がりがり、がりがり。
地面に木の枝を突き立てて、動かす。無心に書かれたその文字は、



「…我ながら、分からん」



読めなかったりする。





番外編 勝率99%





さんの店で働き始めて、半年ほどが過ぎた。
まだまだミスも多いけど、ようやく店番を任せてもらえるようになったのだ。進歩である。
生活するに当たって、当然だけど慣れないことが多くて。でも一生懸命勉強している。その中の一つが、字だ。
言葉の方は、戦国時代のくせに不思議と現代語が通じるので、店番をするにあたっては特に問題はなかった。
けれど、問題は字。シャーペン・パソコンなんてものが存在するはずもなく、筆記具は筆だ。
筆だなんて、使うの小学校の書道の授業以来だ。世の中には筆ペンという便利な道具があるんですよ。ご存知ですか。

店のお仕事の中には、注文書を書いたり帳簿をつけたりする仕事も勿論あるので、字が書けないと問題がありまくる。
しかし、この時代の字は、なんというか、その…難しい。読めない。達筆すぎて逆に読めない。
自分が真似をすると、ただ単に汚い文字になってしまい、肩を落とす日々。
うーん、書き順から勉強しなおした方がいいんだろうな。

分からないことは聞けば教えてくれるけど、さすがに忙しいところ声をかけるのは申し訳ない。
私がぐちゃぐちゃの字で書いた注文書を、皆でうんうん唸って解読しているのも知ってる。ほんとうに申し訳ない。
なので、私は暇ができたら文字の練習をしている。筆を使うこともあるし、今みたいに地面と木の棒ですることもある。
何も無いときは手のひらに指で書いて練習する。最近は時間があればそればかりだ。ちょっと夢に出そう。

決められた店番の当番時間を終え、現在はちょっとした休憩中。この休憩が終われば、倉庫の整理と肉体労働。
このちょっとした時間を利用し、ひたすら字の練習。隙間学習ってやつだ。
店の裏手にある倉庫の壁にもたれ掛かり、足元の地面にガリガリと文字を書く。やば、書く場所無くなってきた。
私の周りには、基本的な漢数字に加え、「売上」「釣銭」「値段」などの文字が躍っている。
しかし読めねー。相変わらず我ながら汚い字にため息がでる。



「…はぁ」
「…はぁ」



ん、今、誰かとかぶったぞ。
ぱっと顔を上げると、少し離れた場所に立っている少年と目が合った。吃驚したように目をまん丸にしている。
持っている袋の中身を見るに、うちの客のようだ。しかし何故こんなところに。



「…まいどどうも」



とりあえず挨拶。へこりと頭を下げると、少年も黙って頭を下げた。
その髪は、…オレンジ。うわ、お見事。お綺麗ですね。
店番してたら色んな人が来店する。その中には戦国時代じゃありえないような茶髪の人もいて。
うわー、黒以外にもいるんだと吃驚してたんだけど、ここまでオレンジなのは初めて見た。
これはオレンジに近い茶髪?それともまんまオレンジ?しょうもないことが気になる。
まじまじと少年の髪の毛を見ていると、気まずそうに視線をそらされた。あ、見すぎか。ごめんごめん。



「…この店の子?」
「そうですよ」



聞かれたので頷く。このお店で下働きしてますと申します。と名乗ると、少年は佐助と名乗った。
こっちは倉庫しかないですよ、と言うと、知ってると返された。じゃあなんでここにいる。
ひょっとして泥棒か…とジト目で見ていると、佐助少年が気まずそうに肩をすくめた。
なんだいなんだい、入っちゃいけない場所って自覚はあるのか。



「失礼ですけど、なんでここに?」
「…他にどんな商品があるのかなっていう、ただの好奇心。勝手に入って悪かったよ」
「ああ、うちの店変な商品が多いですもんね」
「だろ?俺、気になっちゃってさ」



ついでに、誰もいなかったらちょっと拝借しようかなーなんて思ってた、なんて佐助少年は悪びれずに言う。
やけに正直だ。こども相手だからってなめてるのか。自分だってこどものくせに。



「やめといた方がいいですよ。うちの店主、怖いんですから」
「あ、そうなの?」
「たぶん出入り禁止になりますよ」
「あちゃー、それは困る」



オレンジの髪を揺らして、困ったように笑う。でも、あれ?ふと違和感を感じる。



「ねえ、佐助さん。ここに来たときため息されてましたよね。
 うきうきわくわく、好奇心でちょっと見ちゃえ!って声じゃなかったですよあれ」
「…あれ、聞こえてたの?」
「ばっちり。おれとかぶりましたもん」



だから、ここに来た本当の理由は、何か別にあるんじゃないかなあって。
何かお困りのことがありましたら伺いますよ?お客さんですし、と最近習得した営業スマイルでへらりと笑う。
佐助少年はしばらく黙っていたけど、へらへら笑う私を見て観念したように口を開いた。



「…俺の今度仕えることになった主人がさあ、すげえ子どもで」
「ちっちゃいんですか?」
「俺の…5歳下?」
「ありゃ、それはまた小さいですね」
「小さいんだよ。だから我侭放題でさあ、俺困っちゃって」



