私の悩みを聞いてくれますか。
本当に、切実なんです。お腹がしくしく痛むほど、切実なのです。
布団をぎゅう、と握り締めて枕に顔を深く深く埋めてしまうほどなのです。
暫くそのままウウウと唸っていると、ぺたぺたと可愛らしい足音が聞こえてきました。
ああ、次に聞こえてくるものを想像して、私はまた低く唸りました。
聞きたくありません。何も聞きたくありません。
「、起きろ」
可愛らしい男の子の声です。
少しハスキーなところが、将来有望といったところでしょうか。
しかし私はまた聞きたくない言葉を聞いてしまい、
起きてなんかやるもんかと布団をさらに強く握り締めました。
「いい加減にしろよ、今日は大事な用があるって言ってただろ」
少し怒ったように言われては、私も少し困ってしまいます。
大事な用があるのは事実なので、諦めてむぐりと起き上がりました。
「…おはようサスケ」
「さっさとメシ食えよ」
私の愛しい弟は、つん、と顔を背けてベッドの傍から離れていってしまいました。
おまけに玄関からも出て行ってしまいました。彼は今日下忍の訓練があるのです。
私はふわあ、と小さく欠伸をして起き上がり、身体をんっと伸ばします。
そして先程の会話を思い出して、朝には似合わない深い深いため息を吐きました。
私の悩み、それは愛しい弟が、私を「姉さん」と呼んでくれなくなったことです。
反抗期でしょうか、どうなんでしょうか。確かにサスケはお年頃です。
女の子にきゃあきゃあ言われちゃったりしていて、姉としてはちょっと鼻が高いです。
少し、昔話をしましょうか。
私とサスケがまだ二人ぼっちになる前の頃。
サスケはそれはそれは可愛い弟でした。ええもう目に入れても痛くないくらい。
勿論今でも可愛いんですが、サスケは面と向かって可愛いと言われると怒るので言いません。
ああそうだ、昔の話でしたね。サスケはイタチ兄さんには「兄さん兄さん」と呼び、
まるで金魚の糞のように付いて回り、やれ遊べだのやれ手裏剣術教えろだの
こちらが羨ましくなるほど大層懐いている様子でした。
それに比べて私には、「姉さん姉さん」と呼んで懐いてはくれるものの
私はこれまで一度もサスケに忍術を教えろと迫られたことはありません。
そりゃあ、私はイタチ兄さんに比べたら大層出来の悪いお子様でしたが、
それでもうちはとしては中々イイ線をいっていた方なのではないかと思います。
ただ、その方向性が問題だったのでしょうか。
私はうちはの子らしく火遁が大好きでした。暇さえあれば火遁をしているようなお子様でした。
そしてその火好きの性格からか、私は起爆札や爆弾といった類のものを作るのがとても好きになりました。
今もそれを作ってサスケを養っているのですが、まあそれは別の話です。
幼いある日、下忍の任務を終えて帰宅した私がいそいそと起爆札を作っているときのこと。
小さなサスケがその愛らしい顔を興味津々といった様子で輝かせて、近寄ってきました。
『姉さん、それ、何やってるの?』
『えへへ、見てサスケ、新しい起爆札だよ。時限式なの』
『へー、姉さんってすごい!』
ええ、ここまではいいのです。ここまではよかったのです。
『今実験中なんだ。ほら見て、ここに秒数が』
『さん、にい、いち?って、うわぁ!』
ボン、っと小爆発。勿論、煙が少し出るくらいですよ。
弟に怪我をさせるなんてとんでもない。自分を傷つける趣味もございません。
ですが、そうして家でしょっちゅう小爆発を起こす私を見て、サスケは良く怯えていたものです。
いつしか、私が何かの作業をしているときには一切近寄らなくなりました。
勿論、普通のときは仲の良い姉弟でしたとも。ええ、そのはずだったんですが。
私とサスケが二人ぼっちになった時のことです。
私たちは毎晩ひんひん泣いて互いを抱きしめあって寝ていました。
サスケは「姉さん、姉さん」と何度も震える声で言い、
私はそれに答えるようにサスケの小さな背中をぎゅうと抱きしめました。
そんな夜を何度繰り返したか分からないある日の朝、
目が覚めると腕の中に愛しい愛しい弟の姿がありません。
サスケは一人で朝ごはんを作っていました。
