視線が、絡まる。


ひゅう、とゆるやかに吹いた風が、彼女の美しい黒い髪と、俺の髪を揺らした。
二人の男女の間にあるのは、なんとも甘やかな空気…、だったらよかったのにね。

さっきからビシバシと肌に殺気が突き刺さる。
どのくらいの殺気かというと、殺気に痛覚があったら俺は既に死んでいる。
そのくらい素晴らしく鋭利な殺気をご想像頂きたい。
そしてその素晴らしい殺気に、若干の悦びを感じてしまう俺は末期の変態だと自負している。

彼女の手には、身の丈はあろう程の巨大な弓。俺の手には、長年の相棒である、ちっぽけな銃。
なんで俺は、こんなところで、こんなことしてるんだろう。






さあさお嬢さん、お泣きなさい:01






ことの始まりは、なんだったか。
父上に、お前もそろそろ身を固めよ、とか言われたんだったか。まあ似たような台詞だった。
俺もそろそろ嫁さん欲しいなあと思っていたので、じゃあ見合いしようよと軽く言ってしまった。
そして用意された、戦国最強と名高い本多忠勝殿の娘さんとの見合い。
正直はめられたと思った。なんだよ、政略的結婚かよ。あちらの娘さんも可哀想に。
しかし嫁さんができるのは喜ばしいことだ。別嬪さんだといいなあ、気が強い美人だと最高だ。

見合いは先方の屋敷で行われる。家を出る際に、自分のことのように緊張していた弟を思い出す。
「兄上、頑張って下され」と握りこぶしを作って応援してくれた、真面目で勤勉な自慢の弟。
その期待に答えるためにも、俺は美人で気の強く泣き顔の可愛い嫁さんを貰わなければならない!



「こちらでお待ち下さい」



屋敷に到着し、通された座敷には男が4人。俺と似たような年恰好の男ばかりだ。
…どうも、俺以外にも旦那候補がいるらしい。同時見合いとは、良いご身分なもんで。
並んだ男達を横目でちらりと見て、端っこに座る。勿論正座だ。背筋はぴんと伸ばす、これ基本。
しばらくそのままで待っていると、座敷の戸が開いて、侍女を引き連れた一人の女が入ってきた。
俯いていて顔が良く見えない。が、黒く長い髪が美しい。

遠慮することも無くじろじろと眺めていると、俯いたままだった彼女が顔を上げる。
想像していたよりも、年若い。弟とどちらが下だろうか。
こちらを睨みつける意思の強そうな瞳は、父親譲りだろう。きりっと上がった眉が凛々しかった。



「…お初にお目にかかります、本多忠勝が第一子、稲と申します」



そう告げる声も、溌剌として凛々しく響く。
泣き顔が可愛いかどうかはしらないが、利発で気が強そうな別嬪さんだ。
俄然やる気になって周りを見渡すと、他の男共は彼女の射るような視線にすっかり萎縮していた。
おいおいお前ら、自分の嫁さんになるかもしれない女だぞ?怯えてどうするんだ。
そんなに苛められるのが怖いのか?俺なら苛めて貰ったら喜んじゃうけどねえ。おっと失言。

色々と口には出せないような妄想をしつつにやにやと笑っていると、
俺が座っている位置と反対の男から順に自己紹介をしていく。
あーあ、完全に声が震えちゃって。可哀想に、無様だね。
女の子が怯えているのは可愛いけど男が怯えていても格好悪いだけだ。
男達の怯えた声に、益々稲姫の視線が厳しくなる。
俺の番がきたときには、完全に射殺すような視線に変わっていた。背中にびり、と快感が走る。
いいね、その視線。泣かしたくなっちゃう。泣かされるのでもいいけど。迷っちゃうなあ!



「真田昌幸が第一子、真田と申す」



そう言ってにやりと笑う。稲姫の視線を真っ向から受け止めて、負けじと睨み返してみた。
しばし交わされる視線。密事にも似た甘いそれ。…って感じてるのは俺だけっぽいけど。

刹那。

ひゅん、と矢が飛んでくる。おおっと物騒な。しかし俺は微動だにしない。
微妙に狙いが外れているのが分かったからだ。伊達に弟の修行に付き合ってないぞ。
他の奴らは「ひょえぇ」と間抜けに悲鳴を上げて逃げた。…あんたら本当に駄目だな。
呆れて横目で見ていると、いつの間にやら弓を手にしていた稲姫が叫んだ。



