「よくきましたね、あきびとよ」
山を越え谷を越え、もひとつ小さな山を越えて。
やってきたその城で私を迎えてくれたのは、とても綺麗な人でありました。
番外編 世界で一番美しいのはだぁれ?
何故か薔薇が、薔薇が見えるぞ。いつの間に私の目にはメルヘンフィルターが掛かったんだ。
こしこしと目をこすっても、そこには相変わらず綺麗な人がにこりと微笑をたたえて座っている。
そうか成程。この人が上杉様か。
「お初にお目にかかります、上杉様。と申します」
案内された客室の、質の良さそうな畳の上に指をついて、深く頭を下げる。
慣れた挨拶だけども、大物を相手にしているということでとても緊張してしまう。
行商中に聞いた噂でも、「上杉謙信」といったらすごい人!という評判だったのだ。
私の緊張を嘲笑うかのように、どこかで鹿威しがカッコンと音を鳴らす。
「ふふ。そのようにかしこまらなくても、よろしいのですよ。
わたくしのうつくしきつるぎから、そなたのはなしはきいております」
「あ、かすが、いるんですか」
「ええ。つるぎはいつも、わたくしのそばに」
上杉様がパチン、とひとつ手を叩く。
その仕草一つとっても優雅なのだから、もうすごいとしか言いようがない。
ほうっと見とれていると、視界に金色が揺れた。かすがだ。
「謙信様、お呼びでしょうか」
「つるぎよ、そなたのいっていた、あきびとがきましたよ」
上杉様のその言葉に、かすがが振り返る。
もう私が来ていることには気付いていたようで、特に驚いた様子も無い。
緊張している私を見て、ゆるく微笑みかけてくれる。
「よく来たな、」
「…来ちゃいました。ここは、とても静かで綺麗なところだね」
見知った顔を見て、私の緊張も少しほぐれる。
正直な感想を述べてへらりと笑うと、かすがと上杉様も微笑んだ。
「の店は、いつも賑やかだからな」
「あれはあれで楽しいけどね。でも、ここは不思議と落ち着きます」
「ふふ、あきびとよ、うれしきことをいいますね」
口の端をゆるく上げて、嬉しそうに微笑む上杉様。やばいやばいキラキラしている。
キラキラの残骸を消すように、パチパチと軽く瞬きをする。すごい威力だ、キラキラ…。
ようやくキラキラが消えたところで、あ、と呟く。
そうだそうだ、さっきから疑問に思っていたことがあるんだ。
「あの、ひとつ馬鹿なことをお聞きしても?」
「ええ、かまいませんよ」
「では遠慮なく。上杉様は先ほどから『あきびと』とおれを呼びますね。何故ですか」
「そなたがあきびとだからですよ」
美しく微笑む上杉様。でもごめんなさい、結局意味が分からない。
あきびと、あきびと、…あきびと?思わず首を傾げると、かすがが呆れたように息を吐く。
知らないものは知らないんだい。
「、『あきびと』とは商人のことだ」
「商人?」
「ふふ、そのとおりです、あきびとよ」
上杉様が右手を上げると、かすがが紙と筆をどこからか取り出して手渡す。
素晴らしきチームワークだ。わんこそばみたい。
さらさら、と上杉様の手によって書かれた『商人』という文字。
字も美しいだなんて、非の打ち所の無い人だなあ。感心して、ほう、と息を吐く。
「これで、『あきびと』とよむのですよ」
「ああ。なるほど」
ぱん、と手を叩く。そうか、商人と書いて『あきびと』か。
『しょうにん』か『あきんど』しか知らなかったけど、そんな読み方もあるのか。へえ。
ようやく意味が分かってにこにこしていると、上杉様も微笑む。なんか、微笑みの貴公子って感じ。
謎も解けたし、すっきりしたところで商売の話でもしますかね。『あきびと』らしくね。
「では上杉様、早速ですが取引の内容の説明をさせて頂いても?」
「そうですね。そろそろ、はじめるといたしましょう」
荷物の中から商品の目録と帳簿を取り出して、ぱたんと開く。さあ、ここからが勝負どころだ。
うっし、と気合を入れなおして、私は上杉様を真っ直ぐ見る。商人と客の真剣勝負だ。負けんぞ。
…と、鼻息荒く商談を始めてから、数刻。
上杉様は手強かった。中々言い値に頷いてくれない。さすが有名な人は取引上手だ。
しかし、かすがが「の店は信用できます」と言ってくれたこともあり、無事にうちの店を気に入って頂けたようだ。
よかった、かすがのお墨付きがあったから大丈夫とは思ってたけど、ほっとした。
今後も定期的な取引をすることを約束し、帳簿をぱたんと閉じる。
「では、今回はこのくらいで。毎度あり」
「ふふ、ではきゅうけいにいたしましょうか」
そう言って上杉様が手を叩くと、かすががお茶を持って現れた。いつの間に。忍びってすごい。
