理解できない。
なんだこれはなんだこれはなんだこれは。…なんだこれはって何?
駄目だ相当混乱しているようだ、落ち着け自分!シャラップ!

…ええっと。状況を整理しようではないか。
私はここにいて。立っていて。混乱していて。
しかし鏡がある訳でもないのに目の前には私が倒れていて。
ひどくズキズキと頭が痛んだ。


「…これは、なんだ」


呆然と口にした声は、なんというか涼やかでそれでいて妙な迫力のある。

元就さんの声だった。

何事だ。これは一体何事だ。
痛む頭にそっと触れる。と、板張りの廊下の上に倒れていた私の身体が
低い呻き声を上げてのそりと起き上がった。…私の意志ではなく私の身体が動いている。
不思議な気持ちでその光景を眺めていると、あれー私ってそんな表情もできたんだ!と
吃驚してしまうような不機嫌そうな顔と目が合った。


「…これは、なんだ」


不機嫌最高潮です、といった雰囲気が滲んでいるその声は、初めて聞く声だった。
でも多分、私の声だ。…そうか、私はこんな声をしていたのか。


「…元就さんですか」と問う、元就さんの声。
「…か」と答える、私の声。


さあ皆で考えよう!…こんなテレビがあったような、気がする。
何故、私が元就さんの身体になっていて、元就さんが私の身体になっているのだろうか。
その答えは、ずきずきと痛む頭にあるような気がした。というか絶対そうだ。
先程うきうきと酒を抱えて城にやってきた私。別にこれはいつもの光景である。
今夜は酒盛りだ!と元就さんの執務室に向かう途中。廊下の角。
注意力散漫だった私は、ちょうど角を曲がってきた誰かと正面衝突したのだ。
そこまでは、覚えている。ああ、覚えているともさ!
で、気がつけばさっきの事態だ。目の前には私が倒れていた。何故。ほわい。


「…元就さん、さっきそこの角で誰かとぶつかりました?」
「…ああ」
「…おれもです」
「…」
「…」
「…元就さんですよね?」
「…我の顔でそのような気持ち悪い顔をするな気分が悪い」
「…元就さんこそ、おれの顔でそんな人を見下しきったような顔しないでください」


ちょっと眉を下げて問いかけただけで気持ち悪いって言われた。自分の顔に。ちょっとショック。
あれだ、要するに私と元就さんは廊下の角で頭をゴッツンコしたようだ。
そしたら何故だか知らないけど身体が入れ替わった、と。んなアホな。
私の身体の方が吹っ飛んでたのは、元就さんの方が丈夫だからだろう。我ながら少し悲しい。
そんなに貧弱じゃないはずなんだけど、なー。武将と商人の差ですか。


「…とりあえず、執務室に行きましょう」
「…その前にその話し方を止せ。誰が聞いてるとも知れぬ。もっと堂々としていろ」
「む、難しいことを言いますね…!つか、敬語じゃなくていいんですか?」
「今は許す」
「…では…、ゴホン。ゆくぞ、我の執務室へ」


できる限り元就さんの真似をして言ってみた。うわーなんだこれ変な感じ!
というか私の体の元就さんはそんなに偉そうでいいのか、って話だ。
でもまさか私が元就さんに向かって「敬語を使え!」だなんて言えない。言える筈が無い。怖い。



執務室に入り、二人で畳に座って向かい合った。
…やっぱり、なんだかとても変な感じだ。
私偉そう。今だったらさ、すごくデキル!店主オーラ出てるんじゃないだろうか。
逆に今の元就さんは、しょぼいひよっこ城主オーラになってるんじゃないだろうか。
申し訳ない。非常に申し訳ない。偉そうなオーラ出せなくてごめん。庶民なんです許して。


「おれが思うに、きっと原因は頭をぶつけたことなんですよ」
「だから我の体でその話し方をするな。寒気がするわ」
「おれとしてはそんなことを言うおれに寒気がします…」


本気でそう言うと、ものすごい殺気が目の前の自分の身体から出てきた。
す、すごい…!私って殺気出せたんだ…!
とりあえず命の危険を感じたので素直に従う。えーと、元就さんの口調か。


「お、恐らく、原因は先程のあれだ」
「あれとは何だ」
「角で頭をごっつんこ事件だ」
「我はごっつんこ等言わぬ」
「すみません」
「我は謝らぬ」
「すみま…わ、我は謝らぬ」
「しかしそれはそれで腹が立つ」
「どうしろと!」


困って叫ぶと五月蝿い黙れと言われた。そんな偉そうな自分は嫌だ。
というか、ね。忍びさんならきっと一部始終見てたんだと思うんだよね。
で、今もきっと天井裏から見てるんだろうと思うんだよね。
多分すごく変な光景に見えてるんだろうと思うんだけどね。
私がとても偉そうに、きょどきょどした元就さんに指図してるこの光景。
…やめよう客観的に考えるのはやめよう寒気がした。なんか嫌だその光景。なんという下克上。


