白い雲が空にぷかぷか。久しぶりに帰ってきた実家は温かく、なんとも居心地がいい。
店番をしながら何度も欠伸を噛み殺していると、困ったように微笑んだ店の皆が
「さん、ここはいいから昼寝でもしてきてくださいな」と言ってくれたので、
まあ、たまには有難く好意に甘えてみることにした。
畳の上に寝転がって、ごろごろ。ああ、平和だ。
そんな私を横目で見ながら帳簿と睨めっこしていたさんが、
いきなり何かを思い出したように、ポンと手のひらを叩く。
なぁ、お前今度ここに行ってこい。得物を新調したいんだとよ。
そう言って、さんは私に一枚の地図を渡した。
無駄にカラーで、やけにメルヘンなその地図の真ん中には
そのメルヘンっぷりに似合わない真っ黒な墨で、そりゃもうでかでかと文字が書かれていた。
「まおうのおしろ?何これ。何の冗談。さん、冗談は顔だけにしてよ」
「お前ってたまに俺の扱いひどくねぇか?」
「気のせいだよ。親に対する愛だよ。それはそうと、これなんてRPG?」
「ある曾爺?俺の曾爺さんはとっくに大往生してるぞ」
「いや、そうじゃなくて」
魔王の城へと行くのは勇者ではないのか。そういう暗黙の了解とかそういうのはないのか。
魔王へと立ち向かう商人って言ったら、えーと。
あの金庫を背負った、髭面の少々メタボ気味のおじさんくらいなんじゃないだろうか。
あれか、モンスターに対してギャグとか言ったほうがいいんだろうか。子守唄とか。
黙り込んで地図を見つめる私をどう思ったのかは知らないけど、
大丈夫だ、俺も最初は怖かったもんだ。そう言って暢気にさんは笑う。
とりあえずその口に、昨日の残りの焼き茄子を思いっきり詰め込んでやった。
番外編 逃げ場所はどこ
ここが、魔王の城。
想像していたよりも、なんということはない。ように思える。
少なくとも入り口に立っているのは普通の門番だ。決して骸骨兵士だったりはしない。
天を見上げる。別に暗黒の雲に覆われて、ドラゴンが飛んでいたりはしない。
地面を見下ろす。特にマグマがぐつぐついっている訳でもない。骸骨が転がっていたりもしない。
とりあえず、ほっと息を吐いて謁見の間へと向かう。着いて早々にゲームオーバーだったら悲しい。
この分だと、魔王って言っても普通の殿様なんじゃないだろうか。足取りも少し軽くなる。
しかし、魔王は魔王だった。
「我こそは第六天魔王、織田信長ぞ」
…なんというか。ええと。眼力が、プレッシャーが。そしてその迫力が!
魔王だ。これは間違いなく魔王だ。リアルRPGの魔王のお出ましに、がくがくと握った拳が震える。
もう嫌だ。なんだよこれ、これが噂の凍てつく波動か。やだよ、私普通の商人だよ。
脇息に片肘をついて胡坐をかいている目の前の魔王は、織田信長というようで。
そういや、さんと最初に出会った時に、名前を呼び捨てにしてことがあったな。
随分と命知らずなことをしたなあ。そりゃあさんの顔も引き攣る訳だよなあ…。
「お初にお目にかかります、三代目、と申します。どうぞよしなに」
そう言って深く、床に額をごちんとぶつける勢いで頭を下げた。あああ、怖い。ちょう怖い。
魔王ってボス戦だよね。知っているかい。ボス戦は逃げられないんだよ。
そのまま頭を上げられないでいると、魔王さんはその独特の口調で口を開く。
「小僧、面を上げい」
「は、お、恐れ多くも、失礼致します」
「小僧、と申したか」
「は、その通りであります」
「、と言うと、あの二代目のことではないのか」
「確かにその通りであります。が、お得意様に名を覚えて頂く手間を考えまして、
うちの店では店主の名は代々襲名制度を設けております。それ故、自分もと申します」
ふむ、と魔王さんは納得したようにひとつ頷いた。
会話することで、少し恐怖も薄れてきた。要は、何事も慣れである。
よく見ると、魔王さんは中々の男前だった。内心でプヒューと口笛を吹く。
若い頃はさぞかしおモテになられたのではあるまいか。と邪推をしてみたり。
ワイルドな男はいつの時代でもモテるものである。
「呼びにくい、ということでありましたら、小僧でも何でも。織田様の望むように」
へらりと営業スマイルで笑う。笑う余裕も出てきた。いいぞ自分。がんばれ自分。
その時「上総介様」という綺麗な声が聞こえた。
「濃か。入れ」
「失礼致します」
すらりと障子を開けて入ってきたのは、とても綺麗なお姉さんだった。
思わず見惚れてしまい、うっとりため息を吐く。そんな私を見て、お姉さんは綺麗に微笑んだ。
「商人の方が来られていると伺い、僭越ながらご挨拶を、と」
「然らば…、小僧」
「え。…あ、えっと。…三代目、と申します。どうぞよしなに」
「ふふ、そんなに固くならなくても良いのよ坊や。私は上総介さまの妻。名は濃姫、どうぞよしなに」
そう言って濃姫様は美しく微笑む。ああ、綺麗なお姉さんは、大好きです。
ぽけー、と見惚れていると、織田様が愉快そうに声を上げて笑う。
「どうした、小僧。濃が気に入ったか」
「えええ、い、いえいえいえいえそんなそんな恐れ多い。ただ、綺麗な方だなと」
「あら、嬉しいことを仰るわね。…ふふ、可愛い人」
「あぎゃ、ひ、ひぃ、滅相も御座いません」
なんというか、もうボロボロだ。店主メッキよカムバック。
何とか元のペースに戻そうと「では、早速ですが」と一声かけて商品の目録をばさっと広げる。