ぽりぽりと頬をかく佐助少年。うん、小学校低学年のお子様はひじょうに扱いにくいよね。
中々懐いてくれないんだよね、と困ったように笑う。



「だから、なんかこどもが喜びそうないいもんがないかと思って。
 店の人に聞いたんだけどさ、なんか違う気がするんだよねー。だったらいっそのこと自分で見ちゃえ、って」
「で、忍び込もうと」
「そゆこと。いや、悪かったよ。まさかこんなとこに人がいるとは思わなくて。俺様もまだまだ未熟だなあー」



成る程、そういうことか。お子様のご機嫌取りね。ふんふん。
いいとこの坊ちゃんだったら、大抵の遊び道具は与えられてるだろうしなあ。確かに難しい。
うーんと悩んでいると、おかしそうに佐助少年が吹き出した。



「なんでアンタがそんな悩んでるの」
「いや、だってお客様がお困りだし」



うーん、うーん。私が小学校の時にはまった遊び、なあ。尚且つここでもできるようなもの。
唸っている私をおかしそうに見ている佐助少年は放っておいて、悩む。お前もちょっとは悩みなさい。
あ、口笛とか流行ったなあ。あれ、ピーピー吹いてると行儀悪いって怒られたよな。蛇が出るぞって。
そこで、ぴんとひらめく。



「指笛、とかどうですか」
「ゆびぶえ?」
「はい、指笛。ご存知ですか」
「口笛なら聞いたことあるけど」
「基本的にはそれと変わりませんよ」



下手ですけど、こんな感じです。と言いながら、右手の人差し指をコの字に曲げて、咥える。
昔はできたんだけどなあ。神様頼む成功してくれと祈りつつ、思いっきり息を吐く。
祈りが通じたのか、私の口からは『ピー!』という甲高い澄んだ音が響いた。やった、成功。



「これが指笛です。普通の口笛より大きい音が出るんですよ」
「みたいだね。吃驚した」
「これ、やってみせると子どもって喜ぶんですよね。すんごい目キラキラさせちゃってね。かわいーのなんの」
「…ちなみに、勝率は」



ごくりと喉を鳴らす佐助さん。中々ノリがいーではないか。調子に乗っちゃうよ。
にやりと笑って、持ちっぱなしだった枝をガリガリっと地面に動かす。びしいっ、決まった。



「これを見よ!」
「…いや、読めないから…」



がくっと肩を落とす。…そうか、読めないか。うん、いいよ。分かってたさ…。
アンタ字下手だねーなんて笑っている佐助少年を1回殴りたい。でもお客さんだし我慢。ちくしょう。



「…9割9分。ほぼ十割ですね」
「ええっ、そんなにすごいの?へえ、じゃあ俺もそれやってみようかな」



にこにこと笑って、佐助少年は右手の指を曲げて口に含む。そして、そのまま、



『ピー!』



「…鳴りましたね」
「鳴ったね。これってこんな簡単なもんなの?」
「いや、そんなはずは」



あれ、おかしいな。私、一ヶ月くらい毎日練習してようやく鳴ったんだけど。
ま、俺って器用だからさーと佐助少年は笑う。なんか悔しい。だいぶ悔しい。



「…とにかく、それやると子どもは喜びます。で、大体やり方教えてー!って言われて」
「でも子どもにはできなくて?」
「そう、簡単にはできないはず、で。尊敬の眼差しで見られます。しかし佐助さんは例外とします」



俺一発でできちゃったもんねえー。そうですね、できちゃいましたもんねー。にこにこにこ。
あ、なんかこの子苦手かも。エスっぽい。絶対サドだ。
しばらく見詰め合って笑いあう。うわぁ、なんかこの図嫌だ。
そろそろ限界だ、胃がキリキリする…と思っていると、にこにこ笑っていた佐助少年が口を開いた。



「んじゃま、やってみるとするよ。アンタのお陰でなんとかなりそう。ありがとね」
「お客様のお役に立てて何より。あとアンタじゃなくてです。覚えてくださいね」
、ね。分かった分かった、覚えたよ」



本当か?と疑いたくなるような軽い言い方をして、佐助少年はこちらに背を向けた。
そーだ早く帰ってくれ。君の微笑みはなんだかうさんくさい。
営業スマイルを貼り付けてにこにこしていると、歩き出していたオレンジ色の頭がくるりと振り返る。



「あとさ、余計なお世話かもしんないけど、アンタの『二』って字『こ』に見えるから直した方がいーよ」



そう言ってにやりと笑い、ひらひらと手を振って佐助少年は帰っていった。
「…またどうぞご贔屓にー」と呟いて、足元を見る。…確かに、『こ』に見える。
親切なんだか目敏いんだか。地面なんて見てる様子なかったのにな。
あと絶対人の名前覚える気ない。早速『アンタ』呼びされたし。お前は鳩ですか、三歩進んだら忘れちゃうんですか。

なんだかちょっと疲れたような気分になりながら、
私は仕事を再開するため倉庫の中へと向かった。あー、営業スマイルは安売りするもんじゃないな。





09/03/03