・皇国の守護者の小ネタ集(血の表現有/シリアス)


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///私と世界と肉食獣


息さえも、ここでは凍ってしまうかもしれないね。
そんなことを言う人がいた。朧気な記憶だが、確か西田少尉だったような気がする。
北領と呼ばれるこの地は、空気が厳しく、痛く、しかし美しい場所だった。
ほう、白い息が口から溢れる。つんと痛む鼻を、手袋に覆われた手の甲で擦った。
擦ったところで、冷えた鼻が温まる訳でも無く、痛むことに変わりは無い。

何か、背後で雪の音を遮る存在を感じた。
首だけで振り返ると、雪にその白さが融けてしまいそうな、美しい獣がいた。

「千早」

名を呼ぶと、その美しき聡明な獣は、低い声で返事をした。
じゃれつくように、美しい毛並みを持った体を惜しげもなく、腰の辺りへと擦りつけて来る。
黒い軍服に、白い毛が纏わりついた。

「駄目だよ、千早、やめなさい」

一応口では静止するが、別に本気で言っている訳ではない事をこの聡明な獣は知っている。
その大きな額で、さらに強く腹を押されれば、呆気なく私の体は倒れて雪へと埋もれた。
軍服へと纏わりついた白い毛も、白い雪に埋もれてしまえば分かるはずも無い。
馬乗りになってきた千早の首を掻く。なぁご、と低い唸り声を上げた彼女は、
気持ち良さそうに目を細めたかと思えば、ふと何かに気付いたように駆け出した。
私だけ、雪の中に埋もれたまま取り残された。青く澄んだ空に浮かぶ光帯が、眩しかった。


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/// かみさまなんていないのよ


轟々と、吹雪く音はまるで耳鳴りのよう。
美しく眩しい、純粋な白が、無粋な人間の足によって踏み躙られ、汚されて。
人の体から飛び出した赤い液体が白と黒の世界に混ざり、ああ、華を添えて行く。
その光景の、なんと背徳的なことか。

『神様、たすけ』

足下に転がった異国の形をした男が、両手を戦慄かせて天へと伸ばす。
最早鈍器としてしか役割を果たしていない手の中の銃を、勢い良く後方へと振り上げる。
縋るように天に向かって零された言葉を遮った。
握り締めた銃が蠢くのを、握力で押さえ込む。やがて、静かになった。
耳障りな音の余韻を振り払うように、首をぶるぶると振る。
融けることもなく頭上に降り積もっていた雪が、散った。

視界の端に、狂気染みた笑みを浮かべて敵を駆逐する新城中尉が見えた。
彼は誰よりも知っているだろう。戦争に神などいるものか。


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///温もりを払い落とすように撫でられた頬


手袋を嵌めたまま、頬に触れられた。
ざり、という砂を引っかくような音がした。



常人よりも白目の面積が多いこの人の目は、まるで獣のようだ。
温度もなにも残さず離れていった新城中尉の手袋に、赤黒く変色した粉のようなものが付いていた。

「返り血。見苦しいですか」
「いつまでも頬に付けているものだから、目に付いた」
「拭いたところで、どうせまた付きますよ」

確かにそうだと、平坦な声で新城中尉は言った。
その目は一見何の感情も映していないように見えたが、しかし確かに狂気が滲んでいた。


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///私としては束縛のつもりでした


咥内でがちがちに固まっている指は、想像以上に無骨であった。
何の味もしないと思っていた。が、あえて言うなら鉄くさい味がした。
がさがさと荒れた指先を舌でなぞり、吸い上げて、奥歯でゆるく噛む。
舌で誘導し、左の奥歯から右の奥歯へと歯列をなぞるように動かすと、その指はびくりと震えた。
最後にごつりと骨が主張する関節に甘く柔らかく口付けて、
なんとも言えない顔をしている新城中尉の指を解放した。

「…僕の指が凍傷になったら、どうしてくれるんだ、
「そうしたら、その指を自分にください」

腐り、朽ちて、骨だけになるまで愛でて差し上げます。

僕も大概狂っている自信はあるが、君も大概狂っている。
疲れたように口にした新城中尉は、まあ実際のところ疲れている。
褒め言葉として受け取っておきましょう、と、もう一度彼の指に齧り付いた。