両手で湯飲みを握り、ずず、と温かいお茶をすする。いいお茶使ってるなあ。鼻に抜ける香りがたまらん。
お茶菓子も上品な甘さで素晴らしい。くぅ、甘いものってたまに食べると美味しい。
ぺろりと平らげると、大事なことを思い出した。ごそごそと荷物の中から一升瓶を取り出す。
「すみません、出すの忘れてました。これ、土産です」
そう言いつつ、ずいっと一升瓶を上杉様の前へと押し出す。
「あきびとよ、これはなんですか?」
「喜んでいただけるか分からなかったんですけど。焼酎ですね」
「しょうちゅう、ですか」
しげしげと一升瓶を眺める上杉様。
かすがも興味深そうに覗き込んでいる。
「南の方でよく飲まれる酒です。ご存知ですか」
「ええ、わたくしもたまにのみます。これは、かなりよいもののようですね」
「分かりますか」
分かって貰えた嬉しさで、頬が緩む。
この前仕入れたその焼酎は、値は張るけど焼酎とは思えないくらいフルーティで美味しい。
上杉様は酒好きだと噂で聞いていたので、奮発してお土産にしてしまった。
美味しいものは皆で分かち合うべきだからね。
「それでは、こよいはこれでさかもりといたしましょう。あきびとよ、そなたもどうですか」
「え。ご相伴に預かってもよろしいんですか」
「ええ、えんりょすることはありません。それに、そなたはゆかいなはなしをするそうですね」
「愉快かどうかは分かりませんが、変な話はよくしますね」
頭をぽりぽりとかいて、告げる。やばいな、なんか愉快なネタなんてあったかな。
そんな私を見て、上杉様はおかしそうに笑った。
「わたくしも、いちどきいてみたいとおもっていたのです」
「そういうことなら喜んで。不束者ですが酒のお相手をさせて頂きますよ」
「きまりですね。つるぎよ、よういをたのみますよ」
「かしこまりました、謙信様」
上杉様から一升瓶を受け取って、かすがが姿を消す。
そろそろ夕餉の時間なので、急いで用意をしに行ったんだろう。
その後、夕餉を頂いてからは上杉様とかすがとで酒盛りをした。
かすがは「謙信様とお酒を飲むだなんて恐れ多い…!」と辞退していたが、
私と上杉様とで無理やり席にひっぱりこんだ。
セクハラ?パワハラ?いいんだここ戦国時代だから。そんな言葉ありません、ないったらない。
チビチビと酒を飲みながら、かすががいるので女の子向けの話を…と思い、『白雪姫』の話をした。
しかし「鏡よ鏡ー世界で一番美しいのはだぁれ?」という場面で、かすがが怒り狂ったのは予想外だった。
「の馬鹿!この世で一番美しいのは謙信様だ!」
「…鏡は言いました。『えーと世界で一番美しいのは、上杉様ですが、その次に美しいのは白雪姫です』」
「当たり前だろう!謙信様より美しい女などいない!」
「ふふ、つるぎよ、そなたはうつくしいですよ」
「謙信様…!」
えーと、えーと、目の前の薔薇をどうしたらいいですかね。
とまあ、そんな感じでたまに薔薇の世界に迷い込みつつも、夜は更けて。
上杉様ともだいぶ打ち解けて、「謙信公」「ゆかいなあきびと」と呼び合う仲になった。
余計な形容詞がついた気がするが、スルー。気にしない気にしない。
「ぎゃあ、謙信公!もう一升飲んじゃったんですか」
「ふふ、ゆかいなあきびとよ。わたくしにとってはこのていど、あさめしまえです」
「さすがは謙信様…!」
「さすがは謙信公…!ってちがーう!あの焼酎めちゃくちゃきついのに」
急性アルコール中毒とか、大丈夫なのかと心配する私をよそに、謙信公はぴんぴんしていた。
…この人、ワクだ。ザルを通り越してワクだ。とんでもない。
顔色ひとつ変えずに美しく微笑んでいる謙信公を見て、私はくらりと眩暈をおこした。
そして翌朝。
城を出る私を見送りに来てくれた謙信公に、ずしりとした荷物を渡される。
腕の筋肉が悲鳴をあげる。ぎゃあ。
「お、重っ。何入ってるんですか」
「梅だ、」
「答えをありがとうかすが。でもそんな冷静な回答は求めてない!」
「ゆかいなあきびとよ、つぎはうめしゅをきたいしていますよ」
そう言ってにこりと微笑んだ謙信公。美しい笑顔だけど逆らえない力がある。
いや、逆らえないからこそ美しいのか。まあどっちにしろ逆らえない。
それから謙信公の城に行く度になにかしら酒を造る羽目になるとは、このときはまだ想像していなかった。
知らぬが仏ってやつだ。
山道を歩きながら、ずしりと腰に来る荷物を抱えて、私はため息をついた。はあ。
09/03/15
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