冷たい風にごしごしと腕を擦る回数も減り、代わりと言っちゃあれだけれども
ぽかぽかと暖かい日差しにふわぁと間抜けにあくびをする回数が増えた。
春は良いね。寝日和だねと締まりの無い笑みを浮かべながら店番をしていると、
顔なじみの飛脚さんがやってくる。おお、手紙だ。
既にこちらに背を向けて颯爽と走り去っていた飛脚さんに、どうもありがとう!と叫ぶ。
飛脚さんはその声に答えるように片手を上げた。眩しい。男前だ。
私もあんな粋な仕草をやってみたいもんだ。
それにしても、手紙か。
めずらしいな、誰からだ?と思って見てみると、中には3種類の文字が踊っている。
なんだかんだと世話になっている、前田家の皆さんからのお手紙だった。
番外編 上手くは伝わらないね
最初は、想像通りに綺麗なまつさんの文字。
時候の挨拶から始まり、お元気ですか云々、手紙にお決まりの挨拶が綴られている。
と、文字が変わった。力いっぱい元気いっぱい、のびのびとした字である。
『、元気か?花見に来いよ!』と大きく書かれたその字に、ぷくくと笑いが漏れる。
これは慶次だ、慶次に違いない。きっとまつさんに怒られたんだろうな。ざまーみろ。
口元を緩めながら更に手紙を読み続けると、まつさんの綺麗な字に戻った。
慶次の一文に謝罪を入れつつも、よろしければ一緒に花見をしませんか?という内容だった。
他人から見れば、手紙を読んでにやにやしている怪しい男だということは分かっている。
どこのラブレター貰ってにやけてる思春期少年だってな。わはは、でもにやけちゃうのはしょうがない。
最後に、犬千代さんらしき真面目そうな字で『まつの上手い飯が待ってるからな!』と書き加えられてあった。
ああ、目の前にあの3人がドタバタしながらこの手紙を書いている光景が浮かぶようである。
仲良いよな、あの3人。うん、久しぶりに会いたいな。まつさんのご飯も食べたい。
よし、行くか。と私はいそいそと旅の支度を始めた。
そうして、私はここ前田家の屋敷へとやってきたのであった。まる。
前田家の庭には、とっても立派な桜の木があった。
色々桜は見てきたけど、この桜はまた見事。大口を開けて見上げていると、
ひらひらと何かが口の中に入った。吃驚して咽る。
「ッ?!、ゲほっ、うわ、花びら口ん中入ったッ」
「何やってんだよ。間抜けだなー」
「み、みず!うわー喉に張り付いて、う、ガハッ」
「まあ、さん!慶次、早く水を入れて差し上げなさい!」
「はいはいっとぉ」
喉を押さえて咽る。うわ、なんだこの違和感。吃驚するわ。
慶次が持ってきてくれた水を一気にぐびりと煽ると、喉にあった違和感が消えた。
と、同時にくらりと眩暈。あ、なんかこの感じ覚えがある、覚えがあるぞ。
「…慶次、これ酒だろ」
「あ、バレた?いやーいやー、わりぃ!ついつい」
「ついじゃない。ちっくしょう慶次のバカ野郎」
「えっ、なんだよー、何怒ってんだよ?」
「酔っ払ったらまつさんの美味しすぎるご飯が食べられないじゃないか!」
うわーんと悲鳴を上げていると、桜の木の下へとまつさんが料理を運んでくる。
まつぅ、ひとつ摘んでもいいか?と涎を垂らしている犬千代さんも一緒だ。
「犬千代様、つまみ食いはいけませぬ!」
「しかし某、腹が減ったぁ〜」
「おれもさっさと何か胃に入れないと酔っちゃいそうです。慶次のせいで」
「ちぇっなんだよ、俺のせいかよー?」
「それでは、乾杯するといたしましょう。慶次、皆に酒を」
「えー!俺が?」
「口答えは許しませぬ!」
カッ、とまつさんが普段からは考えられない気迫で怒鳴る。
途端にびくぅと縮こまった慶次につられるように私も縮こまる。まつさんって怒らせると怖い。
びびりまくった慶次が酒を皆に配る。犬千代さんがにかりと笑って、乾杯!と叫ぶと
皆で杯を軽くぶつけて乾杯。くいっと煽る。ぷはぁ。さっきも飲んじゃったし、本気で酔いそう。
むーんと唸っていると、まつさんが私に皿と箸を手渡す。
そこには、まつさんお手製のご飯が綺麗に盛り付けされていた。思わずうわぁと歓声を上げる。
綺麗に盛り付けされた散らし寿司がまぶしい。錦糸卵が輝いている。
菜の花のおひたしがまた上品な彩を添えていて、柔らかそうな筍の煮物がまた食欲をそそる。
「に、日本の食文化の宝石箱…!」
手を震わせながら感極まって叫ぶと、「、もう酔ってんの?」と慶次に聞かれた。華麗にスルー。
いつもまつさんのご飯を食べてるお前にこの素晴らしさは分かるまい。
いつも自分の作った微妙な味のご飯を食べている奴のつらさなど分かるまい!
