どたどたどた、と騒々しい足音が鼓膜を揺らす。
他人事なら『なんだよ騒がしいな』と思うんだけど、残念ながらその足音の主は俺だった。
瀬戸内の海が一望できる城。その中を只管走り回る俺。悲しいことによくある光景だ。
ああ、もう、畜生!なんで俺はこの城に帰ってくるたびにこんなことやってんだ。
内心でチッと舌打ちをする。


「あっ、の兄貴、何時お帰りで?」
「さっき!悪いが、積もる話は後だ!」

サン、お久しぶりっス!」
「ああ、うん、そうだな!」


城のあちこちで顔見知りの奴らに声をかけられるけど、正直今は相手をする余裕がない。
申し訳ないと思いつつ、短い言葉を残して走り去る。


「チカ、チカ、何処だ?!」


走りながら声を上げて、城主を探す俺。なんかしょっぱいこの光景。
呼んだってアイツは素直に出てくる訳ないって分かってるのに、つい呼んでしまう。
チカ、俺の幼馴染兼、この城の主。長曾我部元親。名前だけは立派なもんだよ、本当。
ああもう、俺本当に怒りで頭の血管の一、二本プチっといってしまう。
もし本当に血管が切れてしまったらチカに賠償金を払わせよう、よし、そうしよう。
ああ駄目だ、そんな金はない、この国に。




ようやく辿り着いた城のてっぺん、チカの私室。
はッはッと軽く息を弾ませながら、障子をすぱんっと勢い良く開けた。
本当ならズバンバァンドッカンバラバラバラバラくらいの勢いで開けたいんだけども、
そんなことをしたら修繕費に余計な経費がかかる。この国の財政は厳しいのだ。
そう、部屋の隅で無駄に馬鹿でかい図体を縮めて、怯えたようにこちらを伺う、城主のせいで。


「チカァッ!!」


胎の底からありったけの怒りを込めて叫ぶと、
チカは怯えたようにビクリと震え、さらにその図体を縮ませた。


「待て待て待て待て、話せば分かる!な?!」
「テメ、どの口がそんなことほざく!何だアレは俺がこの城を留守にしてた間に何した!」
「いや、ちょ、ちょーっとな。ホラ、木騎だけじゃ寂しいと思って…」
「ふざけんなッ!!」


声を荒げて怒りのままに叫ぶ。唾も多少飛んだがそんなことを気にする必要はない。
俺が、俺がもうあらゆる節約をして切り詰めて精神が乾燥するまでお金を溜めることに苦心して、
ようやく、ようやくあの恐ろしい毛利軍から借りてたお金を返済できたというこの目出度い時に。
安芸から四国へ帰った俺を出迎えたのは、もうひとつの木騎でした。
ってそんな話があるかぁ!


「ふざけんなッ!!」
「…あの、、それさっきも聞いた」
「大事なことだから二回言ってんだ口答えする権利がお前にあるとでも思ってんのか!」
「ないです本当にごめんなさい」
「俺がいなかったらなぁ、この国なんか一瞬で破産すんだぞ!」
「いやもう、それはマジで分かってます」
「その俺の苦労を、何故こうもお前は一瞬で無にするんだ!国の金なんだと思ってんだ!」
「だって木騎だけじゃ寂しいと思って…」
「それはもう聞いた!ふざけんな馬鹿!ばかばかばかばかチカ!脳みそ溶けてんのか!」


長曾我部軍は、常に財政が傾いている。城主のカラクリ好きのせいだ。
ことあるごとに国一つ傾くほどの金をぽーいと使ってカラクリを作るこの城主は、
今回も財政担当の俺が留守なのをいいことに、国費をちょろまかして新しいカラクリを作ったということだ。
俺がどれほど苦労して金を集めてるのか分かってんのかコイツは。いやきっと分かってない。
深い深いため息を一つ吐くと、チカの肩はまたビクリと震えた。
怒られるの分かってるんなら最初からすんな、と思う。本当にどうしようもない奴だこいつは。

怒りに任せて一通り叫ぶと、少し頭が冷えてきた。

そう、まだ四国に帰ってきたばかりなのだ。きっと片付けなくてはならない書類が山程ある。
あそこの治水の状況は今どうなってる?最小限の経費で、しかし丈夫に。
あ、今はあの作物が売り時だ。売値が高い時に売っておかねば。機を逃すと瞬く間に値が下がる。
頭が冷えると同時にやらなければならないことが次々とポンポン頭に浮かんだ。
そうだ、こんなところでチカを怒鳴る暇などないのだ。