「とりあえず元に戻らなきゃ…戻らねばならぬ」
「何か良い案でもあるのか」
「いや、特に。まあそのうち戻れるでしょう…であろう」


今までの経験上、異様な事態が発生してもまあそのうちなんとかなる、というのが私の考えだった。
なんとも楽観的。プラス思考。いいよね素晴らしいよね。
深く考えるのめんどくさいだけだったりするけども。
いつもの癖でへらっと笑うと、私の体の何処にそんな力が!と驚くような力で
座布団を顔面にぶつけられた。ばすん、といい音が鳴る。
思わず、元就さんの口調を真似するのも忘れて叫んだ。


「も、元就さんこの身体自分の身体でしょう!」
「五月蝿い我の顔でへらへらと笑うな、気持ち悪い」
「元就さんはおれの顔で仏頂面ですけどね!」
「我がのようにへらへらと笑えるか」
「それもそうですけど!それにしても今のおれって他人から見たら賢そうですよね」
「我は頭が悪そうだ」
「泣いてもいいですか」
「そのような真似をしてみろ、明日の日輪が拝めなくなると思え」
「すみません勘弁してください」
「謝るなと言っておるであろう」
「どうしろと!」


本気で困ってきた。なんだこの我侭な元就さん!
忍びさん見てないで助けてくださいよ。貴方の主の一大事ですよ。





結局そのまま夜になっても戻らなかったので、当初の予定通り持参した酒で酒盛りをすることにした。
半分ヤケ酒だったりする。もう嫌だ元就さんの真似なんてできない。無理なものは無理。
元就さんも自分の身体が変な行動や言動をするのが相当嫌らしい。
二人で「もう知らねーよ考えるのめんどくせーよ」とばかりに酒をぐびぐび飲んでいると、
目の前に座っていた元就さんの身体、まあつまり自分の身体が怪しく揺らめいた。
ん?と思って盃から目線を上げると、なんとも見事に真っ赤になった自分の顔。
うわあ目が据わってるよ…!と他人事のように感心していると、
眉間に皺を寄せたその真っ赤なお顔の口が開いた。


、貴様…酒 、弱いにも 程があろう…」


掠れた低音で呟かれた言葉にハッとする。
そうだ、身体が入れ替わっているということは、酒の弱さだとかそういったものも
すっかりさっぱり入れ替わってしまっているということだ。今更気付いた。
そうか、だから結構飲んでるのに頭がフワフワしなかったのか…と感心していると、
私の身体がゆらりと立ち上がる。厠…と呟かれた言葉が耳に届いた瞬間。
盃を持った手に影ができた。ん?と思って顔を上げる。そこには眼前に迫った私の身体。

うそーん、と避ける間もなく。倒れてきた私の身体と元就さんの身体は勢いよく衝突した。

ガツンと頭に鈍い衝撃が走り、『ああ、酒、零したかもしれない…勿体無い…』と、
最後にそんな貧乏性丸出しなことを思い、私はそのまま意識を失った。





ぴちゅぴちゅぴちゅ。遠くで小鳥が囀る声で目を覚ます。
ぼんやりとした視界に映るのは、夜明け前の薄明かりに照らされた部屋。
すん、と鼻から空気を吸うと、その部屋中に漂っている濃い酒の香りが鼻をついた。
ああそうか。飲んで気を失って、そのまま朝になっちゃったのか…。
布団も敷かずに寝たからか、背中が痛い。おまけに二日酔いもしているようで頭も痛い。
ん、と大きく伸びをして、気付く。

戻ってる…?

今自分が身に纏っているのは元就さんの緑の着流しではなく、いつもの自分の濃紺の着物だった。
試しに「あーあーあー」と声を出すと、いつも耳にしている自分の声。おお、戻っている!
感動して周囲を見渡すと、同じように畳の上に転がっている元就さんを発見した。
というか、忍びさんよ。城主を畳の上に転がしていて良かったんですか?
中身が私かもしれないからですか?だったら少し切ない。


「元就さん、朝ですよ。起きてください」
「…、……?」
「そうですです。戻れましたよ元就さん」
「…此処は…」
「昨日酒盛りしてて、おれの身体に入ってた元就さんが倒れたんです、覚えてます?」
「…薄らとだが」
「それで、いくら元就さんの身体とはいえ中身がおれだったんで、避けれなくて。
 なんか頭打っちゃったみたいなんですよね。それで気を失って」
「起きたら、戻っていた、と?」
「馬鹿みたいな話ですがそのようです」


その後、二人で地味に痛む頭を抱えながらも出した結論は、
『どうやら頭をぶつけると中身が入れ替わる可能性がある』というなんとも理解しがたいことだった。
理解しがたいとはいえ、現実に入れ替わりを体験してしまった私と元就さん。
後日、城の廊下の角にカーブミラーのような鏡を取り付けてはどうかと私が提案し、
元就さんがそれをすぐに承諾したのは、ある意味当然であった。あんな事態は二度と御免である!





09/09/22