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///血と肉に残った感情


すん、と鼻に吸い込んだ空気は、埃と汗と血と雪と垢とが混じりあい、
最早何と形容していいのやら分からない臭いがした。

「いちいち嗅ぐな」

臭いだろう、と呆れたような声が耳元で響いた。
がっちりとした筋肉に覆われている太い首に、剣牙虎の様に鼻を寄せる。

「生きている、匂いがします」

新城中尉の匂いです。
すん、と鼻を鳴らして首筋に鼻を擦りつけると、
どこかくすぐったそうに新城中尉は身を捩った。


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///心臓を射抜く距離


ぎちぎちと音が鳴るほど締められた首から、ひゅう、と空気の抜ける音がした。
ひどく目の前が霞み、ぼやけ、しかしそれも悪くない。
笑うように目を細めると、首に回った指が力を失ったように離れた。
急に圧迫感から解放された喉は、突然の新鮮な酸素に驚愕したように悲鳴を上げる。
げほっ、と軽く咳き込むと、ざりざりと硬い感触の髪が顎の下を擦り、僅かな痛みを生んだ。

「新城中尉」

己が喉を震わせて彼の人の名を呼んだ。
呼応するかのように震えた喉をがぶりと噛まれた。
薄い皮膚に食い込む歯の内で、べろりと舐められ、熱く湿った感触が喉を濡らした。



首に直接響いた声は、自分の脳髄まで響き、振動させ、夢に溶けるように消えていった。


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///たぶん、止める人間は誰もいなかった


馬を食べた。
足手纏いとなる馬を食べた。
剣牙虎と人間とで分けて食べた。
味は、特にしなかった。ただ、どこか塩辛かった。

、ちゃんと食べたか」
「言われなくとも、新城大隊長殿」

奥歯の隙間に、馬の肉がまだ残っているような感覚がした。
眉を顰め、少し塩辛かったですね、と呟くと
泣きながら食べるからだ、とゴワゴワした上着の袖で頬を拭われた。
お世辞にも、肌触りがいいとはいえない生地だった。

「あのこは賢い馬だった」

気まぐれに手を伸ばすと、甘えるように鼻筋を擦りつけて来る。
剣牙虎にも怯えることのない、気高い馬だった。

「千早も、いつか人間に食べられてしまうんでしょうか」
「そんなことをした人間は、僕が食べてやる」

そう言った新城大隊長の目は、冗談なのか本気なのか見分けがつかなかった。


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///口約束など生ぬるい、血判でもまだ足りぬ


の、少年のような細い体躯が地面に跳ねた。
右の拳が、鈍く痛んでいた。

「何故、僕の命令を聞かなかったんだ」
「申し訳御座いません」
「通常時ならば、君は斬首になっていても可笑しくはない」
「申し訳御座いません」

赤く腫れ出した頬に触れることもなく、地面に転がったままは僕の顔を見上げていた。
ひどく真っ直ぐな眼をして、口からは謝罪の言葉しか零れなかった。
周りから見ればひどく間抜けな光景だった。
の真黒な瞳には、僕と光帯しか映していなかった。

「それでも、自分は、新城大隊長殿のお傍を離れることなど、できませんでした」

ああ、こいつは、なんと哀れにも、ここで僕と死のうとしている。
そのことに気付いてしまった時、僕の口は奇妙に歪んだ。


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///生ける屍と優しい死神


かさかさと乾いた唇に、同じく乾いた唇を押し付けられた。
乱暴な力で肩を掴まれ、反面酷く優しく触れられるものだから、
どうにも悲しく、遣る瀬無く、惨たらしい気持ちになってそのまま受け入れた。

「西田、少 尉」
「ごめん、

酸素を求めて声を上げると、西田少尉は情けない表情で笑い、謝罪する。
と思えば、気付けば舌を捩じ込まれていた。しかし、嫌悪感は無かった。
痺れるような寒さの中、触れ合った箇所だけがじわじわと熱を抱いていくようだった。
頬に触れる雪は、酷く冷たい。妙に、泣きたくなった。
咥内の異物に歯を立てる。鉄の味のする唾液を呑み込んで、唇を離した。

「貴方の血は、自分が連れて行きます」

手の甲で口を拭うと、綺麗に西田少尉が微笑んだ。

「……有難う、

その言葉は、聞こえなかったことにした。
別れの言葉など、言える筈もなかった。


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(09.06.12)





【主人公設定】
 デフォルト名字:洲本(すもと)←反転でどうぞ
 両性具有者。駒城保胤の個人副官候補。
 独立創作剣虎兵第11大隊第2中隊所属。
 女性らしさが前面に出る両性具有者の中では珍しく、中性的で少年らしい外見。

 いつか、甘さとか一切無い一隊員の目線で、漫画沿いにひたすら淡々と進む話を書いてみたい、なー。