アホー、アホー。
上空の烏が元気だ。姿は見えないが。

なんだ、この状況。物凄くデジャブ、非常にデジャブ。
普通におやすみなさいと布団に入ったはずの私の体が、気がつけば森の中に佇んでいる。
ああ、そうだ。前もこんな感じでいきなり神隠しされちゃったんだよなあ。
懐かしく思いたくなんて、なかった。あんな経験は一度で十分だと息を吐く。はあ。
ただ以前とは違うのは、辺りが雪景色ってことだろうか。実感した瞬間に寒い。ぶるり。

さあて、ハブが出るかコブラが出るか。どっちもヘビだというツッコミは受け流す。
まずは現状把握…と以前の経験を生かして色々と観察することにする。こんな経験、生かしたくなかった。
着物を着ている。有難いことに冬仕様。ということは、また戦国時代なのかなここは。
ふと、違和感。目の前に自分の手を持ち上げて、まじまじと観察する。



「あれ、変わってない」



喉から出てきた声は少年の声なんかではなく、目の前の手も少年の手ではなく。
ぺたぺたぺた、とそのまま体を触っていく。胸もある、ヘソもある、尻もある、股もいつも通り。
けして付いていてはいけないものは付いていない。うん、私の体だ。

どうすっかなあ、ここにいると私、確実に凍死だしなあ。鳥肌全開の腕をこしこしと擦る。
さんみたいな人、ひょっこり現れないかなー…なんて、そんな都合の良い話があるかい。
しかし、世界は私を見捨てなかった。ざくざくざく、と誰かが雪を踏みしめる音がする。
もうこの際賊でもいいよってあー、駄目だ駄目だ今回私女のままだ。いやんあっはんな展開だけはまじ勘弁。

ざくざくざく、音が近付く。
賊じゃなかったらハブでもコブラでもいーよ皮はいで食ってやる。
さあ来ぉい!気合を入れて木々の間を見つめた私は、
せっかく入れた気合がぷしゅ〜と情けない音を立てて雪に溶けていくのを感じた。



「…坊ちゃん?」



Ah?…と、記憶にあるよりも随分低い声が、怪訝そうに唸った。





番外編 白い夢にこま送り





これは私の見間違いだろうか。
あの、あの伊達の坊ちゃんが、なんともまあ立派に大きくなって、目の前に佇んでいる。
生意気そうな眼差しも、その眼差しを隠している眼帯も、随分低くはなってしまったけど
英語を話すその声も口調も、発せられる大物オーラも、全てが彼は伊達の坊ちゃんだと主張している。

…と、いうことはだ。
これは、私が戻ったあの時から、確実に数年は過ぎた時代。ということなのか。
なんとまあ、何故こんなことに…と唸っていると、いつの間にやら坊ちゃんがすぐ近くに立っていた。



「坊ちゃん?…アンタ、俺を知ってんのか?」
「ええ。伊達の坊ちゃん、ですよね」
「Ha、この俺を独眼竜と知っていながらそう呼ぶたァな。命知らずな女だぜ」



呆れたようにそう言った伊達の坊ちゃんの言葉で、ハタと我に返る。
しまった。この姿じゃあ「」だと認識してはもらえないではないか。
というか「」はここにはもういないんだよ。いたらお化けだよ幽霊だよ怖いよ。

片倉様にこんな雪の中に立っている怪しい女が仮にも奥州の独眼竜を「坊ちゃん」なんて呼んだと知られたら
烈火の如くお怒りになられて切腹を命じられそうだ。うわあやばいやばい。やっちまった。
片倉様がいませんようにいませんようにと祈っていると、オイと声をかけられる。



「はいすみません伊達様お代官様この愚かな民である愚民めに何の御用でありましょうか」
「落ち着け」



はい、落ち着きます。でも生死に関わるんです、片倉様怖い。優しいけど怖い。
今更ながら片倉様の恐怖に怯えていると、呆れたようにため息をつかれた。
元就さんといい坊ちゃんといい、ため息の数が多すぎやしませんか。幸せ逃げていますよ。



「女、こんなところで何してる」
「さあ、寝てたらこんなところに」
「…夢遊病か?」
「いや、今までこんなことはなかったんですが。…いやあるか。すみませんありました」
「家まで帰れんのか」
「経験上まあそのうち戻れるかと」



怪しそうにジロジロと観察される。
その眼光はビーム出せるんじゃないかと思うほど鋭い。
冷や汗でるくらい怖いけど、まあ相手はあの可愛らしい伊達の坊ちゃんだし。
見た目は怖いけど中身は大して変わってないはずだし、うん。大丈夫。なはず。
まァ、武器も持ってなさそうだしな、とボツリと坊ちゃんが呟いた。
見ただけで武器持ってるかどうか分かるのか。全てを見透かされていそうだ。なんてエロティカル。
坊ちゃんはガシガシと面倒くさそうに頭を掻く。



「Shit! …しゃあねェな、女、名は?兵の奴に村まで送らせる」



村の名前は言えない、なあ。
名前だけでも言うか。今回は迷う必要はない。女の姿なのだから女の名前を言えばいいのだ。



「名は、といいます」



そう告げた途端に、坊ちゃんの目がぎょろりと見開かれる。
ぐわし、と腕を掴まれた。痛い!握力強すぎだぞ坊ちゃん骨折れる!



