ギィィと、鉄が錆びたような重い音を鳴らしながら、扉を開く。
途端に、冷えた外の空気がピリピリと肌に突き刺さった。
先程まで握り締めていた鍵を首から提げ、シャツの襟元からするりと滑り込ませると、
直に肌に触れるその冷たさに全身の毛穴が粟立った。

しまった。シャツの中などに入れずに、普通に首から提げておけばよかった。
誤魔化すように、首に巻いた青と銅色をしたマフラーをきつく巻き直す。
暖かな毛糸に頬を埋めると、寒さが少し紛れる気がした。
口から零れた吐息が白く染まり、澄み渡った夜空へと溶けていく。

しかしそんな空気の中でも、僕の気分は高揚していた。
肩に担いでいた天体望遠鏡を地面に下ろし、設置する。
勿論そのまま眺めても星は美しい。でも、望遠鏡で見る星の輝きはまた、格別だ。
今日はどの星を見ようかと思案していると、背後でバサリと音が鳴った。
梟でも迷い込んだか?振り返ると、何故か『悪戯仕掛け人』と呼ばれる人物が勢揃いしていた。





スターリーヘヴン:04





いつの間にか僕の背後にいた彼らへ、僕は至極まともな質問をする。


「何故ここに?」
「それは僕達の台詞!なんでがこんな時間にこんなとこに?」
「僕は、天文学の教授にここの鍵を貰っている。いつでも天体観測できるように」


傍らに置いた望遠鏡を指差すと、ジェームズの後ろに居たピーターが驚きの声を上げる。


「ええっ!それって、すごいことなんじゃないの?」
「さあ、すごいことなのかは分からない。だが、教授の信頼は得ている」
「うん、君の天文学の成績は、いつも一番だって聞いてるよ。鍵を貰ってもおかしくないよね」


穏やかに微笑みながら、リーマスが言う。
褒められるのにあまり慣れていない僕は、苦笑いしながら息を吐いた。


「ありがとう、リーマス。でも天文学だけさ。
 それに、完全に自由に出入りしている訳じゃない。
 ここに来る度にレポートを提出している。あくまで個人授業の一環だ」
「成程、君の星に対する情熱が教授に伝わったんだね。さすが『星狂い』だ」


にやりと笑ったジェームズに答えるように、僕は肩を竦めた。
ジェームズは時折、ふざけるように僕のことを『星狂い』と呼ぶ。
ともすれば嫌味にも聞こえる響きだが、特に嫌悪は感じない。
彼のジョークの一種だと分かっているからだ。


「星狂い、ああ正しくその通りさ。それでジェームズ、僕の問いに答えてもらおうか」


目を細めて軽く睨むフリをする。ピーターは少し怯えたようにビクリと震えたが、
ジェームズは「ちぇ、はぐらかされてくれないかぁ」と眉を下げて笑った。
それにつられるように、僕もにやりと笑う。

あの図書室で彼と握手を交わした日から、一ヶ月程が経った。
季節が徐々に冬へと移っていくのに合わせて、僕達はよく会話をするようになった。
廊下で会えば挨拶をするし、時間があれば軽い会話をする。
それはほんの短い時間だが、密度の高い、なんとも充実した時間だった。
良い友人関係を築けているのではないか、と思う。彼らと話すのは、刺激的で楽しい。
但し、Mr.ブラックだけは未だに僕と会っても無言で仏頂面だ。
余程、以前シリウスというあの素晴らしい星について延々と講義したことが堪えているらしい。

しかし喜ばしいこともある。彼らはレイブンクローとの合同授業の際に悪戯をしなくなった。
問題なく授業が受けられるのは大変素晴らしいことだ、と同級のレイブンクロー生は皆思っている。
のおかげだよ!と僕にお礼を言う奴まで居た。まさか一度ブチ切れたことが感謝されるとは。


「ほら、僕達ってさ、悪戯で忙しいじゃない?」
「毎日よくもまあ飽きずにやるなと感心している」
だって楽しんでるくせに」
「ああ、愉快だな」


今朝の大広間で、いきなりフォークとナイフがダンスを踊りだしたのには笑った。
朝からワルツだなんて、洒落てるじゃないか。
僕がそう言って笑うと、ずっと黙っていたMr.ブラックが少し意外そうな目でこちらを見た。
しかし、ちらりと合った視線はすぐ逸らされる。
一瞬合った視線は力強く、眩しかった。まるで一瞬の星の瞬きのようだ。


