えええ、そんな、まさか、ええ?
目の前の光景に言葉を失う。なんだこりゃなんだこりゃ、なんか私まずいことしたっけ?
いやいや、いつも通りに「明日もいっちょ儲けますかー」って布団に入って寝ただけ。
いつも通り、素晴らしい日常である。なにも可笑しいことはしていないぞ。
ならば、なぜ私はこんなところで見知らぬお兄さんに銃を突きつけられているんでしょう、か。



「よぉ、命知らずのガキ、なんでこんなとこにいるんですかね?」



そんなの私が聞きたいですよ。…なんて、言えるはずもなく。
ははは、と乾いた笑いを零して両手を挙げる。ああ、誰でもいいからヘルプミー。






/// ひとがまぼろし






どこか楽しそうにニヤリと笑っているお兄さんは、なんというか得体の知れない妖しさがある。
えーとその、近づいてはいけないというか関わってはいけないというか。
どこかで似ている笑顔を見たことがあるなあ、どこだっけ。ひょっとして明智さん、か…?
うーんと悩んでいると、ぐり、と額に銃口が押し当てられた。地味に痛い。



「ガキ、ここがどこだか分かるかい?」
「えーと、どこかの屋敷、ですか」
「そう、俺と稲ちゃんの、愛の巣」



そう言ってお兄さんは至極楽しそうにニィ、と笑う。
稲ちゃんが誰かは分からないけれど、どうやらこのお兄さんが暮らしている屋敷のようだ。
そういえば、裸足の足の裏にはさらさらとした肌触りの良い畳の感触。
こんな状況じゃなかったら、思う存分ゴロゴロ昼寝したいのにね。人生甘くないね。



「はぁ、愛の巣ですか。すみませんねお邪魔してしまって」
「いや、そりゃ構わないけどね。で、俺が聞きたいのはガキが何でここにいんのか、ってことだよ」



答えによっちゃ、苛めちゃうよ!と、お兄さんはとても良い笑顔で笑う。
ぞぞぞ。なんかぞわっとした。うわー背筋が寒いよー寒いよー。



「ええと、ええと、おれはその、ただの商人でして」
「商人ねぇ。その割にゃあ何も持ってないよね、キミ」
「そこを突かれると痛いですね」
「へぇ、もっと痛くしてあげようか?」
「…えええええ遠慮しまーす」



ヤバイ。このお兄さんヤバイ。笑顔だけど怖い。
額にぐりぐりぐり、と押し当てられた銃口がどうにも痛い。うわー私マゾじゃないよー嬉しくないよー!
逃げたい。でも私に銃口を突きつけられた状態から逃げられるスキルなどあるはずもない!
…しょうがない、ここはノラリクラリと誤魔化すしかない。
ガチガチと震える顎を無理矢理動かす。くそっ、女は度胸だ!今は男だけど!



「おおおおれはその稲ちゃんとやらに呼ばれている訳でして」
「ふぅん」
「ぎゃあ!」



蹴られた!おまけに踏まれた!
思わぬ攻撃に悶絶する。手加減はされてるようだけど痛い!痛いです!
むぎゅう、と腰を踏まれた体勢のまま抗議の声を上げる。



「いきなり何するんですか!」
「うるせーうるせー!稲ちゃんって呼んでいいのは俺だけ!俺だけなの!」
「そんなん知らないですよ!」



銃を持った手をぶんぶん振り回しながら喚いているお兄さん。
…なんか、今なら、逃げられるかも?
懐の中に手を突っ込む。役立つものなら何でもいいから、何でもいいから!
祈る気持ちが通じたのか、指先にこつんと何かが当たる感触。
それを出そうとすると、今まで喚いていたお兄さんがじゃきんと銃を構える。
…あー、そうですよね、油断してると見えても油断してませんよね、うん…。



「ガキ、なーにやってんの?あんま怪しいことしてると撃っちゃうぞ」
「…ええと、商品、持っているのを思い出しまして」



よければ、お近づきの印に、お兄さんにどうかなあ、と…。
引き攣る顔で、どうにかへらりと営業スマイルを浮かべると、お兄さんは少し興味が湧いたようだ。
「出してみろよ」と言われたので、指先に当たったものをそろそろと出す。
ころりと畳の上に転がったのは、細い巻物だった。
武器じゃないことで警戒が薄れたのか、お兄さんは「何だいこれは」と言いながらしゃがみ込む。



「何だと思いますか」
「俺、結構読書は好きよ」



そう言ってお兄さんはするするする、と巻物を広げていく。
ぴたり、とその手が止まった。何だ?と思えば、バンバンバンと背中を叩かれる。



「ガキ、いいもん持ってるね」
「え、ええと、あははははは」



痛い、痛い!と内心悲鳴を上げながらそろりと横目で巻物を覗き込む。、
…オゥ、モーレツ。ぷぷっぴでゅう、と小さく呟いた。
お兄さんの手元でキラキラと輝いている巻物に描かれていたのは、
そりゃもう見事な春画であった。ポロリもあるよ!別に嬉しくないよ!
…こんなの懐に入れた覚えはないんだけどなあ。誰だ誰だ、勝手にこんなの入れた奴。

嬉しそうににやにやと笑っているお兄さんの下で、あははあははと乾いた笑い声を上げる。
ちなみに今の体勢は、畳の上にうつ伏せで寝転がった私の上にお兄さんが馬乗りになっている状態。
…重い、重いです。やっぱり成人男性を乗っけるのは男の体でもしんどいです。
のいてくださいとも言えずに、ただひたすら耐える、耐える、耐える!
なんの修行だこれ、と内心つっこんでいると、襖がスラリと開く音がした。



殿、そろそろ夕餉のお時間で」
「あ、稲ちゃん!」



上に乗っかったお兄さんが、とても嬉しそうな声色で叫ぶ。
稲ちゃん、と呼ばれた可愛い女の子は、こちらを見た瞬間不自然に語尾を切った。
わなわな、とその唇が震えている。あれ、そういえば私、この人に呼ばれたってことにしたんだっけ。
嘘がバレたらやばくない?やばくない?と内心焦った、その時。



「…ッ、不埒です!!」



耳をつんざくような叫び声があがり、キーンと鼓膜を揺らす。
その衝撃でぐわん、と視界が回った。慌てて手を伸ばし、何かを掴む。
ビリリ!と何かが破れる音と同時に、どすん!と体に大きな衝撃。うわぁ何事!
ぱちぱち、と瞬きをすると、そこは見慣れた我が家で。…あれぇ?と首を傾げる。
居間に敷いた布団が遥か遠くに見える。どうやら、寝相が悪くゴロゴロと転がった末に
段差から落っこちたらしい。なんという素晴らしき寝相!

ゆめ、か。

それにしても夢の中で苛められるなんて、相当元就さんに苛められているのがダメージなんだろうか。
それとも無意識にマゾに目覚めちゃったとか?…ちがうちがう、それだけは断じて認めん!
無意識にぎゅうっと握り締めていた手から、何かがハラリと零れ落ちる。
おっとっと、と呟きながら拾うと、そこにはいやんあっはんなお姉さんの絵が描かれた、春画が。



「…ぷぷっぴでゅう」



ぼつりと呟いて、無様に半分に破られたそれをそっと懐にしまいこむ。
…見なかったことに、しよう。
深く考えると負けだ、とりあえず寝なおそう、そうしよう。
もぞもぞとすっかり冷えてしまっている布団に潜り込み、目を瞑った。
今度はいい夢見れそうな気がする。寝返りを打ったときに、懐がかさりと音を立てた。
まだまだ夜は、長い。





09/04/20