今日も元気に働いた。
大学を卒業し、晴れて社会人になって1ヶ月程が経過した。
仕事内容は事務職といえば聞こえはいいけれど、実質雑用係のようなものだ。
環境も変わり、バタバタと慌しいけれど充実した日々を過ごしている。主に舌が。
というのも、職場は巷で評判の料亭だ。板さんが出してくれる賄いがちょううまい。
ちなみに私は料理はできない。

人間関係にも問題はないと思う。あえて言えば、ちょっと上司が怖い。
今日も帳簿の数字をミスって怒られてしまった。
どこが間違ってるか分かるかと聞かれ、ゼロが行方不明ですねと言ったら無言で頭を殴られた。
パワハラ!なんて空気読めない発言はさすがにできなかった。
まあそんくらいどこの職場にもある。頑張れ私コミュニケーション。

ようし、明日も頑張るぞーと意気込んで布団に入り、電気を消す。
そう、いたって普通の生活を送っていたはずなのだ。この時までは。






01.そして始まる物語






アホー、アホー。
上空の烏が元気だ。姿は見えないが。

そう、普通に眠りについたはずの私の体は、気がつけば森の中にいた。
なんじゃこりゃあ!とお決まりのボケをしてみたけど反応がない。つっこみのいないボケはさみしい。
これは夢だろうと頬をつまんでみる。なんてベタな、というセルフツッコミは受け流す。
ぷに。ぷにぷにぷに。やーらけーな。もちもちしてる。
それもこれも毎日おいしい賄い食べさせるからだよ。板さんの阿呆、などと
板さんに聞かれたら怒鳴られそうなことを考えながら、手をおろす。
ふと、違和感。


手が、小さい?


目の前で、ひとつ ふたつと指の関節を曲げる。私の思い通りに、その小さな手は動いた。
そこで私は慌てて、今更のように自分の体を見る。小さい。小さい。どこもかしこも小さい。
わぁ、耳がちっちゃくなっちゃった!なんてボケを言ってる場合じゃない。
よくよく観察してみると、どうも10歳かそこらの体のようだ。
それで、その、女としてこんなこと言うのもどうかと思うんですが、その、ま、股に違和感を感じる…?
恐る恐る、この小さな体が身に纏っているボロボロの着物…なぜ着物?を肌蹴てみた。ら、思考が止まった。


…女の子の体に付いていてはいけないものが付いているっぽいんですが…


見なかったことにしよう。とりあえず、そっと肌蹴た裾を戻した。
ええと、ええと。これは何事ですか?なんということだ。もう一回言う、なんということだ。
寝ている間に森に移動していて。
おまけに体が縮んじゃっていて。
もひとつおまけに性別まで変わってしまっているとは!
えー、自分のことながらありえない。ありえないよ。なんじゃこりゃあ。
なんて馬鹿な話なんだろう!他人事ならば、「ははは、そんな馬鹿な」と笑い飛ばすところである。
しかしそれを体現している自分は馬鹿なんでしょうか。
いや、そんなはずはないと信じたい。私は馬鹿じゃない。

未だに違和感の残る少年の…認めたくないが、自分の体をぺたぺたとさわっていると、
がさがさ、と茂みが動いた。びくりとその場で跳ねる。

えええ、こんなところでドッキリ野生動物と遭遇ですか!と慄いていると、
茂みからノッソリ現れたのは、30代半ばぐらいの男だった。



「子ども…?」



胡散臭そうに男が私を見つめて言う。いやいやいや怪しいのはあんたもですよ。
元々は綺麗な藍色だったのだろう着物は土やら草やらでえらく汚れているし、
背中には大きな風呂敷。そして腰には刀。なんてファンタジーですか、いや時代劇ですか。


私も大概胡散臭そうな顔で見つめていると、その得体の知れないおっさんは
ハッと気付いたように慌ててぶんぶんと手を振った。



「いやいやいや!俺は怪しいもんじゃない!こんなナリしちゃいるがな、だから逃げるな!」



じりじりと私が後ずさりをしているのに気付いたんだろう、おっさんは叫んだ。
私が警戒していることが伝わったのか、両手をあげていわゆる降参のポーズをする。
しかしそんなの言われてもおっさんが怪しいことに変わりはない。
自分の体が変わってるだけでも大概こっちは驚いてるのに、
次に現れたおっさんは時代錯誤な格好した不審者だ。
これを怪しいと言わずに何を怪しいと言う!
じろじろと未だに胡散臭そうに見ている私に苦笑して、おっさんはまた口を開いた。



「俺ぁってんだ。ちょっとした商売をしてる」



右手でくいっと背中の風呂敷を指差して、これが商売道具なーと付け足し、
この近くの村に行商をしに来たのだが、その村が見つからなくて困ってるということを話した。



「こんままじゃ今日は野宿だなぁって焦ってたとこだったんだ!
 なぁ坊主、その村の子どもだろ?よかったら案内してくれねぇか」



そう言ってニカリと笑うおっさんは、心底助かった!という顔をしていて、ちょっと困った。
えーと、どうするか。とりあえず私がその村を知らないことに変わりはないので、
そのへんは正直に話すことにする。



「ええと、その、私は」



そこまで言ってハッとする。さっきこのおっさんは私のことを坊主と言った。
ということは、まだ鏡を見ていないので自分の顔は分からないけど、
ハタから見ても性別は男と判断されるような顔なんだろう。
…一人称「私」じゃ変か。何にしよう、えーと、無難に「おれ」?



