さわさわと、聞いているだけで涼しい気持ちになれるような音がする。
昼間はそりゃもうむんむんと湿気大サービス中です、と言わんばかりに蒸し暑かったのだけれども、
日が暮れてしまえばこっちのもんだ。穏やかに吹く風は冷たくて気持ちいい。
むしろ少し肌寒いくらいだ。適温と言うのは中々に難しい。



「蛍が、見たい」
「ならば、行くか」



何気なしに仕事中ぽつりと呟いた一言に、地獄耳の元就さんは律儀に返事をくれた。
しかし想像してた返事とは違っていた。「勝手に見ればよかろう」ぐらい言われると思っていたのに。
まあ、その時はまさか本気じゃなかろうと。元就さんの気まぐれだろうと思っていたんだけれども。

気付けば、今日は珍しく自動車で通勤していた元就さんの車の助手席に座っていた。
あれ。あれ。これは何事だ。いや、普通に仕事は終わらせてきたけど。
これは誘拐か。誘拐なのか。うちには身代金なんてないですよ、と
真顔で言ってみれば無言でチョップされた。痛い。





番外編 光らば余韻より





そうして気付けば山の中。いや、森の中か。
よく分からないけどとにかく自然だ。木だ、川だ、空気がおいしい。
深呼吸すると、新鮮な瑞々しい空気が肺の中にいっぱいに満ちる。ああ、癒される。



「で、蛍はどこでしょうかね」
「我が知るか」



ふん、と偉そうに言い切ってくれました。ざっくりバッサリ。
ちぇっちぇっ気取ってやんの、と足元の石を軽く蹴飛ばす。
ひゅーんとその石は飛んでいって、ぼちゃんと音が鳴った。川に落ちたらしい。



が騒がしいから蛍も逃げているのではないか」
「一理ある」



はい、大人しくします。だって蛍見たい。見たいんだ。
虫自体は、元々あんまり好きじゃなかったんだけどもだね。うん。
しかしあっちに行ってそうも言ってられなくなったというか。
ほら、男が虫苦手ってなんか格好悪いじゃないかという妙な男の美学のこだわりがありましてね。

けれども、男の体というのは精神にも影響するのやらどうなのやら。
あれほど嫌いだった虫もそれほど嫌じゃなくなり。小さくなった当初は虫捕りなんかもしちゃったね。懐かしいね。
そんなこんなで蛍も平気になった。虫本体さえ気にしなけりゃ綺麗なもんだ。
風流風流!と蛍狩りを楽しんだあの日々を思い出したら、ふと懐かしくなってしまったのだ。



「あっちではね、結構色んな人と見たんですよ。風流だなって」
「そうか」
「慶次と阿呆みたいに蛍狩りってその言葉のままに狩りまくったり」
「………」
「まつさんに怒られたな。懐かしい」
「風流という言葉の意味を辞書で引け」
「いやあ。あははは」



呆れたような元就さんの目線は気付かないフリ。見えません。何も見えない。
それにしても空気がおいしい。こんな自然の多いところに元就さんと二人でいると、
まるであっちに戻ったみたいだ。ん、戻ったって言い方はおかしいな。こっちに元々いたんだから。



「なんだかんだと、元就さんとは蛍見たことないですよね」
「そうだな」
「夜は酒のんでばっかでしたからねえ」
「主にがな」
「いやあ、あはははは」
「別に今からでも遅くは無かろう」



そう元就さんが言った瞬間、ぽわ、と綺麗な光が瞬いた。



「わ、わ、わぁ。も、元就さん、ほた、蛍!」
「五月蝿い、少しは落ち着けぬのか」
「いや、だって、え、ちょ、いきなり?うわ、すご、えー!」



ぶわぶわと、一体お前さん達はどこに隠れていたのと聞きたくなる数の蛍が空を舞う。
主に元就さんの周りに。



「元就さん、なんかフェロモン付けてるんじゃないですか」
「阿呆か」



こちらを馬鹿にしきった表情で元就さんが笑う。ああ、見下されている。
しかし私は負けない。負けないぞ。



「蛍、カモン!」
「…散って行ったな」
「えー」



気合を入れて叫んだら、せっかく自分の周りにも飛んでくれていた数匹の蛍まで逃げ出した。
馬鹿な。そして何故元就さんにはそんなに蛍が懐くんだ。蛍よ、君達は騙されている。
この人は見た目は美しいけどとんでもないサドだよ。それとも蛍よ、君達はマゾなのですか。

あれかなあ、あの時に慶次と狩りまくった蛍の子孫なのかな。
ごめん、あの時のことは謝るよ。悪かったって。だから私にも少しは寄ってきて頂戴よ。

若干さみしくなっていじけていると、バサリと肩に何かがかかる。
何だどうした、これは何だと見てみると、元就さんの上着だった。
ひょっとして、さっきから少し寒くなってきたなあと思っていたのを見抜かれたのか。
ほんと、さりげなく優しいんだよなあ。へらりと笑ってありがとうございますと言うと、
元就さんはふい、とそっぽを向いて「別に構わぬ」と言う。
なんだかその様子がおかしくて、けらけらと笑ってしまった。
と、ふわふわと私の周りにも蛍が舞い始める。



「やっぱ元就さん、何かフェロモンでも出てるんじゃないですか」
「…知らぬ」



そう言った元就さんは、なんだか微妙な顔をしていた。
まあ、ホタルに好かれるフェロモンが出てるねって言われても嬉しくないよね。うん。
さわさわと川が流れる音がして、さわさわと葉っぱが揺れる音がして。
ふわふわと周囲を飛び交うホタルはとても綺麗だ。



「元就さんと、初蛍狩り、達成ですね」



そう言って笑った私につられるように、元就さんも仄かに微笑んだ。
男なのに蛍の光が良く似合うその姿は、蛍に負けず劣らず綺麗だなあと間抜け面で見惚れてしまった。
そんな自分は女としてどうかと思う。まあ、いいさ。美しさというものは男女平等なのだ。





09/06/24