俺は部屋の隅でしょぼんと小さくなっているチカを置いて、
自分の執務室へと足早に歩き出した。あーもう、俺がもう一人いりゃいいのに。
そうしたらチカが国費をちょろまかさないように、始終見張ってられるのに。
また傾いたであろうこの国の財政を思い、俺は頭を抱えて唸った。ううむ。







チカは、昔からどっか世間知らずの手がかかる奴だった。
俺の家は、チカの家ほどじゃないけど大きな家で、同じ年頃だった俺達はすぐ仲良くなった。
チカはそりゃもう内気で大人しい奴で、いつも俺が手を引いてあちこち連れ回っていたものだ。
美しい銀色の髪に白い肌、大きな瞳に小柄な身体。チカはまるで女の童のような容姿だったので、
俺と一緒にいるとよく兄妹みたいだね、と言われた。
そしてチカは、その容姿に似合う小胆の持ち主だった。


、わたし、戦に出たくないな」
「なんで、お前、ゆくゆくはこの国の主だろ?」
「でも、出たくないんだもん」


またこいつは突拍子もない我侭を言い出した、と幼い俺は思った。
ぷう、と頬を膨らませているチカを横目で見て、俺は適当に言った。


「じゃあお前、いっそのこと女になっちゃえばいいんだよ」
「…おんな?」
「女みたいな見た目してんだからさあ、女の格好してみろよ。女は戦に出ないだろ?」


そう言うと、チカはぱあっと瞳を輝かせて、「って、かしこいね!」と言った。
まさか本当に実行する気だとは思わず、俺はお前の頭の中が心配だよと思った。
ら、次の日。チカは、どこから持ってきたのか、とんでもなく豪華な女物の着物を着て現れた。


、似合う?」
「…似合わない」


そう言うとチカはぐむっと言葉につまり涙を浮かべたが、正直な感想だった。
その着物は、どこぞの奥の部屋からでもくすねてきたのか、派手で下品だった。
あまりに似合っていなかったので俺はついつい、今思えば余計な世話を焼いてしまった。
姉のお古の着物の中から、薄い桃色や淡い色のチカに似合いそうな着物を見繕い、
チカに着せてみた。驚くほど似合ってしまった。俺は調子に乗った。
着飾る姉の手伝いを昔からしていたので、チカの髪を結い、薄く化粧なぞもしてみた。
とんでもなく似合ってしまった。俺はもう可愛ければ何でもいいやと思った。
そうして俺は、四国中に大人気となる『姫和子』を生み出してしまったのだ。




しかしやがて『姫和子』の時代も終わる。
とうとう国の主となったチカと、その彼の右腕になって働き出した俺。
ある日、チカは深刻な顔をして俺に切り出した。


「なあ、
「なんだよ、カラクリ作る予算はないぞ」
「どうやったら、皆に強いって思ってもらえっかな…」


チカは城のてっぺんにある私室から、美しい海を眺めながら呟いた。
また、変なこと言い出したなと思わなくもなかったが、真剣な顔をしているので俺も考えた。

チカは成長期を迎えてずんずんと図体がでかくなり、
可憐だった声は声変わりによって戦場に良く響きそうな立派な男の声になっていた。
それに合わせてチカの口調や仕草もどんどん男くさくなっていった。
そう、四国中を風靡した『姫和子』の卒業だった。
だがしかし、周囲にはチカが姫和子だった印象がどうにも抜けず、
一軍を率いるのに相応しくないと思うやつもちらほらいる。
俺は強くなろうと努力していたチカを知っているので、そんなことは思わない。
チカは、今では俺なんかよりも余程強い。


「やっぱりあれだろ、下から慕われる主ってのは、強い」
「強い、か」
「お前はさ、もう十分強いけど、その強さをまだ皆に見せていない」
「そうかぁ?」
「お前、鍛錬する時一人でやってるだろ。鍛錬場に行ってみろよ。
 そんで、お前の強さを見せる。それでまずは人心掴め」