「…おれは、そんな村知らないんですが」



一応敬語使ってみる。年上だし。
それにしても、やっぱり声も変わってる。声変わり前の、ちょっと高い子どもの声だった。
一人称を不自然に変えた私を特に気にすることもなく、おっさんは不思議そうな顔をした。



「じゃあどこから来たんだ?父ちゃんは、母ちゃんはどうした?危ないじゃねぇか」
「わかんないんです。普通に寝てたんですが、気付いたらここに一人で…」



そう言うと、おっさんはなんだか眉根を寄せて複雑そうな顔をする。



「帰り道は分かるのか?」
「わかんないんです。おまけにここがどこかもわかんないんです」



自分で言ってて変な子どもだなと思う。電波?でも本当なんだから仕方がない。
おっさんもなんか変な顔をしている。んーむ…とか唸りながら口元に手をあてている。
私も唸りたい。まじで意味わかんないっすよこの状況。ここはどこーわたしはだれ。
しばらく二人で唸っていると、おっさんが顔を上げて、こっちを見た。



「なあ坊主、つらいこと言うかもしれねえ。でも、現実だ。覚悟はいいか」
「…ん、まぁ覚悟もなにも、おれも現状把握したいんで、思ったこと言ってください」
「じゃあ遠慮なく言うぞ。いいな?俺が思うにお前捨てられたぞ」



深刻そうな顔して何を言うかと思ったら。思いもよらなかった言葉に一瞬ぽかんと呆けてしまった。
…ああ、そうか。客観的に見たら私は森に一人でいる少年なのだ。忘れてた。
おまけに寝てて気付いたらここに一人、ここがどこかもわからないって、まるきり捨て子ではないか。
ほけっとしてる私を不憫そうに見て、おっさんは口をひらく。



「…ま、このご時勢じゃ珍しくもない話か。しゃあねぇな、俺と一緒に村探すか。
 そこで村長になんとか話つけて、お前を養ってくれる家探すぞ」
「…はぁ、どうもご親切に」



このおっさんはあれだな、人でなし…じゃなくて。なんだっけ、アレだお人よしだ。
んじゃ行くか、とサクサク歩き出したおっさんの後ろについて行く。
ああ、足は草鞋履いてるみたい。よかった裸足じゃなくて。森を裸足って死ぬよなあ。








さくさく歩きながら考える。
着物で帯刀しているってことは、現代じゃなさそうだ。
でも日本語は通じるし、着物ってことは外国って訳でもなさそうだな。



「ねえおじさん、福沢諭吉って知ってる?」
「知らねぇな。どこの大名だ?」
「じゃあ徳川吉宗」
「そりゃあ徳川んとこの一族か?知らねぇなあ」



だいぶ不信感も薄れているので、敬語をとってみた。
このおっさんはそんなことで怒るようには見えなかったからそうしたんだけど、当たりだったようだ。
それはそうと、徳川は知ってるのか。じゃあ江戸以前あたりかな。



「えっと、じゃあ織田信長は?」
「…お前、あの魔王の名を呼び捨てにするたぁたいした度胸だな…知らねぇほうがおかしいだろ、そりゃあ」
「…今ってどうしてるか知ってる?」
「そりゃお前、あんだけ暴れまわってんだから元気だろ。つかどうしたんだよいきなりよォ」
「いや、別に…なんとなく」



うん、と。とりあえずここが戦国時代付近だということは分かった。
ええと、いきなり森にいて、体縮んでて、性別変わってて、戦国時代か…

…我が境遇ながら、んなアホなとつっこまずにはいられない。ありえない。
うーんと唸りながら、何処までも続く緑の道を歩く。こんなとこ歩いてたら思考がループしてしまいそうだ。

しばらくその状態で悩んでいたのだけど、逆にあまりのありえなさに深く考えるのがめんどくさくなった。
あれだ、ちょっと夢の世界か何かに巻き込まれちゃったんだな。そういうことにしとこう。
どうしてこうなってしまったのかは分からないけど、まぁそのうち戻れるだろう。
いつかはきっと帰れるよ、多分。よし、そうきたらせっかくだからエンジョイするかぁ。
前々から一度男になってハーレム作ってみたいと思ってたんだ。いい機会だと思おう。

…しかし、自分のプラス思考加減には我ながら感動してしまう。
ここまで育ててくれた両親よありがとう!



