝿いって。
始まりの合図で瞬時に間合いを詰められた。矢ではなく弓本体で攻撃される。
弓の両端には、なんとも鋭利な刃物。なんとか銃本体で受け止めることに成功する。
ぎぎぎ、と腕に伝わる圧力。この華奢な腕のどこにそんな力持ってんだか、と呆れてしまう。

俺は接近戦は得意ではない。なんたって銃だ。稲姫のように、接近戦用に改造なんてしていない。
とりあえず受け止めていた刃先を滑らして、威嚇に発砲。一旦離れる。

刃先を滑らすときに掠ったのか、手の甲が裂ける感覚がする。おいおい姫さん本気だよ。
さすが忠勝殿の娘。血の滲んできた手の甲をぺろりと舐めて、にやりと笑う。
いいねえ、ゾクゾクしてきた。






さあさお嬢さん、お泣きなさい:02






にやり、妖しく笑う俺を見て、怯む稲姫。
ふふふ、その表情をもっと見せてちょうだいなっ!泣いちゃってもいいんだよ!
心中で声高に叫ぶ。可愛い子を苛めるのは大好きだ!

とりあえず近寄られると困るので、稲姫の足下に向かって何発か撃つ。脅しだよ脅し。
弾はもちろん鉛ではない。木の屑を固めた、鍛錬用の弾だ。だって、嫁さん殺してどうする。
銃以外で戦うことも考えたけど、俺は銃以外はからきし駄目だし。却下。
それに比べて相手は刃物の刃先を潰していない。本気だ。未来の旦那候補を殺してどうする。

稲姫が間合いを詰める度に、撃つ。撃つ。ひたすら撃つ。
中々思うように俺に近寄れず、苛苛しているのであろう稲姫が叫ぶ。



「飛び道具など…卑怯です!」
「しょうがねえじゃん、俺、弟みたいに体力ねぇし。接近戦苦手なんだって」



これだって体力いるのよ、と呟きながら銃を連射、連射連射。ひたすら連射!
びりり、と痺れる腕にはもう慣れた。銃だって結構腕の力いるんだぞ。



「大体、弓だって飛び道具じゃねぇの。普通、稲ちゃんみたいにそんな直接ブンブン振り回したりしねぇよ」
「問答無用です!」



一瞬の隙をつかれ、ガッと間合いを詰められる。あ、やべ、俺接近戦苦手なんだって。
内心汗をかきながら、繰り出される攻撃を銃本体で往なしていく。
完全に避けることはできないけど、意外といける。ああ、弟との修行の成果がこんなところに!

致命傷を与えられないことに苛ついた稲姫の表情が、ぐ、と歪む。

そろそろしんどくなってくる頃じゃないかい。君、女の子でしょう。
さっきから余り運動していない俺と、力の限り攻撃を続ける稲姫。
時間が経つほど有利になるのは、この俺だ。



「苦しそうな表情も可愛いね、稲ちゃん」



にやり。そう言って煽る。かっと頬を染める稲姫。挑発に乗りやすいね。そこが可愛いんだけど。
実はこっちもそんな余裕ないんだけどね、正直なところ。ぎりぎり避けるので精一杯。
いつの間にやら頬に出来た傷から、つぅと血が伝う感覚がする。ほどよい痛みが心地良い。
綺麗な女の子に付けられた傷だと思うと、ちょっとした傷なら愛しい痛みに変わる。
そう弟に話すと嫌な顔をされたけど。妙な性癖を持った兄ですまないな、弟よ。

怒涛の攻撃を仕掛けてくる稲姫の弓に向かって、引き金を引く。
狙い通り。ぎぃんと音が鳴って、俺に迫っていた武器が弾かれる。
ざざざと草が舞って、稲姫が後退した。しかし、弓自体は稲姫の手からは零れ落ちない。
やはり弾が違うと威力も違う。感覚が分からないな。普段からもっと使ってりゃよかったか。
なんて、今更な後悔をしても仕方ない。距離をとった稲姫を見ると、弓を構えていた。

おっと、ここに来て遠距離攻撃ですか!と思ったときには、もう矢は目前に迫っていて。
慌てて銃で弾く。危ないじゃないか。串刺しになったらどうするの。
ギンと音が鳴って、弾いた矢が宙に舞う。
重力に従って矢が落下した先には、致命傷を与えようとこちらに迫っていた稲姫。
己に向かって落下する矢に意識が向いた、一瞬の隙。

好機だ。だん、と力強く地面を蹴る。

矢を避けようとした稲姫が、目を見開いた。
彼女の綺麗な顔に、影ができる。その影の主は、そう、俺。
今まで接近戦を嫌がっていた俺が、ここに来てぐっと間合いを詰めることは考えていなかったんだろう。
遠距離攻撃には十分に警戒していたとしても、近距離攻撃には隙だらけだよ、稲姫。
俺は騙し合いにかけては弟より上だ。自慢にはならないが。

矢が地面にサクッと刺さると同時に、俺は稲姫を草むらへ押し倒した。その勢いで草がはらはらと宙に舞う。
眼下に美人、いい眺め!何が起こったかを把握した稲姫が、弓を手に取ろうとするが、無駄だ。
弓は押し倒すと同時に絶対に手に届かない場所に蹴り飛ばした。卑怯者と呼ぶなら呼ぶが良い。

右手で稲姫の細い喉に、銃を突きつける。



「俺の、勝ち」



押し倒す、なんて背中が無防備になる行動は戦だったら絶対してはいけないことだが、
邪魔の入らない一騎打ちならこれで勝負ありだ。

悔しそうに稲姫が顔を歪める。薄く潤んだ瞳。
泣いちゃえばいいのに。可愛い子の泣き顔はぐっとくるものがある。
苛めて、苛めて、苛め抜いて。その顔を俺が引き出したんだとしたら、最高だねもう。飯3杯は軽くいける。
変態的な俺の思考を読んだのか、稲姫の眉間に皺が寄る。
いーね、そんな表情もいいですよ。

にやり、と笑ったところで、審判をしていた侍女の声が響いた。



「勝負あり!」



稲姫の体から、くたりと力が抜ける。
それを確認して、俺は銃を懐にしまった。小さい体でよく頑張りましたね。
稲姫を押し倒したまま、俺は問う。



「嫁になる覚悟はいいかい?稲ちゃんよ」
「…女に二言はありません!」



気丈に叫ぶ稲姫。内心は泣きたい気持ちで一杯だろうに。
潤んだ瞳で睨みつけられるというのは、非常に俺の理性によろしくない。
とりあえず起き上がって、地面に横たわったままの稲姫に手を差し伸べる。
渋々俺の手を取ったと同時に、ぐい、と引き寄せて。



な、 殿?!と焦ったように叫ぶ彼女の耳元に口を寄せる。



「俺、苛めるのも苛められるのも大歓迎だから。これからよろしくね、稲ちゃん」
「…不埒です!」



渾身の拳を、鳩尾に食らった。あ、やっぱ俺、苛められるのより苛める方が好き、かも。





09/03/16