「今日もさ、夕食食べた後に悪戯しようかーってうろうろしてたんだよね」
「本当か、リーマス」
「ふふ、本当だよ」
「よく捕まらないな。ただ出歩いてる僕でも何度か管理人に捕まりそうになったのに」
「それは企業秘密!」
「なら深くは聞かない」
「そのあっさりしたとこが君の美点だよね」
「そうかな」
「そうだよ。まあ、そうやってうろうろしていたら、塔の階段前で君を見つけたんだ。
 面白そうだったからこっそりついてきたんだよ」


悪びれずに笑うジェームズと、少し困ったように微笑むリーマス。
おどおどした様子のピーターに、いつも仏頂面のMr.ブラック。
そんな彼らに、言わなければいけないことがあった。しかし言うべきか少々悩む。
言えば、確実に彼らはショックを受けるだろう。だが、問題は先延ばしにしていてもしょうがない。


「そうか、なら先に謝る。すまない」
「どうしたの、?」
「僕が勉強以外でここを使わないように、鍵に魔法がかかっている」
「ああ、多分そうなってると思ったよ。詳しいシステムまでは分からないけどね。それが?」
「この鍵と対になったものを、教授も持っているんだ。
 授業以外で天文台の塔に入った者の名と時間が分かるようになっている」


首から提げた鍵を取り出して、目の前の四人の視界に入るようにする。
魔法で暗闇でも薄く光るその鍵には、僕と『悪戯仕掛け人』の名がしっかりと刻み込まれていた。


「教授は、この鍵に刻まれた名と時間を見て、レポートを提出するように指示するんだ」


ジェームズの笑顔がピシリと固まり、微笑んでいたリーマスの額に汗が浮かんだ。
ピーターの顔は蒼白になり、元々仏頂面だったMr.ブラックの頬はひくりと痙攣した。


「つまり、君達も星に関するレポートを書かなければならなくなった。すまない」


彼らの悲痛な叫びが、澄んだ夜空に響き渡った。
ああ、ポラリスが今日も美しい。










「僕、もう駄目だ…30センチも書けないよ!」
「頑張れピーター、頑張るしかないんだ」
「セファイド変光星って何、呪文?」
「僕は三番連星の時点であまりよく分かってないんだけど、おかしいかな…」
「いやリーマス、君は正常だ。間違いなく正常だ。がおかしいんだ。この『星狂い』め!」
「星狂い、ああ正しくその通りさ。それでジェームズ、黙って手を動かせ。
 ピーターのインク瓶に悪戯しようとするな、星に対して誠意を示せこの愚か者め!」


30センチの羊皮紙を埋め尽くす文章の締めくくりとしてピリオドを打ち、僕は羽ペンを置いた。
、早すぎ!とジェームズが喚く。しかし彼のレポートは既に20センチを越えようとしていた。
流石、要領がいいのだなと素直に感心する。優秀だという噂は本当だ。

『悪戯仕掛け人』が悲痛な叫びを上げた翌日、僕らは図書室に集まっていた。
ちょっとした好奇心のせいでレポートを提出しなければならなくなった彼らのために、
初歩中の初歩といってもいい北極星に関するレポートを今回は書くことにした。
が、僕の想像以上に彼らは星のことを知らなかった。無理も無いか、と内心息を吐く。
天文学の授業は、まだまだ本当に初歩的なことしかやっていないのだ。

さてどうするか、とインク瓶の蓋を閉めながら考える。
さすがに、ここで彼らを見捨てるのは人として如何なものかと考えたので、
とりあえずかなり苦戦しているらしいピーターの手伝いをすることにした。


「いいか、ピーター。僕は昨日君にポラリスを見せた。覚えてる?」
「う、うん…」
「ふたつ、見せたな?」
「あ、そうだ!僕、ポラリスって二つあるんだ、って驚いたよ」
「実際には二つじゃないんだが」
「え?そ、そうなの?」
「ああ、すまない、ややこしくなるな」
「ううん、が謝ることじゃないよ!…ごめんね、僕が勉強できないから…」
「いや、構わない。とりあえず、その二つの見え方の違いから書いたらどうだろう?」
「うん、そうしてみる。ありがとう、