ひとりで天を見上げて感謝していると、おっさんが立ち止まっていた。
どうしたんだろうか。おっさんの背中からひょこっと顔を出すと、村らしき集落が見えた。
あんなとこで迷ってた割に、一時間くらいで着いたな。おっさん方向音痴?
うわあ…本当に戦国時代っぽいなあ。古いんだもん、見た目が。
行かないの?とばかりにおっさんを見上げると、おっさんの顔はくしゃっと歪んでいた。



「おじさん?どうしたの?」
「参ったな。坊主、ここはもう駄目だ」
「どういうこと?普通の村じゃん、何が駄目なの?」
「坊主、よく見ろ」



そう言われて、じっと目をこらす。
…ああ、家、よく見たら壊されている。そして何かが焼けたような跡。
極めつけは、昼間だと言うのに村人が一人もいなかった。



「賊かなんかに襲われたな」



そう言ったおっさんの顔はすごく険しくて。
賊、いるんだ。物騒だな。…戦国時代って、こういうことがあるんだ。
元々の村はどんなんだったかとかは全然知らないけど、荒れ果てた村を見ていると
どことなく物悲しくなって、そっと手を合わせた。



「…しゃあねえなあ、今回は商売は諦めるか。
 ここにいいもんがあるって聞いたんだがな。賊にもそれを狙われたんだろうよ」
「これからどうするの?」
「しゃあねえから帰るよ」



私は、どうしよう。当てにしてた村はもうないし。
ぼけーっとその場に突っ立っていたら、おっさんに腕を引かれた。



「ほら、お前も帰るぞ」



はて。このおっさんは何を言っているのか。
不思議そうに見上げる私を見て、彼はそのまま口を開く。



「こんままここにいると危ねぇからな。こうなったのも何かの縁だ、俺が面倒見てやるよ」
「危ない?」



ああ、獣は勿論、時にゃぁこの村を襲ったようなタチの悪い賊だって出るぜ、とおっさんは言った。
そこでふと気付く。このおっさんが賊の仲間だったらどうしよう。もしくは人買いで奴隷にされるとか。
今までその可能性に気付かなかったことにサーッと青くなり、今更ながらつかまれてる腕をぶんぶんと振った。



「っと、おいおい、いきなりどうした?!」
「いやいやいやいや結構ですどうもご親切に!」



つか離してください!ひぃぃなんで今まで気付かなかったんだ平和ボケしてるなあ日本人!
オレオレ詐欺だってあるんですよ日本には!騙し騙されまた騙す〜の世界ですよ!
小さな体で遠慮なく暴れる。しかしそこは大人と子ども。簡単に取り押さえられてしまった。



「なんだ、捨てられたにしては元気なガキだな!ん、元気すぎて捨てられたのか?」



ぜはーぜはーと肩で息をする私を後ろから羽交い絞めにしながら、
何気に失礼なことをぬかしたおっさん。ほっといてくれ!



「まあ元気なのはいいこった!どうせ俺を人買いかなんかと勘違いしたんだろ?
 俺ぁ確かに商人だが、そんな人買いなんて汚ねぇ真似しねぇよ」
「ほんとに?嘘つかないとおれの目を見て言えますか。誓えますか。嘘だったら末代まで祟ってやる」
「っはは!変な坊主だな。お前みたいな小汚いガキ売ったってたいした金にゃあならねぇよ。
 俺はもっと賢い商売してんだ。人買いだなんて失敬だな!
 …まぁ、さっきは勝手に決めて悪かったよ。なあ、俺と一緒に来るか?」



からっと笑い、おっさんは私の頭を力任せに撫ぜる。正直痛い。
でも優しくされるのに弱い私は、まあ信じてもいいかなという気になっていた。
よくよく考えると、ここで一人になったってどうしようもない。近くに村があるのかも分からないし。
結局選択肢などないのだ。ならばとことん楽しもうじゃないか。



「…行く」
「っよぉし、決定だ。なら日が暮れる前に戻んねぇとな。戻れっかな…」



最後にぼそっと呟かれた言葉は聞かなかったことにする。



「ところで坊主、名はなんていうんだ?」



困った。戦国時代って、確か偉い人にしか名字ないんだよな。
おっさんが先程言っていたように、私は小汚いガキなのだ。名字なんてあったらおかしいだろう。
でも私の名前って、当然女の名前なんだよなあ。外国ならまだしも、同じ日本じゃ違和感あるか。
少しの間悩んで、結局私が口にしたのは自分の名字だった。




「そうか、か。変な名前だけどいい名前だな!これから頼むぜ」



あと俺はおじさんじゃなくてだ。おじさんはやめてくれ、と言われた。
密かに傷ついていたらしい。口を滑らせておっさんなんて呼ばないでよかった。
手を引かれて、何故か自分がこんなことになってしまった森を歩く。
見上げた空は、幸先がいいぞと言わんばかりにとてもいい天気だった。






09/02/08