もぐもく、ぱくり。もぐもぐもぐ、ごくり。ぱくぱく、もぐり。
ひたすら単調な作業を繰り返していると、私しかいない部屋のドアが開いた。
「元就さん。お帰りなさい」
「…何を食べている」
椅子に座ったまま片手を上げて、板さんと一緒に材料の買い付けに行っていた元就さんを迎える。
その体勢のままぐいっと背もたれにもたれると、椅子から抗議をするように『キィィ…』と悲鳴が上がった。
失礼な。私の体重くらい余裕で支えてみせろよ。と喝を入れるように更に体重をかける。
キィキィ背もたれを鳴らしながら、手に持っていたものを一口ぱくり、もう一口ぱくり。
優しい甘さが口の中に広がって、自然にへらりと頬が緩む。
「おやつにしようと思って。やっぱ春には団子、花には団子ですよね」
「勤務時間中だぞ」
「やだな。そんなの今更じゃないですか。あ、元就さんも食べますか。もう一本」
「いらぬわ」
元就さんの平手が、私の頭に直撃した。ごふっ、と喉が鳴る。
団子が詰まったらどうしてくれるんだ!という私の抗議を丸ごと無視して
元就さんが着席し、優雅に机に肘をついた。次に出てくる言葉はもう予想できる辺り悲しい。
「、何をもたもたしている。早く茶を出さぬか」
「…はい。ただいま」
とまぁ、城主と店主という関係から上司と部下という関係になった私と元就さんだけど、
基本的には以前と何も変わらず日々を過ごしている。あぁ、いい天気だ。
01.何かが弾ける音がした
そうしてゆるりと時は過ぎ、勤務時間もそろそろ終わろうかという頃。
今日はほぼ一日中座っていたので、体中の筋肉がガチガチに固まっている。
うーんと伸びをすると、ごきごきっと体中が鳴った。なんかおっさんくさい。
お腹すいたな。そう思った途端にきゅるきゅると鳴りそうになったので、慌てて腹筋に力を入れた。
男から女に戻ったときに、あの美しく割れていた腹筋は空の彼方へと旅立った。当たり前だけど。
残ってたらそれはそれで悲しい。が、無くなってしまっても寂しい。複雑だ。
いつもだったらここで板さんが賄いを用意してくれるんだけど、生憎店の方は定休日。
元就さんと買ってきた材料を冷蔵庫にしまったら、板さんはさっさと帰ってしまった。
なんということだ。と嘆いてみてもしょうがない。現実は時に厳しいものだ。
高いもの以外は好きに使っていいぞという了承は得ているので、今日は手作り賄いである。
「元就さん、今から賄い作りますけど、いりますか」
何やらパソコンに向かって計算している元就さんに向かって尋ねると、
すごく微妙な顔でしばらく悩んだ末に、小さく「ああ」と返された。
どうやらまだ料理の腕を信用されていないらしい。身に覚えもあるので反論はせず、大人しく厨房に向かう。
畜生、そのうち絶対元就さんを唸らせるようなものを作ってみせる。
でも今日はしんどいので手抜きする。いつも手抜きだろうとかいう言葉は聞こえない。
「お待ちどうさんです」
お盆を持って仕事場へと戻れば、元就さんはすごく準備万端に机の上を綺麗に片付けていた。
早くよこせと言わんばかりの視線を受け流し、ぽんぽんと皿を置いていく。
仕上げに醤油をどどんと置けば、元就さんの眉間に皺が寄った。
「…なんだこれは」
「え。見て分かりませんか」
「分かるから聞いている」
「卵かけご飯です。簡単楽チン失敗なしの素晴らしい料理ですよこれは」
炊きたてホヤホヤのほっかほかご飯に、きらりと宝石のように輝く黄身が眩しい卵。
さすが料亭、素晴らしい特選素材。醤油も卵かけご飯専用っぽくて本格的だ。クオリティが高い。
キラキラ輝くお米を見つめて美味しそうだなあとへらへら笑っていると、元就さんが呆れたように息を吐いた。
「…、これは料理とは言わぬ」
「そうつっこまれると反論のしようがないです」
「野菜も取らぬと栄養が偏るぞ」
「まさか元就さんに説教されるとは思いませんでした」
一際大きなため息をついて、元就さんが立ち上がる。
そのままスタスタと厨房の方へと向かうので、慌ててその背を追いかけた。
「元就さん、冷めるとおいしくないですよ」
「すぐ終わる」
がちゃりと冷蔵庫のドアを開けて、中を物色している元就さん。
後ろから覗き込むようにしてしゃがみこむと、いきなり振り返ってきた元就さんの肘が
顎にクリーンヒットした。いきなりなので受身もクソもない。小さく悲鳴を上げて後ろにこける。
視線を上げると、床に惨めに転がる私を哀れそうな眼差しで元就さんが見ていた。
別に謝罪の言葉とか期待してなかったけど。心配する一言とか無いのかな。ある訳がないな。
未だに衝撃の余韻が残る顎をさすりながら立ち上がると、目の前に信じられない光景が。
なんということだ。元就さんがエプロンを着けて、料理をしていた。
「料理できたんですか」
「今更何をほざいている」
「いや、だってやってるとこ見たことなかったし」
「今まさに見ているだろう」
私の驚きを気にした様子もなく、元就さんは慣れた様子でちゃちゃっと手際よく料理を完成させた。
感心していると、何をモタモタしている、置いていくぞとつっこまれる。
足早に仕事場の方へと戻っていく元就さんを慌てて追いかけた。
相変わらず素敵にゴーイングマイウェイだ。本人には言わない。言うと怖い。
卵かけご飯だけだった机の上に、もう一つお皿が加わる。
元就さんが作ったのは、アスパラのベーコン巻きだった。
おお。一気になんか豪華に見える。緑の力というのは素晴らしい。
