ある日、森の中、熊さんに、出会った。
頭の中に、聞きなれた軽快なメロディーが流れる。
白い貝殻のイヤリングを落とした覚えは無いけれど、命を落としそうです。
番外編 その心臓、一捻り
何がいけなかったのか、振り返る。
道案内も付けずに、気軽に森に入ったのがいけなかったのか。
それとも、鈴を持っていなかったのがいけなかったのか。
そもそもこの辺りに町があると聞いたこと自体がいけなかったのか。
熊さんと対峙すること、数秒。わぁ、熊さん涎たれてますけど。私おいしくないよ。
え、死んだフリした方がいい?死んだフリってどうするの?倒れるの?いきなり?そんな馬鹿な。
ガチンコバトルする?無理。だってこいつ小熊じゃないよ、でっかいよ。
小熊でも無理だよ、誰だよパンダ可愛いとか言ってる奴。あれだって熊だよ。でも可愛いのは認める。
どうしようどうしようと考えていると、ガサガサと熊さんの後ろの茂みが動いた。えええ、新手ですか。
「まあ、五郎丸!こんなところにいたのですね」
茂みから出てきたのは、新手ではなくて、少女だった。
こっち来たら危ないよ…!そう言って止める間もなく、スタスタと恐れることなく熊に近づく少女。
探しましたよ!なんて言いながら熊を撫でている。え、え。飼い主か。熊って飼えるのか。
目を点にしながら立ちすくんでいると、ようやく少女がこちらに気付いた。
「あら、このようなところに人が!いけません五郎丸、食べたらお腹を壊しまする!」
つっこみ所そこなんだ。
少女の言葉を理解したのか、熊さんはようやく涎をたらすのをやめた。…賢い、のか?
何はともあれ助かってよかった。…熊と、少女と、私。この状況は、助かったと言えるのか。
「申し訳ないですわ、五郎丸はまだ躾がなっていなくて。よぅく言っておきますので」
そう言いながら、こちらに頭を下げる少女。みたところ、今の自分より少し年上くらいかな。15歳くらいか。
躾…そうか…躾をすればどうにかなるんだ、熊って…そういうものなのか…ふうん…。
まあ、いいや。熊はおいといて。とりあえずお礼だ。
「いやいや、よかったですよ。おれも助かったし、彼もお腹を壊さずにすんだし。有難うございます」
「嫌ですわ、そんな!頭を上げてくださいまし」
二人で顔を見合わせて、ふふふと笑う。笑う二人の間に熊がいる。シュールな光景だ。
あー、と。熊は気になるけど、せっかくだし聞いとくか。貴重な第一町人発見っぽいし。
「あの、この辺に町ってないですか。おれ、行商に来たんですけど」
そう尋ねると、少女は目を輝かせた。
「まあ、そういうことでしたの!まつの住んでいる町がすぐ近くにありますわ。
滅多に人が来ない町ですので、この様なところでどうなさったのかしらと思っていたんです」
「よかったら案内して頂けると助かるんですが…あ、名乗り遅れました。おれは。といいます」
「行商の方が来られるなんて、久しぶりで嬉しいですわ。わたくしはまつ、まつと申しまする」
どうぞよしなに、そう言って二人で頭を下げあう。その二人の間に熊。いい加減なんとかならないのか、この熊。
熊をじーっと見つめていると、まつさんが気が付いたのか、熊の背を叩く。
「ああ、この熊は五郎丸と言いますの。ほら五郎丸、ご挨拶なさい!」
まつさんが言うと、熊…五郎丸は、ガウ!と言って片手を振り下ろした。
…怖い。まじ怖い。
それ挨拶ですか。どう見ても軽くヤっとく?って感じでしたよ。ねえ。気のせいか。気のせいなのか。
まつさんに悪気はないとしても、怖い。怖すぎる。だって熊ですよ。2メートルくらいありますよ。怖いよ。
私なんか軽く倒せますよ、って目が言ってる。ああ、どうしよう、私生きて戻れるかな。
しかし、村までの移動手段は、あろうことか、その恐ろしい五郎丸であった。
「さあ、さん、乗ってくださいまし!遠慮は無用にございまする」なんて、まつさんが笑顔で言うからさあ。
どうやって断れっていうの。五郎丸は何考えてるのか分からない顔でこっち見てるしさあ。
熊の考えてることなんて分かんないけどさあ。どうせ「コイツうまそうだな」か「コイツまずそうだな」とかそんなんだよ。
心の中でどれほど拒否しても、私に拒否権なんてものがあるはずもなく。
私は今馬上の人ならぬ、熊上の人だ。まつさんとタンデムである。熊の上って、人乗れるんだね…知らなかったよ、うん…。
まさか生きてるうちに熊の背に乗ると言う体験をするとは思いもよらなかったな。人生わかんないな。
五郎丸の背でゆらゆら、ゆさゆさと揺れていると、だんだん恐怖心も麻痺してきた。
よく見るとつぶらな瞳が可愛いではないか。うん。するどい爪?何ソレ。ゼッタイ見ない。断固見ない。
そんなこんなで気付けば町に着き、行商ができるような場所へと案内してもらう。
「さん、こちらですよ」と先導して案内してくれるまつさんには感謝感謝である。
ここまで運んでくれた五郎丸にも感謝感謝。お前、怖いけどいい奴だな。
撫でたいけど、気持ちだけでやめとくよ。うん、お前も頭撫でられるの嫌いだろう?そうだろう?そうに違いない。
感謝の気持ちを込めて、別れ際にまつさんに白い貝殻のイヤリングをあげた。
いや、商品の中にあったんだよ。これはまつさんにこそ相応しいと思うんだ。
どうぞ五郎丸と素敵な歌を歌ってくださいと言いつつ手渡すと、
「殿方にこのようなものを頂くなど…犬千代様に怒られてしまいますわ」などと言いつつも、
嬉しそうに受け取ってくれたのでよしとする。やっぱり女の人は可愛いものが好きですよね。
五郎丸には、保存食として持っていた干し肉をあげた。
ものすごく遠くから、全力でフルスイングして肉を投げる。…彼は素晴らしい食いつきを見せた。やっぱ怖い。
2〜3日その町に滞在している間に、まつさんは毎日ペットを連れて買い物に来てくれた。
そう、まつさんは、五郎丸の他にも愉快な動物達を飼っていることが発覚した。
鷹の太郎丸には、商い中に空から奇襲された。(髪を、髪を食うな。ヅラだったらどうするんだ)
猪の次郎丸には、並べてあった商品を荒らされた。(いきなり突進してきた。なんだお前らこれ並べなおすの大変なんだぞ)
モグラの三郎丸は、歩いてる最中に出てくるもんだから危うく踏みかけた。(動物は踏んじゃいけません)
四郎丸には肉を貢ぐはめになった。(五郎丸に肉をやったのを嫉妬しているらしい)
ペットじゃないけど、まつさんは犬千代さんという人も連れてきてくれた。
まつさんの夫らしい。こんなに若いのに、夫婦なんて。戦国時代ってすごい。
犬千代さんは大らかで明るいいい人だった。まつさんとはいいコンビである。
しかし、犬千代さんの体中には、すごく傷があった。…その傷は、あの動物達に付けられたと考えていいんでしょうか。
聞くのが怖かったのでやめといた。真実はいつもひとつ!と自分の心を誤魔化した。
まつさん、あの、犬千代さんのためにも、動物の躾は、ちゃんとした方がいいと思います。
という言葉は、まつさんの横にいる五郎丸の目線が怖くて飲み込んだ。
あー、もう、熊怖い。トラウマだ。
09/02/18
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