「今動いた者は、即刻立ち去りなさい!悲鳴を上げた者など言語道断です!無様な!」



女特有の高い声。しかし父の血をしっかりと受け継いでいるようで、空気がびりりと震える。
ついでに俺の背骨もびりりと震える。うわぁ罵られたい!
ええ、と俺以外の男が不満の声を上げる。その声に、また稲姫が喝を入れる。



「あれしきの矢の軌道も見抜けぬ男に、この身を委ねるつもりは毛頭ありません!」



さあ、お引き取りください!もたもたしていると射抜きます!と声高に叫ぶ稲姫。
彼女についていた侍女に追い立てられて、男共はばたばたと慌てて出て行った。無様だね。
それにしても、さすが本多忠勝の娘。一筋縄ではいかない。
大人しく俺に身を委ねてくれるかな。あ、でも嫌がられてもいいな。どっちにしろいい。



「そこの御仁」



稲姫が口を開く。男達がばたばたと出て行く時に緩んだ空気が、途端にぴぃんと張り詰めた。



「貴方は、動きませんでしたね」
「貴方ではなく、どうぞとお呼び下さい」



にこりと微笑むと、稲姫が不服そうに顔を歪めるのが見えた。
おうおう、美人が台無しですね。でも崩れた顔も魅力的。



「…殿、お引取りください。稲は、誰の嫁になる気もありません」



そう硬く告げる稲姫。
…はぁ?ここまできて、そりゃないんじゃないの?
口調を取り繕うことも忘れてしまい、ぽろりと言葉が転がり落ちる。



「ふぅん、って納得すると思う?」
「え?」
「可愛い我侭だったら喜んで聞いちゃうけどそりゃねぇよ、誠意ってもんが無いね」



いきなり砕けた口調になった俺に、目を丸くする稲姫。おうおう戸惑ってら戸惑ってら。
しかし言いたいことは言わせて貰う。



「こちとら嫁に貰うためにここまで来たんだよ!しかも俺好みの別嬪さん!
 純粋そうに見えて気が強いとことか最高だ!お引取り下さいの一言でノコノコ引けるか!」



先ほどの稲姫に負けじと一喝。空気がびりりと震えた。言ってる内容は少々間抜けだが。



「だいたい、見合い引き受ける時点で自分は誰かの嫁になることを認めろよな。
 いくら甘やかされて育ったからと言っても冗談が過ぎる」
「…五月蝿い!」
「あと、これは個人的なお願いなんだけど稲ちゃんって呼んでもいい?」
「ッ無礼者!」



弓を手に、稲姫が立ち上がる。戦場で安い挑発に乗ってはだめですよ、稲姫。
丸腰のまま攻撃される趣味は無い。懐に忍ばせていた銃を手にする。
得物を持って対峙する男と女。こんな見合い見たことある?俺は無いね。
稲姫の突き刺さるような視線が心地良い。思わず笑ってしまう。



「稲は、自分より弱い男など認めません!」

 

声高に叫ぶ稲姫。



「そんなこと言われたって。どうやって証明するんだい」
「…稲と、稲と勝負です!」
「じゃあ、俺が勝ったら、俺の嫁になってね」
「…いいでしょう。しかし、稲が勝てば、二度と稲の前に姿を現すことを許しません!」



…と、いうことで。
屋敷からほど近いところにある草原で、俺は稲姫と向かい合っている。
綺麗な着物から戦装束に着替えて、得物も簡素な弓から戦用の豪奢な弓に持ち替えて。
稲姫はやる気満々だ。殺る気ではないと信じたい。ヤられるのは好きだが殺られるのは勘弁だ。おっと失言。
侍女さん達が「稲姫様ー頑張って!」と応援している。俺への応援は?

稲姫の、ひとつに結い上げられた黒髪が風に靡く。こちらを睨みつける眼差しは般若の如く恐ろしい。
しかし、俺はそれを悦びに変えられるという素晴らしい特技を持っている。相手は女性限定だが。
どうするかな。俺、弟より弱いんだけどな。

手に持った銃をかちゃかちゃと触る。お前、あんな大きい弓の相手なんてできんの?
頼むよ、俺の薔薇色の未来が懸かっている。



「用意はいいですか!」



審判役の侍女さんの声が、高らかに響く。



「俺、苛められるのも好きだけど、苛めるのも好きなのよね」



ぼつりと、俺と稲姫にしか聞こえないような声で呟いた。
途端に嫌そうに顔を歪める稲姫。いいねその顔、もっと見たい。



「はじめ!」



さあ、嫁さんを手に入れようではないか。





09/03/16