ピーターの止まっていた羽ペンがまた動き出すのを眺めてから、僕は席を立つ。
何かレポートを書くのに役に立ちそうな本でも探してこよう。
すると、人数が一人減っているのに気付いた。


「ジェームズ、Mr.ブラックは?」
「シリウス?そういやさっき、だるいとか言いながらどっか行ったなあ。
 …あ、心配しないで。あれはあれで真面目なヤツだから、ちゃんと休憩したら戻ってくるよ」
「わかってるさ」


この一ヶ月で、彼は多少愚かな行為をする事はあっても、
誇り高く気高い、シリウスという名に相応しい人物だということを改めて知った。
時折口にする言葉からは、その知識の豊かさを感じさせ、なおかつ気品すら感じた。
気高い星の名を名乗ることを許された者は、やはり何かに選ばれた者なのだ。

よーし、あと5センチ!と息巻いているジェームズに背を向けて、
僕は天体に関する本が集まっている書棚へと向かう。無意識に、懐から杖を取り出した。
パシ、パシと軽く掌に叩きつけながら、考え事をする。
初心者向けで何かいい本があっただろうか。そうだ、僕が7歳頃に読んだあれがいいかもしれない。
題名は何だっただろうか。『こぐまのポラリス』だったか、否、違ったか?

頭の中の記憶を探っていると、書棚の陰から、何か言い争うような声が聞こえた。
なんだ、図書室で騒ぐだなんて命知らずな奴らだ。マダムの恐ろしさを知らないのか。1年生か?
マダムの鉄拳制裁の前に一言注意するべきか、と声のする書棚の裏を覗き込む。
すると、意外なことにMr.ブラックの後姿が見えた。彼と良く似た、黒髪の少年がその前に立っている。
スリザリンのネクタイを付けた少年。何処かで見覚えがあるな、と思った。


「貴方は、ブラック家の誇りというものを忘れられたのですね!」
「うるせぇよ、ラス。ここは図書室だ、静かにしろ」
「…ッ、貴方などに、ラスだなんて呼ばれたくありません!」
「…悪かった。俺はレポート書かなきゃいけねぇんだ。じゃあな」
「…待ちなさい!」
「んだよ、まだ何か用か」


ブラックホールのようだ、と思った。
それほど今の彼の声は暗く、重く、周りのものを全て呑み込んでしまう闇のようだった。
その雰囲気に圧倒されたのか、目の前の少年の頬が白くなる。
が、直ぐに正気を取り戻したのか、頬を赤く染め、叫んだ。


「ブラック家の恥晒しが!」


その瞬間、僅かに見えたMr.ブラックの横顔が、悲痛に歪んだ。
気付けば僕は彼らの前へと飛び出していた。


「恥晒しとは、僕は考えないな」
「お前、なんで…?」


困惑した様子で、Mr.ブラックがこちらを振り返る。
僕はゆっくりと歩を進め、Mr.ブラックを追い越し、少年の前に立つ。


「五月蝿い!貴方には関係ないでしょう、黙っててください」
「否、僕には言いたいことがたくさんある。言わせて貰おう。
 まず、僕は彼ほどシリウスの名に相応しい人物はいないと思う。
 頭の回転は早いし、気品に溢れた所作、確かに時折は恥晒しと呼ばれるような愚かな行為もする!
 だが、それを差し置いても、誇り高く気高く美しい、僕にとっては眩しい存在だ。君にはそう見えないのか」


ぐ、と目の前の少年の表情が歪んだ。泣きそうに眉を歪める。


「…ッ、五月蝿い五月蝿い五月蝿い!」
「そして問題は貴様だ!」


いきなり高らかに叫び少年を指差した僕に、
Mr.ブラックも目の前の少年もやや唖然とした表情を浮かべる。
先程思い出した。この少年の名は、レギュラスだ。
今年の入学式の時に、また星の名をした少年がいる!と印象に残っていたのだ。


