ピチュピチュピチュ。
小鳥さんもいつものように大変元気に歌っている、いつもの爽やかな朝。
こんな日はのんびり昼寝としたいところだけど、ああ残念なことに私は社会人だ。
戦国時代だったらなあ。割と好き勝手にやれてたんだけどなあ。
まあ今更懐かしがっていても仕方が無いので、今日も元気にいざ通勤。朝の挨拶は基本だ。



「まいどー、おはよーございます」
「おお、おはようさん」
ー、早速悪いがこっち手伝ってくれ」
「はいよー」



荷物を置いたら早速お仕事。
お客さんが来る前に、座敷を綺麗にセッティングしていく。
うん、今日もバッチリ綺麗だ。お花はいいね。心が潤うね。
にこにこしながら一輪挿しの水を替えていく。今日もいいことありそうだ。





番外編 たとえば君が世界の果てにいたとして





カチャカチャと軽やかに電卓を叩いていた指を止める。
疲れた。とても疲れた。以前に比べたら格段に慣れた仕事とはいえ、
元々計算ごとはあまり好きな方ではない。接客のが好きだったなあ。
まあ、なんだかんだ言っても極めたけどね。算盤ね。
今だったら検定受けたら楽々合格するんじゃなかろうかと考えてみて、首を振る。
今更算盤の資格取ったってあんまり意味がない。うん。もう就職してるし。時既に遅し。
椅子の上で想いっきり伸びをして肩をぐるぐる回すと、面白い音が鳴った。バキボキゴキ。



「元就さん、休憩しませんか」
「伝票計算は終わったのか」
「はい、頑張りました。残業なしですよ。褒めてください」



へらりと笑いながら催促してみると、元就さんはこちらに向けていた視線をパソコンに戻した。
無視か。無視ですか。頑張ったのにせつない。元就さん、私は褒めたら伸びる子なんですよ。
私の褒めて褒めてオーラを察したのか、ぼそりと元就さんが口を開く。



「今日は給料日だ」
「やったー」



お褒めの言葉を期待していたんだけど、給料日ということをスッカリ忘れていた私にとっては
元就さんの言葉はとても嬉しい言葉だった。テンションが上がる。
うきうきしながらお茶を入れていると、仕事場に誰か入ってきた。板さんかなと思って振り返る。


手から湯飲みが零れ落ちた。



「よぉ、元気にやってっか?お疲れさん」



がっちゃん、と情けない音を鳴らして、私のお気に入りの湯飲みが割れた。



「おいおい、何やってんだ?相変わらずどっか鈍いよなァ」



すたすたすた、とその人は私の近くまで歩み寄ってきた。



「どっか怪我してねぇか?ったくよぉ、嫁入り前の娘が傷なんてつけるもんじゃねぇぞ」



ぼけっとしている私の手をとって、傷がないか調べているその人の顔を、私はよく知っていた。
その大きな指の感触も、よく響く声も、少し無精ひげが生えたその顔も、身に纏った濃紺の着物も。



さん?」
「なんだ、店長と呼べ店長と」
「てん、ちょ…?」
「あ、ひょっとしてお前、この前休んだアレで思い出したのか?」



にやにやと目の前で笑っているのは、間違いなくさんで。
え、店長?この店の?今まで声しか知らなかった?私がこの店に来てからずっと留守にしていたこの店の店長?
ああそういえば電話で話した声はこの声に良く似ていた気がする…ってそんな、うそ、まじで?



