行商中にふらりと立ち寄ったその場所は、躑躅が色鮮やかに咲き誇っていた。
赤に、ピンクに、白。まるで花束だ。気持ちよく晴れた空とのコントラストが美しい。
んん、と小さく伸びをする。いいなあ、お昼寝日和だなあ。
ふわあ、と出る欠伸を止める理由も無く。ああ、もう我慢できない。
こんなところで寝たら危ないってのは分かってるけど、ちょっとだけ、ちょっとだけ。
賊もまさかこんな昼間から人を襲ったりしないでしょう、多分。
背負っていた風呂敷をどさり、と下ろす。
中に大事な商品がたっぷりつまったそれは、ほどよくボリュームがあって枕にちょうどいい。
ごろんと寝転がって空を眺めれば、心地良い眠気が私を襲う。
ああ、ちょっとだけ、ちょっとだけだよ。そう呟いて今まさに眠りに落ちようとした瞬間。
物凄い衝撃が腹に来た。ごふっ!不意打ちは卑怯なり。
まさか賊?やだなあ運悪い!と慌てて起き上がると、私のお腹の上には、一人のちっちゃいお子様が。
…誰ですか。
番外編 透明な真珠のようだよ
「…坊や、お名前は」
「弁丸!」
「おいくつ?」
「七だ!」
迷子は速やかに交番に届けましょう。お名前と年齢は最初に聞かないとね。いけないよね。
にこにこと、眩しい笑顔で私のお腹に乗り続けるお子様。軽いからいいけどさあ。
まん丸の目と、ふわふわの茶色い髪の毛が可愛い。ぴょこんと後ろで小さく髪をくくっている。
この子はきっと将来有望だ。うん、間違いない。
「お父さんかお母さんは?」
「父上も、母上も、やしきにいるぞ!」
「…じゃあ、君はひとり?」
「さっきまで、佐助がいた!」
そうお子様が告げると同時に、目の前に躑躅が散った。
ひらひらと風に舞う花の欠片たち。その中に見知ったオレンジ色を見つけて、
私は思わず「あ」と呟いた。それは彼も一緒で。
固まる私たちの真ん中で、お子様が「佐助!」と嬉しそうに声を上げる。
その声に反応したオレンジ色の髪の少年…そう、佐助少年だ。
佐助少年は私のお腹の上に乗っかっているお子様を見て、途端に怒った顔になった。
ひぃ、こわい。私に怒ってるんじゃないって分かるけど、こわい。
「若ってば、こんなとこにいた!勝手に出歩いたら駄目だっていつも言ってるでしょ!」
「すまぬ佐助!花のなかであそんでいたら、どこがどこだかわからなくなったのだ!」
そう告げるお子様の体には、そう言われると確かに葉っぱやらピンク色の花びらやらが付いていて。
微笑ましくなって笑っていると、佐助少年の視線がこちらに向く。若干呆れたような顔だ。
「で、アンタはなんでこんなとこにいんの?」
「いやあ、今は行商の旅の最中でして。ふらりふらりと放浪中なのですよ」
「へえ、最近店にいないと思ったらそういうことか」
「そゆことです」
へらりと笑った私を見て、佐助少年も軽く笑う。
奇遇だな。まさかこんなところで佐助少年に会うとは。
「で、若。いい加減降りなさい。この人は俺みたいに鍛えてないから苦しいと思うよ」
「その一言は余計だと思うよ佐助さん」
「佐助、しりあいか?」
「うん、知り合い知り合い」
佐助少年は「それがしにも、しょうかいしろ!」と喚くお子様をあしらいつつ、
私のお腹を圧迫感から解放してくれる。すう、と肺に酸素が行き渡った。おお、苦しくない、素晴らしい。
腹筋の必要性を改めて感じる。腹筋大事。鍛えなければ。
よいしょと立ち上がり、頭についた躑躅の欠片やら葉っぱやらをぱらぱらと払う。
同じようにして、喚いているお子様の頭も払ってあげた。うわ、ふわふわ。これはたまらない。
子どもはね、基本的に好きなんですよね。だって可愛いもん。
「初めまして、おれは。佐助さんはうちの店の常連さんなんだ」
「、だな!それがしは弁丸、弁丸ともうす!」
にかり、太陽のような眩しい笑みを浮かべるべんまるくん。
そっか、この子が佐助少年の言う『小さな主人』か。可愛いな。私もこんな弟が欲しい。
にこにこ笑っているべんまるくんの隣に、我関せずという顔で立っている佐助少年をつつく。
「なに」
「べんまるってどう書くんですか」
真顔で問うと、呆れたようにため息を一つ零しつつも、なんだかんだと優しい佐助少年である。
どこから取り出したのか分からない苦無ですらすらと地面に文字を書いてくれた。『弁丸』か。よし。
私も木の枝を拾い、その字を見ながら同じように書いてみた。ふむふむ。
「なるほど。これで『弁丸』くん」
「アンタ、相変わらず字汚いねー」
「ええい、お黙りなさい」
持っていた木の枝を投げると、普通に避けられた。おもしろくない。
そんな感じで佐助少年と戯れていると、くいくいと袖をひかれた。
ん?と思って見ると、好奇心で目をキラキラさせている弁丸くん。