私の見様見真似でやったのでしょう、台所からは焦げたような臭いがしました。
ぼけっとその様子を布団の中から眺めていた私に向かって、サスケはこう言いました。
「起きろ、」と。
その時の私の衝撃をどう言い表してよいのか、未だに分かりません。
あの、「姉さん姉さん」と可愛らしい笑顔で私のことを呼んでいたあのサスケに、
まさか名を呼び捨てにされ、命令される日が来るとは、夢にも思っていなかったのです。
その日からサスケは私を「」と名前で呼ぶようになりました。
おまけに私に対する態度が少し冷たくなりました。まるでそっけない黒猫のようです。
そして数年が経ち、私は上忍に、サスケは下忍となった今でも、サスケは黒猫のままです。
「姉さん」というあの懐かしい響きを思い出し、
私はサスケが作ってくれた美味しい朝ごはんを食べながら深いため息を吐きました。
けれどいくら私の気分は沈んでいても、そんなこととは関係なく時間は進みます。
皿の上を綺麗に平らげたら洗い物をして、簡単に身支度を整えて、
さあ行くかと太陽の眩しい外へ飛び出しました。
「それじゃあ、今日お前らに起爆札の使い方を教えてくれる先生だ」
「皆さんこんにちは、今日はよろしくお願いします」
カカシさんにそう紹介されて頭を下げた私の前には、
綺麗な蜜柑色の髪の男の子と、これまた綺麗な桜餅色の髪の女の子と、
私と同じ髪の色で呆気にとられた顔のサスケがいました。
「さっきぶりだねサスケ」と笑って手を振ると、サスケはふいと顔をそらしてしまいました。
そう、私の大事な用とはカカシさんのいる第7班に起爆札の使い方を教えることだったのです。
すると、桜餅色の髪の女の子から物凄い視線を感じました。
顔には「この女はサスケくんの何なの?!」と大きく書かれています。
というのは勿論比喩であって、彼女の可愛い顔には実際何も書かれてはいません。
私は「ははーん」と思いました。この子はきっとサスケに恋をしているのでしょう。
可愛いなあと微笑ましく思いながら、私はさっさと彼女の誤解を解くことにしました。
「失礼、自己紹介を忘れてました。うちはです」
「えっ、うちはって…ええっ?!」
「そう、彼女はそこにいるサスケのおねーさんだよ」
カカシさんがにこやかにそう告げると、
うそー!と、蜜柑色の髪の男の子と桜餅色の髪の女の子が元気良く叫びました。
サスケは地面を見下ろして小さく舌打ちしました。少しガラが悪いです。
「サ、サスケ、お前にねーちゃんがいるなんか聞いてないってばよ!」
「うるせー黙れウスラトンカチ」
「お姉さま!わたし、春野サクラって言います!」
「サクラちゃんかあ、可愛いねー、よろしくね」
「こちらこそ末永くよろしくお願いします!」
「あ、サクラちゃんずりー!オレ、オレってばナルト!うずまきナルトってんだ!」
「ナルトくんかあ、可愛いねー、よろしくね」
「…いーからさっさと始めろよ」
にこにことサクラちゃんとナルトくんに挨拶をしていると、
大層不機嫌そうにサスケが呟きました。
そんな私達をカカシさんは微笑みながら見つめています。
私は懐から用意してきた起爆札を取り出して、びらっと目の前に広げました。
「はい、じゃあサスケに怒られたのでそろそろ始めます。さあこれは何でしょう?」
「へっへーん、そんなん楽勝だぜ!起爆札だってばよ!」
「ナルトくん正解、よくできました。起爆札についての説明はもういいですね?」
「はい、アカデミーで習いました。…チャクラを練りこんで使うんですよね?」
「その通り。チャクラの練り方によって色々な使い方ができます。
ということで、実際に戦ってみましょう!私は起爆札しか使いません」
色々言ってみせるよりも、実際に見たほうが早いだろうと判断して、私はそう言いました。
ナルトくんとサクラちゃんは勿論、サスケですら驚いたような顔でこちらを見ています。
そういえば、最後にサスケと戦ったのはいつでしょう。
サスケはイタチ兄さんとばっかり訓練していたので、私はいつも父さんに構ってもらってたものです。
「いいですね、カカシさん」