「ほほほほ骨折れる!ポキッと良い音鳴らして折れちゃいますから!」
「…!あァ、Sorry」



腕は解放されたけど、ギラギラと輝く眼差しからは解放されない。
ええ、私変なこと言ったかな。名前だけだよ。普通に女の名前だよ。
なんなんですか、と首を傾げる。何がしたいんだ坊ちゃんよ。



「…、だったな」
「そうですが何か」
「『おむらいす』を知っているか」
「はぁ、まぁ知っていますね」
「テメェか!!」



鼻息荒く肩を掴まれる。ちょっと待って、待ちなさい坊ちゃんなんか変質者っぽいからやめなさい。
ガクンガクンと肩をゆさぶられて、脳みそが見事にシェイクされる。おえ。



「あの、吐きますよ」
「テメェか!テメェだな!!あの巫山戯たモン書いたのは?!!」
「あ、あの、吐きますって」
「忍びに探らせてみてもちっとも見つかりゃしねェ!!
 一体どこにいやがんだと思っていたらこんなとこにいやがったか!」
「あ、えっと、その、ほんきで吐」
「こんな女にこの俺が何年も踊らされていたたァな…Ha、とんだ笑い種だぜ!Shit!!」
「ちょ、も、まじで無理ッス!」



渾身の力を込めて坊ちゃんを突き飛ばす。ぼすん、と反動で雪の上に尻餅を付いた。
あ、しまった、お尻濡れた。しかし今はそんなことに構っていられない。おえ。気持ち悪い。
ぐらんぐらん回る視界。うわあ、目が回る。
伊達の坊ちゃんが口にした単語、オムライス、ふざけたモンを結びつけるもの。…まさか。



「…ひょっとして、あの料理本」
「そうだ、テメェが書いたあの料理本。忘れたとは言わせねェぞ!」
「そういえば、書きましたね。はい」
「此処で会ったが百年目、観念しな」
「ええと。何をそんなに」
「『けちゃっぷ』に『まよねぇず』が何なのかに加え、あの巫山戯た調理法!
 俺ん城で洗いざらい吐き出して貰うぜ、さんよ」



できるものならこの味を再現してみやがれ、だったか?…お望みどおりしてやろうじゃねェか。
そう言ってニヤリと笑った伊達の坊ちゃんの顔は、得物を見つけた猛禽類のそれであった。
ヒィ!寒さではない震えが背筋を駆け抜ける。忘れない、忘れはしないぞ。
幼い坊ちゃんに強請られ話をさせられ、気付けば夜が明けていたあの眠くつらく苦しい日々。
そして延々オムライスもどきを食べさせられた、あの胃もたれ。

思わず逃げ出そうと足が動く。逃がすかよ!と坊ちゃんが高らかに声を上げる。
確かに逃げてどうすんだって感じだけどさあ。ここは逃がしてくださいよ。
記憶よりも大きな手のひらが、がしりと私の腕を掴み、引き寄せられた。と思ったら。
ズブリ、と雪の中に右足が吸い込まれる感触。視界が白く染まる。
What?!と焦ったような伊達の坊ちゃんの声が聞こえた。








ピチュピチュピチュ。
軽やかに小鳥が囀る音で、私は目を覚ます。

…なんか物凄くデジャブ、非常にデジャブ。もういいって。
気付けば私は、自室の布団の中にいた。雪と同じ色のシーツが目に眩しい。
最後に伊達の坊ちゃんに掴まれた腕が微妙に痛い。気がする。

…、なんだったんだろうか、あれは。夢、だよな。
首を傾げながら服を着替えて、いつものように出勤する。
料亭に着いたら、にこやかに笑った板さんが迎えてくれた。
おっ、何かいいネタでも仕入れたのかな。おはようございます、と私も笑って挨拶すると、
板さんはにこにこと誰かの腕を引っ張って私の目の前へと突き出した。

ぽかん、と口が開く。



、今日から入った板前の見習い、伊達政宗君だ。よろしくしてやってくれ」



…いや、その、ええと。
目の前で不遜な笑みを浮かべる坊ちゃんは、夢の中と同じ姿をしていて。
いや、格好とか勿論違うけど。や、でも、それでも。え、なんで。

ぱくぱくぱく。酸素を求める金魚のように間抜けに口を開閉していると、
坊ちゃんはそりゃあ、そりゃあもう素敵な顔でにやりと笑った。



「よォ、まさかアンタが『』だったとはなァ?」
「え、ええ、と。は、ははは」
「此処で会ったが百年目、観念しな」



そう笑った坊ちゃんの顔は、得物を見つけた猛禽類の顔だった。
もういっそのことこれも夢だったらいい、と遠い目をして頬をつねってみたけど、
ただヒリヒリと痛いだけだった。現実って厳しい。





09/04/25