「おもいだしたぞ!は、佐助のゆびぶえのししょうだ!」
…なんとも言えない気持ちで佐助少年を振り向くと、彼も生温い微笑を浮かべていた。
師匠、か。うん、師匠、師匠ね…。一度見せただけでなにも教えることなく巣立って行かれましたがね。
「それがしも、ゆびぶえができるようになったのだ!」と嬉しそうに話す弁丸くんに付き合っていると、
立ち話もなんだし、寄ってけば?という佐助少年が言ってくれた。
ここから程近い場所に弁丸くんのお屋敷があるらしい。
今夜泊まる場所を探していると告げると、弁丸くんはキラキラした笑顔を浮かべる。
「うちにとまってゆけばよい!佐助のししょうならば、だいかんげいだ!」
この子は懐がでかい。「弁丸くん、君は将来大物になるよ」と告げつつ、有難く甘えることにした。
しかし、タダで泊まるというのも悪い。どうしようかな。なんかいいものあったかな。
屋敷に到着して客室に案内されたあと、汚れていた弁丸くんと一緒に風呂に入ることになった。
ついでに佐助少年も一緒だ。裸のお付き合いってやつですね。今更恥じらいもあるかくそったれ。
風呂に入る準備をしていると、荷物の中からいいものを発見する。
あ、いいものあるじゃないか。これはお子様は喜びそうだ。よし、これに決めた。
うきうきした気持ちで、部屋まで迎えに来てくれた佐助少年と弁丸くんと一緒に風呂に向かう。
えいやっ、恥じらいも何もなく服を脱ぎ捨てる私。うーん、筋肉はついてるもののどことなく薄っぺらい。
同じく隣で脱いでいる佐助少年は、「私、脱いだらすごいんです!」を体現していた。
何故。見たところ歳は一緒くらいなのに、なんでこんなに違うんだ。
まじまじと眺めていると、居心地悪そうに佐助少年が肩をすくめる。
「…なーに、俺様の体に見とれちゃった?」
「いや、すごいなあと思って。おれって鍛えてなさすぎなのかな」
「佐助は、しのびだからな!」
弁丸くんが得意気に告げた事実は、私を驚かせた。
「ええっ、佐助さん忍びだったの?!」
「遅ッ、気付くの遅ッ!今まで俺苦無とか買ってたじゃん!」
「ふたりともはやくしろ!」
それがしがいちばん!と嬉しそうに叫んで、弁丸くんが湯船に直行する。
若、体洗ってからって言ってるでしょ!と慌てて弁丸くんの元へ走る佐助少年。
ここに二人の関係が見えた気がする。佐助少年はいいお母さんになるよ。
三人で湯船に浸かって、ふうと息を吐く。極楽極楽。広い風呂はやはりいい。
まったりしている弁丸くんと佐助少年を見て、そうだそうだと風呂桶から持参した小瓶を取り出した。
「弁丸くん。今日泊めてくれたお礼に、これを差し上げよう」
「ちょっとアンタ、若に変なもんやんないでよ」
「安心してください。ただの遊び道具です」
そう告げて、きゅきゅっと小瓶の蓋を開ける。青いガラスでできたそれは、見た目も美しい。
その中身に、木を加工して作った細長い管…いわゆるストローを付けて、ふう、と優しく吹いた。
ふわん、舞い上がったそれは、湯船についた瞬間にぱちんと弾ける。
驚きの表情で見ている弁丸くんに向かってにこりと笑いかけ、ストローを手渡した。
「そっと、吹いてごらん」
「そっと、だな?」
緊張した面持ちでストローを口に含む弁丸くん。
赤く染まったほっぺたを膨らませてふうっと息を吐くと、
大きくてまるいシャボン玉がふわりと浮かんだ。
佐助少年が感心したような表情で口を開く。
「へえ、面白いね」
「シャボン玉っていうんですよ。最近売り出したんですが、子どもに人気なんです」
この瓶は危ないんで保護者が持っていてくださいね、と言いながら佐助少年に手渡す。
保護者って…と微妙な顔をしていた佐助少年だけど、しっかりと受け取ってくれた。
「でもいーの?こんな高そうなもの」
「いや、子どもの遊び道具なんでそんなに高くないですよ。その小瓶はちょっと特別製ですけど」
久しぶりに風呂に入れてとても嬉しいんで、あげちゃいます。そう言ってへらりと笑った。
「佐助、もういちどだ!」とはしゃぐ弁丸くんに、ストローの先を瓶の中身につけるように促す。
あっという間に風呂中を埋め尽くしたシャボン玉は、とても綺麗で。
3人ともなんだかんだと時間を忘れて遊んでしまった結果、しっかりとのぼせてしまった。
「さ、佐助さんがいながらこうなってしまうとは…」
「…俺様だって、普通に失敗することもあるよ」
「それがし、あたまがぼうっとするぞ…」
脱衣所でへばっていると、心配した屋敷の女中さんに揃ってお叱りを受けたのは、余談である。
09/03/19
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