「本日は、得物を新調なさりたいということでお伺いしておりますが」
「相違ない」
「先代に、勝手ながら織田様の使用されている武器の系統を聞いて参りました。
何か、希望の武器等は御座いませんか?なければ、今までと同じ系統のもので用意させて頂きます」
魔王さんは腕を組んで、ううむ、と考える様子を見せる。
目録のページをぱらぱらと捲り、いや、今のままで良かろう、と呟いた。
かしこまりまして。そうお辞儀をして、持参した風呂敷の中からあれやこれやと武器を取り出す。
一応何通りかは予想して持って来たのだ。重かったけど。肩痛かったけど。
これも魔王の城へ行くには必要な装備なのだ、と自分に言い聞かせた。うん、だいぶ無理な自己暗示だった。
床の上に広げられた武器の数々に、魔王さんと濃姫さんは興味深そうに視線を走らせる。
色々ウケ狙いのものとか混ぜてみたので、中々ユニークなラインナップだ。
しばし武器を眺めていた魔王さんだったが、あろうことか、そのウケ狙いだった武器を手に取った。
ふむ、とかなんとか言いながら、興味深そうに手首を返して色々な角度から眺めている。
魔王の手に、ハリセン。
なんというシュールな光景だ。思わず凝視してしまう。
…やだなあ。めちゃくちゃレベル上げていざ魔王を倒さん!とお城に行ったら
魔王はハリセンを装備してました。とか、緊張感がないなあ。自分が勇者だったら萎えるなあ。
そんなことを考えていると、魔王さんにこれは何ぞと問われる。
我に返って慌てて武器の説明書を開いた。
「それは『浪速必携』といいまして。急所に当たりやすいのが特長で御座います。
基本的には、剣と同じ使い方で問題無いかと存じます」
「軽い」
「はい、軽いです。それ故、攻撃の速度も従来の物に比べて速まるかと」
魔王さんは、成程、と低く呟いてぶんぶんとハリセンを振り回す。…うん、シュールだ。
ちらりと横目で濃姫様を見ると、素敵ですわ上総介様…と呟いていた。
どうやらこの微妙な気持ちを分かち合える相手はいないらしい。ひじょうに残念である。
「気に入った。小僧、幾らだ」
え、ほんとにそれにするんですか。というツッコミはできなかった。
「7万両になります」
「濃」
「はっ」
さっと、濃姫様が重箱を私の方へと差し出す。
失礼致しますと蓋を開けると、きんきらきんの小判が目に眩しかった。
さ、さすが…!7万両って結構な金額なのに、即現金払いとは。
「毎度あり。あ、織田様、忘れてはならないことが一つ」
「ほう。まだ何ぞあるのか」
人差し指を立てた私を、興味深そうに魔王さんは眺める。
「この武器の更なる付属効果としまして、ツッコミというものがあります」
「突っ込みとな、如何に」
「ここぞ、という時に上げる掛け声のようなものです。それをすると、急所に当たる可能性が上がります」
だって、説明書にそう書いてあったんだよ。私嘘ついてないよ。
「基本のツッコミは、『なんでやねん!』です」
「基本ということは、くん、それ以外にも種類があるのかしら?」
「ええ、まあ。色々とありますが、基本さえできれば良いようなので」
ふざけてんちゃうぞ!とか、ええかげんにせい!とか。
ツッコミについて語りだすと中々に奥が深いので、まあそこはスルーで。
「ツッコミは、誰かが変なことを言った時、どうしてそうなる?という時などに使います」
「ほう」
「武器を使いながらですと中々に難しいと思いますので、最初は普段の会話から練習なさって下さい」
「小僧、例を見せい」
「え。で、では…今から変なことを言いますので、ここだ!という時にツッコんで頂けますか」
よろしいですね?と問うと、魔王さんと濃姫様は真剣な眼差しでこくりと頷いた。
…あー。私は今猛烈この空気にツッコみたい。なにこの真面目な空気。話の中身はツッコミなのに。
それにしてもツッコミの例って難しい。どうしよう。焦る。
「た、例えばですよ。ごほん。…織田様、織田様は魔王だと世間からは言われてはいますが、
こうして近くでみると大変気品のある美しさ、まるで天使のよう。自分はもうメロメロであります」
「「なんでやねん」」
ずびし、といいツッコミが来た。
はっ、私の口が勝手に…?と濃姫様は焦ったように口に手を当てている。
魔王さんはというと、初のツッコミにどこか満足そうだった。
もう、いいや。半ば無理矢理のボケだったけどちゃんとツッコミきたし。
織田の皆様は、ツッコミの才能をお持ちだったようだ。免許皆伝。どんどんぱふぱふ。
もう魔王さんの手に握られているハリセンにはツッコまないことにした。もういーよ。気にしない。
その時の私は知らなかった。ここ、尾張で『なんでやねん』が流行語になってしまうことなど。
無事に商売を終えて実家へと帰ると、にこにこと笑顔のさんに迎えられた。
魔王さんが選ばなかった武器が入った荷物をばすんと降ろす。ああ、肩こった。
「どうだ。あれ、売れたか?」
「あれ?…あぁ、ウケ狙いだったやつ?うん、売れた」
「やっぱなぁ、魔王さんならあれ選ぶと思ったんだよ」
「まさか、あれが売れると思わなかったよ」
「おめぇも、まだまだだってこった」
そう言ってにやにやと笑うさんに、なぜだか妙に腹が立ったので、
濃姫様にお土産として渡された桜桃をその口に思いっきり突っ込んでやった。
09/05/10
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