「ま、いいでしょ。キミ達、言っとくけどこの子起爆札の扱いにかけちゃ天才的だからね」
「褒めても何も出ませんよー。じゃあ、いきますよ、っと」
3人まとめてどうぞー、と言いながら、私は勢い良く地面に向かって起爆札を投げました。
ぎょっとした3人の顔を認識するかしないかのうちに、ボンっと辺りに土煙が舞い上がります。
あ、周囲はただの草むらなのでやりたい放題です。念のため。
と、土煙を抜けてナルトくんが雄たけびを上げながら突っ込んできました。
いいですねえ、若さを感じます。忍びとしては失格かもしれませんが、私はこういう若さが大好きです。
3人まとめてどうぞー、と言ったのに一人でつっこんできたということは、
私に対しての彼らなりの遠慮でしょうか。そういうことにしておきます。
右、左と繰り出される拳を軽くいなして、くるっと顔面に向かってきた足の甲を右手で受けます。
それと同時に起爆札をぺたりと貼り付けると、ナルトくんは大変吃驚した様子で叫び声を上げました。
「ぎゃあああ!?」
「とまあ、こういう風にカウンターとして使用するのもアリです」
「ねーちゃん、これってば、なんかビリビリするんだけどー?!」
「ちなみに今回の起爆札は雷属性を仕込んでみました。ビリビリしちゃうでしょー」
と暢気に会話している私の背後へ、サクラちゃんが飛び込んできました。
繰り出されたクナイを宙返りして避け、起爆札を5枚ほど一気に投げつけます。
ぼぼんっと爆発したそれらを華麗なバックステップで避けたサクラちゃんですが、
背後に回りこんだ私を見てぎょっとしたように目を見開き、私の繰り出した蹴りに応戦します。
あ、ちなみに蹴りは勿論手加減していますよ。女の子を傷つけるだなんてそんなそんな。
私の攻撃を巧みにかわすサクラちゃんですが、攻撃を避けるのに精一杯で周りが見えていません。
「残念ながらサクラちゃん、起爆札はすぐ爆発するとは限らないんだよ」
「え…って、きゃあっ?!」
「トラップとして使用するのもメジャーな方法ですね」
先程投げた起爆札で、直ぐに爆発したのは実は3枚だけなのでした。
残りの2枚は時限式になるように仕込んでいて、
地面に貼り付いたそれらの地点に誘導したらぼぼんと爆発。
ちなみに今回は煙と共に粘着性のチャクラが出るように仕込んでみました。
サクラちゃんは地面に脚を縫い付けられてしまっています。
と、そこで背後からクナイが3本ばかり飛んでまいりました。
誰かなんて見なくとも分かります。ええ、分かりますとも。弟ですから。
「いらっしゃい、サスケ」
にこりと笑ってクナイを叩き落とし、背後に迫っていたサスケに回し蹴り。
サスケは私の足を土台にぴょん、と飛び上がり、またクナイを投げてきました。
空中に飛び上がると逃げ場がなくなるよ、とイタチ兄さんに教わらなかったのでしょうか。
やや弟の愚行に心配になりながらも起爆札を投げましたが、私の心配は杞憂に終わりました。
サスケは通常のクナイと一緒に仕込み糸の付いたクナイを投げていて、
地面に刺さったそれを支点にして器用に回り、私の投げた起爆札をかわしました。
トラップとして使用されることのないよう、火遁で全て燃やすおまけつきです。
私はその炎を見て嬉しくなりました。やっぱり、うちはの炎はいいものです。
思わずにこりと笑ってしまった私へと向かって、サスケは大きな手裏剣を投げてきました。
ああ、あれは私が誕生日にあげたやつでしょうか。大事に使ってくれているようです。
す、とその手裏剣を軽く避けて、サスケへと向かって走ります。
すると、サスケがにやりと笑いました。サスケの指には、仕込み糸が付いています。
後ろから、サスケが投げた手裏剣が戻ってきました。仕込み糸でサスケが手元へと戻してきたのです。
手裏剣は私の背中へ突き刺さり、げほ、と咳き込みました。赤いものが飛び出します。
その様子を見て、サスケは少し怯んだ様子を見せましたが、直ぐにクナイを取り出して背後へと投げました。
分身だと気付かれたのでしょう。ボフンと音が鳴って、手裏剣が刺さっていた私の姿が消えます。
サスケの背後に居た私の急所を綺麗に狙って飛んできたクナイを避け、私はにこりと笑いました。