そう言うと、チカは納得したようにこくりと頷いた。


「そんでさ、やっぱ俺が思うに慕われる上司ってのはあれだ、面倒見がいいんだ。
 弱いやつを見捨てたりしないで、一緒に強くなるようにする。
 困ったときは一蓮托生だ。それがうちの軍伝統の良さだろう?
 だったら大将のお前が率先してやらなきゃな。慕われるようなでっかいやつになってみろよ」


ぱちぱち、と間抜け面で瞬きをしているチカに向かってにかりと笑う。
しばらくして、チカはこくこくと何度も大きく頷いた。


「見てろよ、!俺、でっけぇやつになるからよ!」
「おお、がんばれよ」


単純だなあなんて思いながら軽く頷く俺は、
チカがまさかあんな方向にでっかくなるとは思っていなかった。
今のチカ…アニキ、と皆に呼ばれ慕われるのはまだ、いい。むしろ理想通りだった。
だが、最近少しはしゃぎ過ぎのような気はする。
『鬼が島の鬼たぁこの俺よぉ!』とか『この田舎モンがよぉ!』とか言ってるのはちょっとやめさせたい。
他国に出入りした時に『ああ、あの鬼が島の鬼の右腕の方ですか!』とか、
『そなたのふるさとにくらべれば、ここはつまらぬいなかですが』とか言われるのが恥ずかしい。
偶に「おいおいお前そんな格好で戦いっちゃうの?!」という格好をしている時もあるので、
そういう時はちょちょいと直してやる。やっぱりアイツは手のかかるやつだ。







ぼん、と調査書に処理済の印を押し、肩をぐるぐると回す。
ああ疲れた。でも金はなんとかなりそうだ。とりあえず国が滅びる事態だけは免れた。
しばらく、軍の調練に漁を取り入れよう。経費削減だ。
ゴキ、と肩の関節が鳴る。あーあ、今日の執務はこれまでにしよう。疲れた。
そうだよ、ただでさえ俺はあの安芸の毛利殿の話し相手になって疲れてるんだ。

はー…、とため息を吐いていると、障子の外から足音がした。
控えめなその音は、ともすれば女中の足音のようにも聞こえる。
でも違う。長年傍に居た俺には分かる。





障子に映る影。西日を遮るその影は、大きい。


「なんだよ、反省したか。ばかチカ」
「ああ、もうしねぇよ………………多分」
「最後が余計だっつの」


やれやれと思いながら障子を開けると、えらくしょぼくれた様子のチカが居た。
こいつは図体ばっか大きくなって、こうしょんぼりしてると昔と何も変わらないなあ。


「でもよぉ、さらにこの国は強くなったぜ」
「軍事面だろ?財政は思いっっきり傾いたけどな」
が何とかしてくれたんだろ?」
「ったく、維持費だけでどんだけかかると思ってんだっつーのに…」


はぁ、とため息を吐いて肩を落とす。
カラクリは強いけどな、維持費が馬鹿にならないんだよ。


「感謝してるぜ、にはよ。昔から頭が上がらねぇ」
「やめろよ、一国の主が部下に頭上がらなくてどうすんだ。見上げさせろよ、もっとな」


口の端を上げて笑う。
いつまでたっても手のかかるやつでいてもらっちゃ困るんだよ。
にいっと笑った俺を見て、チカは西日にも負けない、皆から慕われる明るい笑みを浮かべた。


「待ってろよ、。天下見せてやっからよ!」
「しょうがねえから付き合ってやるよ」


夕日に染まった瀬戸内の海を眺めながら呟いた。
ああ、やっぱり自分の城はいい。落ち着く。


「とりあえず毛利の野郎に借りを返す!」
「金も返したことだしな。よしチカ、いっちょ派手にいけ、派手に」
「おォ?珍しくが乗り気じゃねぇか」
「せっかく国傾けてまでカラクリ作ったんだ、それくらいやってもらわないと困る」
「よっしゃ、じゃあ今回の戦は派手にいくか!」
「そん前に飯食わせろ。焼き魚と酢橘が食いてぇ」
「任せろ!が帰ってくるって聞いたからよぉ、準備万端だぜ!」


「野郎共、飯の準備だ!」「へい、アニキー!!」という声を聞きながら、
やっぱりぐらぐら財政が傾いてても、その度に手のかかる城主を叱ることになったとしても、
故郷はいいもんだ、と思った。ああ、酢橘がうめぇ。





09/09/11