さん?」
「なんだ、ひょっとしてまだ思い出してねぇのか?」
「いやいやいや、その、まじでさん?」
「まじも何も俺ぁ生まれたときからだ」
「え、いや、その、元就さんみたいに記憶があるの?」
「ったりめぇよォ。俺を誰だと思ってんだ」



威張ったように笑っているさんの頬を思わず抓った。そりゃもう力いっぱい。



「ちょっ、いてぇぞ!いででででで」
「元就さん。これは夢ですか」
「我も残念だが現実だ」
「そうですか」
「いでっ、ちょ、!離さねェと給料やんねェからな!」



ぱ、と指を離す。ああ、真っ赤だ。痛そう。



「ごめんさん、現実なのか良くわかんなくなっちゃって」
「相変わらずお前は俺に対する扱いがひどい気がするんだが」
「気のせいだよ」



ああ、店長にする態度ではない。でも、何故だか敬語が使えない。
だって、この人はさんなんだから。理由になってないけど、さんだから。
ぼうっとさんの顔を見つめていると、さんの、懐かしい大きな手のひらが頬に触れた。
出会った頃と変わらない笑顔が、私を見つめる。



「ほら、泣くな」
「ごめんなさい」
「何がだよ?」



ぼろぼろぼろと年甲斐も無く涙を流す私を見て、さんは、なんだか困ったように笑う。
だって、だってなんか勝手に出てきちゃうんだよ。止まらないんだよ、くそ。
元就さんは、相変わらずパソコンの画面を見つめている。



「親孝行できなくて、ごめんなさい」
「まったくだ」
「色々お世話になったのに、何も返せなくてごめんなさい」
「いや、お前は色んなものを俺や皆にくれたよ」
「最後まで好き勝手に生きてしまって、ごめんなさい」
「いいんじぇねぇか?それがお前の、あの時の『』の人生だったんだ」



さんは、力任せに私の頭を撫ぜる。ああやっぱり、正直痛い。
私は、涙でぼろぼろになったなんとも汚い顔で、へらりと笑った。



「覚えててくれて、ありがとう」
「まぁ、賭けだったんだがな。なぁ毛利、まさか上手くいくとはな」
「偶には貴様も役に立ったということではないか?」
「失礼だな、俺はいつでも役に立つぞ。ほら、いい魚の仕入先を見つけてきたんだ」



涙でじわりとぼやけた視界で、仕入先の情報が書かれたメモを受け取った元就さんが
途端に嫌そうに顔を歪めたのが見えた。なんだなんだ、どうした元就さん。
それを満足そうに眺めたさんが、こちらを振り向いて笑う。



「『源内の蘇生術』って覚えてっか?」
「ああ、あれ?」



『源内の蘇生術』は、うちの店で扱っていた商品のひとつだ。
私にはあまりよく分からない医学に関することが色々書かれていた本で、
1回死んでも生き返るとか人魚のミイラ並みによく分からない都市伝説があったような。
胡散臭いって、誰も買わなかったんだよな。ちなみに私も胡散臭いと思ってた。



「あれをな、焼いて灰にしたもんを、お前が知り合った奴らに配ったんだ」
「ええっうそ。焼いたの?も、勿体無い」
「けち臭ェこと言うなよ、どうせ売れねぇんだ、有効活用した方がいいだろ」
「有効活用って、なんで」
「あの本持ってりゃ生き返るなんざ、胡散臭いことは俺も信じちゃいなかったよ。
 でもな、そう言われるモンには、そう言われるだけの何かがあるってこった。
 俺はな、賭けたんだよ。生き返るってことは、記憶を持っているってことだろ。
 っつうことはだ。ひょっとしたら、あの本の灰を持っていたら、来世でも覚えていられるかもしれねぇ」
「覚えていられるって、何を」
「お前のことだよ」



思わず、元就さんの方を見る。
私が見ていることに気が付いたのか、元就さんはちらりとこちらを見た。



「だから元就さんは、覚えているんですか」
「…ああ」
さんも?」
「ああ」
「ひょっとして、他の人たちも、この時代に生まれていたら?」
「俺らで成功してんだから、覚えてるだろうなぁ」
「来世にいるかもしれない、私のことを?」
「覚えていたい、また会いたいと、思ってしまったんだよなぁ」



なぁ毛利?と笑うさんは、元就さんが投げた書類を顔面で受け取って痛そうに悶えていた。
しかしそれでも「照れんなよ、給料やらないぞ?」とにやにや笑うさんを見ていたら、
私はなんだか笑いが止まらなくなってしまい、元就さんのお怒りを買うはめになった。





09/07/19