「レギュラスという素晴らしい名を与えられておいて、なんだこの騒ぎは!
 『小さな王』『獅子の心臓』、そう呼ばれる星の名を与えられておいて!
 真実に目を向けず、駄々をこねて他人を罵倒するなど。小さい!小さいぞ、恥を知れ!
 おまけに、図書室で喚き散らすだなど、愚かにもほどがある。
 人気の少ない書棚付近とはいえ他人の迷惑を考えろ!
 数少ない1等星なのだから、貴様はもっと輝けるはずだ。シリウスのように!」


Mr.ブラックといいこのレギュラスという少年といい、
己が如何に素晴らしい名を名乗っているのかという自覚が足りないのではなかろうか。
嗚呼どうすればこの問題の重要さについて彼らは理解するのだろうか!
しかし、彼らにそれを理解して貰うにはもう少し時と場所を選ぶべきだったと、
脳天にびしりと走った衝撃によって後悔することになった。


「図書室では静かに!!」
「イエス、マダム。貴女の仰る通りであります」


ずきずきと走る痛みで我に返る。
しまった、ここが図書室だということを忘れてヒートアップしてしまった。
怒りで腰を揺らしながら去っていくマダムを後悔しながら見送っていると、
くく、と背後から笑いを押し殺した声が聞こえた。何だと思い振り返ると、
Mr.ブラックが肩を震わせながら笑いを堪えていた。目尻に涙が溜まっている。


「どうした、Mr.ブラック?」
「いや、あー…も、お前って、はぁ、っく…!」


どうにも笑いが収まらないらしい。いつも仏頂面の彼からは考えられない態度だった。
またマダムに怒られることのないように必死で声を押し殺して堪えてる。
一先ず、放置だ。目の前で僕と同じように頭を抱えているレギュラスという少年に話しかける。


「…すまなかった、星のことになると我を忘れる。
 結局僕も愚かだな。マダムの怒りに下級生を巻き添えにして悪かった」
「…いえ、僕にも否はありますから」


そう言う少年は、もう興奮が収まったようですっかり落ち着いていた。
素直に自分の否を認められる。1年生らしくない大人びたその態度は、
Mr.ブラックに良く似ており、気高い星の美しさを連想させた。


「…やはり君も、星の名を名乗ることを許された者なんだな」


そう告げると、目の前の少年は驚いたように目を見開く。
そして一瞬、ほんの少しだけ、頬を緩ませて笑った。


「貴方の名は?」
「僕?僕は、だ」
「あぁ、聞いたことがありますよ。『星狂い』だそうですね」
「…そう呼ばれているらしい」


いくらそう呼ばれることが嫌じゃないとはいえ、1年生にまで広まっていることに少々複雑な気持ちを抱く。
そのことを察したのか、僕も少々耳にした程度ですから、とフォローを入れられる。
どうやら、先程は取り乱していただけで、本来は聡明な性格のようだ。
そんなことを考えていると、少年は僕の背後にいたMr.ブラックに目を向ける。
Mr.ブラックはようやく笑いが収まったようで、そんな少年に視線を返していた。


「今日はこれで帰ります。レポートがあるようですし。でも僕は、まだ貴方を許した訳じゃない」
「ああ、だろうな」
「でも、本当に貴方が、彼の言うような誇り高い人物だと思えたら…
 その時は、僕は貴方を許します。グリフィンドールの、貴方を」
「…ありがとな、ラス」
「礼を言われる覚えはありません、兄上。
 あと、Mr.。申し遅れました、僕の名はレギュラス・ブラックです。
 Mr.ブラックだと兄と被るので、レギュラスとでも呼んで下さい。では」


そう言って、レギュラスは去っていった。
僕はと言えば、Mr.ブラックとレギュラスが兄弟だったということに驚いていた。
確かに、良く顔が似ている。そしてファミリーネームも一緒だ。
同じ一家に、星の名をした息子が二人も。何ということだ。奇跡か。


「ブラック家は何だ、星に愛された家なのか。羨ましいことこの上ないんだが」


呆然とそう呟いた僕に、Mr.ブラックは今度は声を殺すことなく大笑いした。
勿論、そんな騒ぎをマダムが見逃すはずもなく、本日二度目の鉄拳制裁を食らった。
目の前に星が散った。夜空で見る星と違い、美しくもなんともない。
できればあまり見たくない部類だ。痛い。





09/08/09