その人物と自分が出会ったのは、本当に偶然だった。








よく晴れた、穏やかな日だった。
側近を連れて鷹狩りをしている最中、自分の鷹が突然大きく旋回し、
何かに呼ばれるように山の奥へと入って行った。

―――見失ってしまっては、もう戻って来ないかも知れない。

心が震えた。ぞっと、腹の底が冷たくなる。
あの鷹は、今年自分の齢が十となった祝いに、父から与えられたものだった。
浮かんだ焦燥を掻き消すように、直ぐ傍に控えていた側近の馬に跳び乗った。
梵天丸様!と焦った声色で側近が叫んだのが聞こえた。
しかしその時には既に、自分は鷹を追うように深い木々の向こう側へと足を踏み入れていた。









―――確か、こちらの方角へと来たはずだ。

下馬し、弾む息を整えながら周囲を見渡す。
そこは、深い緑に囲まれた、静かな空間だった。
木々は自由な方向へ枝を伸ばし、思いのままにその葉を茂らせている。
鷹狩りをしていた箇所からは余り離れていないはずだが、
どこか別世界のようにも感じた。


「……ああ、お客さんかい?珍しい」


背後から声をかけられて、心の臓が跳ねる。恐怖。
それを跳ね除けるように振り向いた先には、自分の側近よりも幾ばくか年若いであろう、人間が居た。
見たところ得物は手にしていないが、代わりに大きな竹籠をひとつ持っていた。

―――得体の知れぬ存在は、まず疑え。

日頃の教育の賜物だろうか、無意識のうちに忍ばせた懐刀へと手が伸びた。
そんな自分を見て、その人間は一瞬目を丸くし、害は無いとでも言うように視線を緩めた。


「坊、そんなに警戒することはない」
「貴様、何者」
「私は。この先の庵に住んでいる者だ」


野草を摘んでいてね。そう呟きながらこちらへと歩み寄ってくる。
警戒し、懐刀を強く握り締めた。何時でも目の前の相手へと突き刺せるように。
だが、と名乗った者は、あっさりと自分の直ぐ横を通り過ぎた。
やや、拍子抜けしながらも、そのまま進む背を視線で追う。
彼方此方に隆起している根の合間を器用に縫い、淀みなく動くその足の進む先には、
そこに存在したことに気付かなかったほど、自然と同化している庵があった。
見た限り、荒れ果てている。

その時、やあ、これはまた珍しいお客さんだ、と声がした。
坊、何もしないから、来てみなさいと前方から声を掛けられる。
じりじりと警戒しながら、歩を進めた。乗ってきた馬は、手近にあった木に繋いでおいた。


「青葉!」


思わず、叫んだ。視界に入ったという者の肩にとまっていたのは、自分の鷹だった。


「坊の鷹かい?」


こくりと一つ頷く。そんな自分を見て、という者の表情は嬉しげに緩んだ。
爪を立てない優しい子だ。鷹など、久しぶりに触ったよ。と呟き、鷹の喉を撫でている。
青葉と名付けた鷹は、どこか甘えるように目を細め、喉を擽る指に擦り寄っていた。


「この鷹を追って来たんだね。青葉、いい名だ。
 まあ、せっかくここまで来たのだし、少し上がってお行き。
 …と言いたい所だけど、長い間此処を空けていてね。先日、戻ってきたところなんだ。
 見ての通り、荒れ果てている。ご覧、壁に穴が開いてるだろう?おまけに床まで腐ってるときた。
 埃や虫や枯葉ならまだ掃除すればいいんだけどね。これには参った」


余り参ったようにも見えない顔で、のんびりとした口調で話されたその内容に、
張り詰めていた神経が緩み、何処か気が抜けたことを自覚した。
しかし、懐刀を握る手は緩めずに話しかける。


「ここに、住んでいるのか?」
「そうだね、そういうことになる」
「一人で?」
「いや、馬がいるよ。ああ、今は何処にいるかな。
 ご覧の通り、厩なんて無いんでね。きっとそこらで草でも食べているに違いない。
 …ああ、そういえばそろそろ君の鷹を返さなくてはね。主人の下へお帰り、青葉」


鷹が、ふわりと飛んだ。
思わず懐刀を手から放し、腕を差し出す。
飛び立った青葉は、何事も無かったかの如く自分の腕へと舞い戻った。
ずしりと腕に重みが加わる。安心感のある重みだった。
礼を言うべきがどうか迷い、結局言わなかった。
そんな自分の態度を気にした風もなく、微笑みかけられる。


「よければ、また遊びにくるといい、坊。
 ここはあまり人が来ない場所でね。気に入ってはいるんだが、少し寂しいんだ。
 うん、此処へ帰ってきてからは、坊が初めてのお客さんだよ。
 …ああ、違うな、初めてはその鷹だ。青葉、君もまたよかったら来るといい」


そう言って笑う顔には、どこか寂しさが滲んでいた。
だから、気付けばこんなことを口走っていたのかもしれない。
 

「もう少し、その庵がましになっていれば」


寂しさが滲んでいた顔が、嬉しそうに緩んだ。


「そうだね、今度坊が来た時にはあがって寛げる様にしておくよ。
 そういえば坊、名前はなんていうんだい?」
「梵天丸」
「いい名だ。さっきも言ったと思うけど、私はだ」

「ああ。ここに来るまでの道は少しややこしい。迷いそうだと思ったら、青葉を連れておいで。
 そうだ、せっかくだから坊に何かお土産をあげよう。何かあったかな」


そう言いながらは荒れ果てた庵の中へと入っていく。
暫く待つと、こんなものがあったよ、と言いながら自分の手に小さな何かを握らせた。


「コインというものだ。お守り代わりにするといい」


さあ、もうお行き。そう言って手を振るに見送られて、その地を後にした。
青葉を再び空へと放し、木に繋いでいた馬に乗る。
木々の合間を縫い、鷹狩りをしていた場所まで戻ると
心配し怒り狂った側近に迎えられ、勝手な行動をしたことについて延々と説教された。

説教がひと段落ついた頃を見計らって掌を開き、握らされたものを見る。

―――ひどく、驚いた。

あの荒れ果てた庵に住む者が持つには、到底相応しくないと一目で分かる物だった。
銭に良く似た形状だったが、銅ではない。美しい、銀だった。
しかも、表面には何処の職人が彫ったのだろうか、細かい細工が施されていた。
片面には南蛮人に良く似た横顔が、もう片面には鷹が彫られている。



―――何者だ?



得体の知れぬ存在は、まず疑え。
そう教わっていた筈だ。日頃から教育されていた筈だった。
だがしかし、今の自分の心の底にある感情は、
驚くことに猜疑心より好奇心の方が強かった。


また、会えるだろうか。


始終、やわらかな調子を崩さなかったの声が、耳の奥で響いていた。






 


09/08/11