いただきます!と叫んで、口いっぱいに頬張る。おいしい。花あんまり見てないけど花見さいこー!
ばくばく、ぐびぐび、胃の中を幸せに満たしつつも会話は弾む。
いい感じに酔って、頬を薄いピンク色に染めた犬千代さんに肩を組まれる。
がっちりとしたたくましい腕に感動する。相変わらず傷だらけだ。
「、某はの話が聞きたいぞ!」
「じゃあなんか話でもしましょうか」
なんの話がいいかな。
ふと、頭の中にあの恐ろしき五郎丸の姿が浮かぶ。
「じゃあ、一人の少女と熊の心温まる話でも」
「心温まるか!いいな!春だしな!」
「昔々あるところに、何故だか分からないけど森の中に入っちゃった少女がいました」
「物騒だなー」
「するとアラびっくり、森の中で少女は熊さんと出会いました。周囲には花が咲き乱れています」
「まあ、素敵な運命の出会いにございまする!」
「熊は言いました、『僕これから君を襲っちゃうけど逃げなくて大丈夫?』」
「中々に手が早い熊だなー」
「少女は貞操の危機を感じてスタコラサッサと逃げました。しかし気付けば熊が追いかけてきます」
「まあ、心臓がどきどきしますわ!」
「熊は言います、『君、人生慌てるといいことがないよ。ほら、落し物だ』」
「そうだよ、人生はのんびり楽しまなきゃな!」
「熊は少女がつけていた白い貝殻の耳飾りを差し出します」
「まあ、まるでわたくしがさんに頂いた耳飾りのようですわね」
「ああ、そうだまつ!あれは良く似合っているぞ!まあまつは何でも似合うんだけどな!」
「いやですわ、犬千代様!こんなところで、照れてしまいまする!」
「…いいから、、続き」
「…少女は熊のその優しい一面にうっかりときめいてしまいます。キュン!」
「そしてそこから恋が芽生えるのですね!」
「『熊さん、私歌うわ、歌で貴方への愛を表現するわ!』高らかに少女は宣言し、歌いだします」
「歌で愛を表現するなんて、どこかの宗教みたいだな!」
「種族を越えた愛がここに芽生えました。めでたしめでたし!」
わー、と歓声が上がり、やあやあどうもどうも、と私は頭を下げる。
皆いい感じにお酒が入っているのですっかり陽気なムードだ。
にこにこ笑っていると、ガサリ、と背後の草が鳴った。
思わずくるりと振り返る。振り返らなきゃよかったと瞬時に後悔した。
「………やあ、五郎丸。元気かい」
黙って見詰め合うのも気まずかったので、一応知り合い?だし、挨拶してみる。
へらりと笑ってはみたものの、大いに引き攣った笑みとなってしまった。
相変わらず恐ろしい風体をした五郎丸は、ガウ、と低く唸りを上げて、右手を振り下ろした。
ぎゃあ!と悲鳴を上げて飛びのく。コイツ、コイツ、今本気で襲うつもりだった。
「あら、五郎丸!ちょうど良いところに!」
トラウマの再来でガタガタ震えている私か、そんな私をじいっと見下ろす五郎丸か
どちらに気付いたのかは定かではないけれど、まつさんが嬉しそうな笑みを浮かべて、ぽんと手を叩く。
なんだなんだと別の話に盛り上がっていた犬千代さんと慶次も顔を上げる。
「今さんが素敵な話をしてくださったのですよ!」
「そうだ五郎丸、とてもいい話だったんだぞ!聞けなくて残念だったな!」
「いやいやいやいや別にそんないい話でも、あれ実話じゃありませんから!ね!」
「どうですか五郎丸、貴方もさんと種族を越えた友情を結んでみては?」
ヒィィ、まつさんが恐ろしい提案しちゃった。
必死に首を振る私を見て、まつさんは「まあさん、そんなに嬉しいのですね!」と微笑む。
あああ伝わってない、私の意志が伝わっていない。
そんなまつさんの頬は赤い。チクショウまつさんも大概酔っ払ってる。
低い唸り声を上げながらこちらを見下ろしている五郎丸。
鋭い爪が、鈍く光る。『僕これから君を襲っちゃうけど逃げなくて大丈夫?』と問われてる気がした。
貞操の危機は感じなくとも命の危機を感じて、私はスタコラサッサと逃げ出した。
やっぱ怖いもんは怖いんだって。
09/06/18
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