「サスケ、起爆札を分身に使うのも立派な使い道だから覚えておいてね」
「ッ?!」
サスケの手元に戻った手裏剣がどかん、と爆発しました。
分身に仕込んでおいた起爆札は、思惑通り綺麗に手裏剣に貼り付いたようです。
ちなみに今回の起爆札はナルトくんに使ったのと同じ、しびれるやつです。びりびりと。
その様子をのんびりと眺めていたカカシさんの隣に移動し、
さあ、3人まとめてどうぞーともう一度言って笑うと、彼らは一斉に突っ込んできました。
私は懐にたんまりとある起爆札を取り出し、満足気に笑いました。実際、満足です。
それから私たちは日が暮れるまで起爆札で戦い続けました。
カラスがアホーと鳴いたときに、カカシさんが「はい、しゅーりょー」と手を叩いて、
ようやく私は手に持っていた起爆札を懐に仕舞いました。今日一日で随分と消費したものです。
里の中心部への道をのんびりと歩きながら、私の両手はナルトくんとサクラちゃんに取られていました。
誰かと手を繋ぐなんて久しぶりで、その温かさに胸がじわりと温かくなります。
「ねーちゃんねーちゃん、今日一緒に晩御飯食おうぜ!」
「あ、ナルトずるい!お姉さま、私と一緒に食べません?勿論サスケくんも!」
「…ま、こいつらもこう言ってることだし、一緒に一楽でもいく?ちゃん」
確かに、今から夕飯を作るのは少し面倒です。
うーんと悩み、カカシさんのお言葉に甘えようかと悩んでいると、
ばし、と両手の温もりが消えました。
私も吃驚しましたが、両側の二人はもっと吃驚しているようです。
「帰るぞ」
「え、サスケ?」
そのままサスケに右手を驚くべきスピードで引っ張られ、唖然としながらも器用に足は動かします。
皆の姿はあっという間に見えなくなり、気が付けば私たちは自宅へと戻ってきていました。
見慣れた玄関の前で立ち止まり、挨拶もできないままの別れになってしまったことに、
あちゃー、と私は頭を抱えます。が、片手がふさがっていて頭を抱えられません。
私の右手はしっかりとサスケの右手と繋がっていました。
サスケの手は昔と変わらなくて、あったかくて、
でもあれだけ小さかった手は私と大して変わらない大きさになっていて、
なんだか私は泣きそうになってしまいました。
すると、ずっと沈黙を守っていたサスケが振り返り、こちらを真っ直ぐに見上げてきました。
「…、…ろッ」
「なに、どうしたのサスケ、聞こえないよ」
「…は…姉さんは、オレの姉さんだろ!」
今、何を言われたのかが直ぐに理解できず、私はぽかんと間抜け面で立っていました。
しばらくしてサスケも自分が言ったことに気付いたのでしょう、
面白いくらいに顔を真っ赤に染め上げて「…晩飯の買い物、行くんだろ!」と声を荒げています。
…サスケが、私の愛しい弟が、「姉さん」と。「姉さん」と昔のように呼んでくれた!
そのことをようやく脳が理解し、じわじわと腹の底から嬉しさが湧きあがってきました。
まるで、何かのパーティみたいです。脳内がお花畑です。ファンファーレです。
それほどここ数年、待ちわびていた響きだったのです。
顔がゆるゆると緩みます。ええ、もう止められません。
「待ってサスケ、やっぱり一楽に行こう、ラーメン食べたくなっちゃった」
「ラーメンくらいオレが作る」
「なんでそんなに一楽が嫌なの、おいしいのに。皆もいるよ?」
私がそう言うと、サスケは疲れたようにため息を吐きました。
まるで朝の私のようです。そう思うとまた笑えてきました。
「いいよ、じゃあ一緒にラーメン作ろう」
「ああ」
「鍋焼きラーメンにする?久しぶりに火遁頑張っちゃうよ」
「がやると焦げるだろ、家ごと」
「サスケ、姉さんでしょ」
「…姉さん」
そう小さく呟いたサスケは、本当に本当に愛しくて大層可愛らしいものでしたので、
私は思わず「サスケ可愛い!」と言って抱きしめてしまいました。
ら、案の定怒られました。やっぱりお年頃の男の子の心は複雑極まりないものです。
09/09/03
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