いただきます、と手を合わせてかぶりつく。
「おいしい!なんかお口の中が春。春です」
「我の作ったものが不味い訳なかろう」
ふん、と鼻を鳴らしつつ、満更でもなさそうな元就さん。
もぐもぐ食べていると、ふと頭の中から記憶が転がりだす。
「元就さん。アスパラの花言葉ってご存知ですか」
「またいつものくだらない話か」
「くだらないかどうかはさておいて。知ってますか」
「知らぬ」
我がそのようなことを知っていたら不気味だろう、と呆れたように元就さんが呟くので、
それもそうだと同意した。薔薇の花言葉は真実の愛!なんて叫ぶ元就さんは想像できない。したくない。
「アスパラの花言葉は【もっと活用して】です」
「まさにのためにあるような言葉だな」
「それはなんですか。私が全然活用できないとでも言いたいんですか」
「料理の腕に関してはな」
うぐっ、と言葉に詰まる。くそ。反論できない。
あっという間にお皿の上が綺麗になって、ごちそうさまでしたとご機嫌で手を合わせる。
鼻歌を歌いながら、元就さんの分の食器も回収して洗い場へ持っていく。
後片付けまでが料理なんだぜ!って以前誰かが言っていた気がする。
誰だったかな。そんなこと言うのは多分伊達の坊ちゃん辺りだろうけど。
カチャカチャと食器を鳴らしながら洗っていると、食後の休憩を終えた元就さんがふらりと現れた。
「あれ、どうしたんですか。足りなかったですか」
「仕事も終わったし手伝ってやろう、有難く思え」
そう言って、私が洗った食器を次々と綺麗に拭いていってくれる。
しばらく驚きでぽかんと口を開けていたけど、食器を拭いている元就さんはとても面白い。
今まで絶対に見ることの無かった光景だからかな。すごく面白い。だってあの元就さんが、皿拭きとか。
へらりと笑いながら「なんか、元就さん前より優しくなりましたね」と言うと、顔面に布巾を投げられた。
ちゃんと洗ってるから清潔なのは分かってるけど精神的に嫌だ。
私の気のせいだった。元就さんは前と変わってない。
洗い物を終えて、元就さんが拭いた食器を片付けていく。
素晴らしい共同作業だ。当然のことながら、二人でやると後片付けも早い。
食器を片付けたら、板さんに怒られないように厨房と洗い場がちゃんと綺麗になってるかチェックする。
よしよし、今日も美しいな。満足げに頷いていると、元就さんにさっさと帰るぞと頭を叩かれた。
「ひどいですよ元就さん。おれが何をしましたか!」
「…」
「…あ」
いけね。ぱっと口に手を当てる。呆れたような顔をしている元就さんに、へへっと苦笑いした。
元就さんと喋ってると、ついつい以前の癖で「おれ」と言ってしまう。
他の人だと大丈夫なのにな。やっぱ過ごした月日の違いだろうか。
私、私、私は私…とブツブツ呟きながら荷物をまとめる。元就さんを待たせると後が怖い。
「お待たせしました」
「遅い、愚図め」
「相変わらずの言葉の暴力ですね」
店の戸締りをして、二人で歩き出す。最近は日が暮れるのも遅くなってきた。
隣に並んで歩く元就さんの方を、ちらりと見る。
普通に元就さんの顔が見えると思い込んでいたけど、見えたのは元就さんの上半身あたりだった。
そうだ、もうちょっと上だ。見上げると、ようやく見ようと思っていた顔が見れた。
そう『見上げる』んだ。以前は真横に顔があったのに。中々慣れないな。
元就さんの顔は相変わらず綺麗で、全然変わっていないように見えるのに。
今度は視線を下げると、元就さんの手が見える。何気なく見たけど、ぎょっとした。
「ストップ!ストップ元就さん」
「なんだ」
怪訝そうに眉を寄せて、元就さんが立ち止まる。
ハンズ、ハンズアップ!と喚くと、嫌そうにしながらも片手を差し出してくれる。
その手を勢い良く取って、ぴたりと私の手と合わせてみる。
大きさの差に、愕然とした。
「元就さんって、こんなに手大きかったんですか」
呆然と呟く。以前、そう、私が男だった時は、私の方が手がでかかった。
元就さんの手は、武器を使うので豆などはできていても、指がすらりと細くて綺麗で。
女の人にだって負けないんじゃないかと内心思っていたくらいだ。
でもこうして見ると、元就さんの手はすごく大きい。
そりゃあ勿論相変わらず綺麗なんだけど、でもそれでも大きい。
なんだかカルチャーショックな気分だ。全然カルチャーじゃないんだけど。
混乱しすぎてもう自分が何言ってるのかさっぱりだ。
元就さんは眉を寄せたまま首を傾げる。
「何を当然のことを言っている。我は男、お前は女なのだぞ」
未確認飛行物体が、いきなり空から降ってきたような衝撃だった。
なんの変哲も無い至極当たり前な元就さんの言葉が、ものすごい衝撃で私に襲い掛かった。
バシン!と音が鳴るほど勢い良く元就さんの手を離す。
突然何だと今にも怒り出しそうな元就さんが口を開く前に「お疲れサマッス!」と
妙な体育会系の挨拶をして脱兎の如く走り出す。女の体って走るの遅いな畜生。
後ろから「?」と呼ばれた気がしたけど、それに構っている余裕は今の私にはない。
自分でもなんでこんな必死に走っているのか分からない。なんでだ。どうしたんだ私。
得体の知れない不安感に押しつぶされそうになりながら、私は家までの道を猛ダッシュした。
夕日に向かって明日はどっちだと叫んだけど、勿論返事はなかった。
09/04/12
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